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吉本隆明の思想について
次の文章(発言)の解明をとおして おしえてください。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ レーニンが究極的に考えたことは 少なくとも政治的な権力が階級としての労働者に移るということはたいした問題じゃない。つまり それは過渡的な形であって ほんとうは権力というのはどこに移ればいいのか。 それはあまり政治なんかに関心のない 自分が日常生活をしているというか そういうこと以外のことにはあまり関心がないという人たちの中に 移行すればいいんじゃないか というところまでは考えていると思います。・・・ では 権力が移行するというのは具体的にどういうことか。そういう人たちは 政治なんていうのには関心がないわけですから お前 なんかやれと言われたって おれは面倒くさいからいやだと言うに決まっているわけです。しかしお前当番だから仕方ないだろう 町会のゴミ当番みたいなもので お前何ヶ月やれ というと しょうがない 当番ならやるか ということで きわめて事務的なことで処理する。そして当番が過ぎたら 次のそういうやつがやる。そういう形を究極に描いたんですね。そういうことで〔政治=まつりごととしての秘儀 つまりまたは 社稷というべき国家神道における〕秘儀をあばけば全部終わるじゃないかということに対しても 思想的なといいますか 理論的なといいますか 対症療法として考えたわけですよ。・・・ レーニンが究極的に ポリバケツをもった ゴミ当番でいいじゃないかと言った時に 究極に描いたユートピアというものは ほんとうはたいへんおそろしいことだとおもいます。おそろしいというのは 江藤さんの言い方で言えば そうしたらすべてが終わっちゃうじゃないか ということを ほんとうは求めたということです。 つまり すべてが終わったのちに 人間はどうなるんだとか 人間はどうやって生きていくんだということについては 明瞭なビジョンがあったとは思えないんです。また そういうビジョンは不可能だと思います。 だけれどもすべてが終わったということは そういう言葉づかいをしているんですけれども 人間の歴史は 前史を完全に終わったということだと言っているわけです。 これは ある意味では江藤さんの言葉で 人間は滅びる というふうに言ってもいいと思います。なぜならば それからあとのビジョンは作り得ないし また描き得ないわけですから。 だから人間はそこで滅びるでもいいです。それを 前史が終わる というふうな言い方で言っています。前史が終わって こんどは本史がはじまるというように 楽天的に考えていたかどうかはわかりません。だから人間はそこで滅びるでもいいと思います。だけれども そうすれば前史は終わるんだということです。 まず第一に政治的な国家というのがなくなるということは ほんとうは一国でなくなっても仕方がない。全体でなくならないとしょうがない。そうすると 全体でなくなるまでは いつも過渡期です。だから どこかに権力が集まったり どこかにまやかしが集まったり どこかに対立が集まったりすることは止むを得ない。止むを得ないけれども それに対しては最大限の防衛措置というものはできる。そうしておけばいい。しかし そうしながらも究極に描き得るのは 人類の前史が終わるということです。 あるいは江藤さん的に言えば いま僕らが考えている人間は終わる ということです。それから先は 描いたら空想ですから 描いても仕方がない。理念が行き着けるのはそこまでであってね。だけどそこまでは 超一流のイデオローグは やっぱり言い切っていると思います。・・・ (江藤淳との対談:文学と思想――『文芸』1966・1) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 論点は 次の二点です。 (あ) 《共同自治の責任者(現在の首相)は 当番制がいい》でよいか。 ――これには おそらく 現在の二階建て構造を たとえ二層構成のままにしておいたとしても 第一階(A)=市民社会が 主導権を握り 第二階(B)を指導し活用していかなければならないでしょう。しかも これを世界史的に 実現していく必要がある。 なお 共産主義が 暴力革命を経るのだとすれば 論外とします。 (い) 《人は 社会的な支配関係を終えれば 〈復活〉するか》。 ――つまり 《〈ひと〉は〈前史〉を終えると どうなるか》。たとえば 突然変異を起こして 新しい人類が生まれる? 以上よろしくお願いいたします。
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- littlekiss
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こんばんは、brageloneさん。 午後から大学(母校)へ行って来ました、野暮用で。 行ったついでに構内の図書館へ足のばし、しばし、閲覧。 なにみてきたかって? うん、藤田嗣治の『猫と女とモンパルナス』と他数冊。 画集さがしてたんだけど、思いのほかなくて… 「藤田嗣治は“黒”をみつけた…云々」とあったもんだから なんかーなー?、と、蔵書をちょこっとあたってみようかと まえに、スタンダールの『パルムの僧院』を読んでたせいもあって “黒”といえばスタンダール作品『赤と黒』がふいっと浮かぶ パリ、なんで人がこの街に集うんだろう? 《抒情詩の世界を書いた作品の中に 自分を 浸らせる読者》 藤田にしてもスタンダールにしてもパリにその身を浸らせている… フランス…移民…移民統合… 《世界を消してしまう》って? 人と人が溶け合ってしまうと…だれがだれかわからなくなる? 【フランスの移民統合モデルは有効か】 http://www.diplo.jp/articles02/0201-3.html ●生死や人格がかかっている問題をめぐっては 《角をためて牛を殺》しても いいのではないでしょうか。 ↑ ◆闘牛あれこれ【雑学編】◆ http://fish.miracle.ne.jp/mou-mou/zatsugak/zatsugak.html 【もんきりあそび】 http://www.yma-p.jp/blog/item/228 【モディリアーニと妻ジャンヌの物語展】 http://www.yma-p.jp/archive/modigliani/top.html 【「モンパルナス交友録」】07.11.30 http://www.yma-p.jp/archive/modigliani/montparnasse/index.html 【モディリアーニ 1884-1920】 http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/book/164.html 【藤田嗣治(レオナール・フジタ)1886-1968】 http://www2.plala.or.jp/Donna/foujita.htm
- littlekiss
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こんばんは、brageloneさん。 ************************************************************************ さらにきびしい議論をもって 迫りましょう。 ● (江藤淳)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・・・われわれの周囲にある政治理論は たいてい抒情だと思う。つまり世界認識ではなくて 自分の中にある個人的な抒情の欲求のプロジェクション(投影)にすぎないものが多いように思う。 しかし 自分が世界に投影されると同時に 世界の投影が自分を規定するというのが実際の姿でしょう。 抒情からは この相関関係がぬけおちている。詩(つまり 抒情)は 世界を消すものですからね。抒情詩は世界を消してしまう。 ところが 実際には 世界を消してしまうことだけをやっているのに 世界になにか寄与していると思いこんでいる人々が多いのです。 そのへんのところは 直感的にしか申し上げられないけれども そう感じます。 (吉本隆明との対談・文学と思想) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 日本の論壇に対する手厳しい批判になっていると思います。日本人の哲学に対する態度も この《抒情詩》のようなものが 多いのではないでしょうか。 ************************************************************************ (^o^)/ほーい。 ほんじゃ、虫めがねを手にもってみていきましょうか。 と、いっても老眼じゃないですからね。 (@@)パッチリ-☆ 「おばあさんの おめめは どうして そんなに おおきいの?」 「お前をよーく見るためだよ」 「おばあさんの おみみは どうして そんなに おおきいの?」 「お前の声をよーく聞くためだよ」 「おばあさんの おくちは どうして そんなに おおきいの?」 「お前を食べるためだ!!」 ちょっと ちょっと ヾ(-_- ) (*^^*)>゛゛゛だは ●さらにきびしい議論をもって 迫りましょう。 ↑ と、あったので迫ってみました。これじゃだめ? うーん、困った。 なんだろうなぁー? 《相関関係がぬけおちている。》って… ―― ちょこっと回想 ―― 【QNo.3417579 三身常住は 三位一体とどう違うでしょう】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3417579.html ANo.19への《この回答への補足》より We live in different worlds, you and I. Try what means you will. We cannot meet, you and I. You live in your world and are happy; I in mine and am contended. Then let us understand better Not to interfere with each other's lot. We break an ox's horn by bending it; We are not meant to be broken like that ! ( April 1904 ) ANo.22より 私たちは お互いに 違う 世界に 住んでいる。あらゆる 方法で 試して みよう。 でも 私たちは お互い 会うことが できない。君は 君の世界で 生きていて 幸せを 感じている。私も 自分の世界に 生きていて 満足している。それなら もっと お互いを 理解 し合おうじゃ ないか。干渉 すること なく。私たちは 雄牛の角を まげて 壊す。しかし 私たちは そんな風に 壊されたりは しない だろう。 【神戸文学館のすべて】 http://www.geocities.jp/miyamoto_tadao/ 【神戸ゆかりの文学者】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%A4%A8 【横溝正史】 http://www.yokomizo.to/library/kkbook5.htm http://www.yokomizo.to/ 【「名探偵・名刑事」あれこれ】 http://blog.goo.ne.jp/sakura707_2006/e/17415494215b1f48041737ae3412b908 【Chemical Dynamics 化学反応動力学(化学反応ダイナミクス)】 http://www.riken.jp/chemdyn/research/research2.html
- littlekiss
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こんばんは、brageloneさん。 『 Diamonds 』 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND2899/index.html プレゼントの山 埋もれもがいても まだ死ぬわけにいかない 欲張りなのは生まれつき パーティーはこれから 耳で溶けて流れ込む 媚薬たちを閉じ込めろ コインなんかじゃ売れない 愛をくれてもあげない ベルトをしめて プロペラまわし 大地を蹴って 飛び上がるぞ! (*^^*)>゛゛゛(Gがかかります)BGM “ G って何ですか? ” http://homepage2.nifty.com/eman/dynamics/aboutg.html http://www2.odn.ne.jp/~cbm15900/html/n14.html 「おいこみかけます!」と、いったからとて… こんな特訓って…あり???オニー!オニー!鬼コーチ!!!“なまはげ” 「泣ぐコはいねがー」「泣ぐコはいねがー」「泣ぐコはいねがー」 (((((ブルブルブル)))))(((((ブルブルブル)))))(((((ブルブルブル))))) 怠けちゃいません キッパリ-☆ ほだから、カミナリは落としちゃ、やーよ:*:.。.:*(´∀`*)*:.。.:*: 【オームの法則とはなにか】 http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/k4housoku/ohm.htm 【三相式配線および単相3線式配線回路】-三相交流回路- http://cgi.din.or.jp/~goukaku/denko/chap7/1-7-5.pdf ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ * わたしの親父は 人間は矛盾した存在なんだ 矛盾していて いいんだ 細かいこと言うなと わたしに反応するのが しばしばでした。母親は もうこの歳で 性格が変わろうかさ(変わるわけがない)と言って――気にしつつ なのですが―― はねつけました。わたしは ひとを窮地に陥れるのが好きなようです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 〔作家別作品リスト:No.83〕 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person83.html 作品名:アラビヤンナイト(一、アラジンとふしぎなランプ) 著者名:菊池寛 http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/43122_16871.html カン! 【国民年金、任意加入と追納、どっちが得?】 掲載日: 2006年 08月 29日 http://allabout.co.jp/finance/nenkinreceive/closeup/CU20060312A/index.htm http://allabout.co.jp/finance/nenkinreceive/closeup/CU20060312A/index2.htm 【国民年金、任意加入と追納、どっちが得?】 掲載日: 2008年 05月 15日 http://allabout.co.jp/finance/nenkinreceive/closeup/CU20080510A/ http://allabout.co.jp/finance/nenkinreceive/closeup/CU20080510A/index2.htm http://allabout.co.jp/finance/nenkinreceive/closeup/CU20080510A/index3.htm 【[自賠責保険の補償範囲第1章] 自賠責保険】 http://www.jidoushahoken.info/1/02-05.html http://www.jidoushahoken.info/1/02-05-02.html 【任意保険の種類】 http://www.jidoushahoken.info/2/02.html A(刑事・行政):B(民事) A(自賠):B(任意) Aで(できること、できないこと),Bで(できること、できないこと)
お礼
littlekissさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 君子の交わりは 淡きこと 水のごとし。 ☆ を持ち出さなくても もともと いぢわるですもんね。 さらにきびしい議論をもって 迫りましょう。 ● (江藤淳)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・・・われわれの周囲にある政治理論は たいてい抒情だと思う。つまり世界認識ではなくて 自分の中にある個人的な抒情の欲求のプロジェクション(投影)にすぎないものが多いように思う。 しかし 自分が世界に投影されると同時に 世界の投影が自分を規定するというのが実際の姿でしょう。 抒情からは この相関関係がぬけおちている。詩(つまり 抒情)は 世界を消すものですからね。抒情詩は世界を消してしまう。 ところが 実際には 世界を消してしまうことだけをやっているのに 世界になにか寄与していると思いこんでいる人々が多いのです。 そのへんのところは 直感的にしか申し上げられないけれども そう感じます。 (吉本隆明との対談・文学と思想) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 日本の論壇に対する手厳しい批判になっていると思います。日本人の哲学に対する態度も この《抒情詩》のようなものが 多いのではないでしょうか。 ・わたくしも 夢想が多いですけれど。:*:.。.:*(´∀`*)*:.。.:*: (*^^*)>゛゛゛(Gがかかります) おあとが よろしい ようで すよね。
- littlekiss
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こんばんは、brageloneさん。 今日は11月30日。 早いですね。 明日から12月。 今年も残すところ あと1ヶ月か… と、思うと… なんだかなぁ。。。 なんだかなぁ。。。 と、思うのも… 暦のうえじゃ とっくに「冬」。 「冬」なんだけど… 気象庁のあつかいでは いま(11月中)は まだ「秋」。 『秋止符』 左ききのあなたの手紙 右手でなぞって真似てみる いくら書いても埋めつくせない 白紙の行がそこにある ↑ おいこみかけます!(とくべつこうこく) “にいたかやまのぼれ ひとふたまるはち” http://homepage3.nifty.com/basaranihonshi/konetahon.htm http://homepage3.nifty.com/basaranihonshi/index.htm “ 心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花 ” 凡河内躬恒(おほしかふちのみつね) http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/sennin/100i/029.html “ 住の江の松を秋風吹くからに声うちそふる沖つ白波 ”0360 古今和歌集 ―『定家八代抄』による抜萃 548首― http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/hatidai/kokin_s.html 八代集秀歌選 ―『定家八代抄』による― http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/hatidai/hatidai.html 【QNo.2700762 ほにゃらか形而左右学 矛盾】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2700762.html 【QNo.2746186 ほにゃらか形而左右学】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2746186.html 【QNo.3417579 三身常住は 三位一体とどう違うでしょう】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3417579.html 【宗教・こころ】吉本隆明氏に聞く(1)~(4)弓山達也氏と対談 [1995年09月05日・07日・11日・12日 東京夕刊] http://my.spinavi.net/yumiyama/index.php?itemid=72
補足
littlekissさん こんばんは。ご機嫌よろしゅう。ご回答をありがとうございます。 とうとう 取り残しの課題を交えて ● オーム真理教(特に サリン事件) と 中沢新一 と吉本隆明 ☆ という組み合わせに 戻りつつ なりましたね。 まづ 吉本については オームとのつながり(一定の評価を与えていること)は まったく予期していませんでした。理由は別ですが 江藤淳と同じく わたしの若い頃に たいへん大きな影響を受けた思想家だったのが ついていけないと判断したとき それ以後は 読みもしなくなったのでした。 江藤は 国家主義の立ち場を鮮明にした時点で――もっとも 国家を 社会形態として 前提にする限りでは ひとつの立ち場でありうるとまでは 思ったのですが やはり―― そぐわない・それは わたしにとって 心地よくないという理由で 離れました。 吉本は おもしろいことを言っているのですが かれ自身は 何をしようとしているのか 分からない。何もしようとしていない。ただ言うだけだ。と判断した時点で もう読まなくなりました。面白くなくなりました。もう二十年余り前のことです。 そんな経緯ですが さて わたしの立ち場は ○ オーム真理教に対して 全面的に 否定するという判断を持ちます。吉本は 弓山との対談の中で その殺害事件を根本的に否定し 松本の仏教理解には 見るべきものがあるのではないかと肯定するというように 二重性を持つと言っていますが それは わたしには ありません。 ☆ もうこれだけを言って 終わりになるようなのですが こういう問題が残るかも知れません。つまり 吉本の理論の中で わたしが 評価している部分は かれが松本仏教理論を評価するところと 重ならないのか これです。 弓山との対談を読んだ限りでは 重なりません。それ以上に 明らかに 反対する立ち場です。というのも 吉本は 市民社会の倫理と 宗教から見た倫理とは 別であるという見方を持って 松本理論(?)を評価する余地があると言っているわけですが わたしにとっては それは あり得ません。市民社会の倫理や生活が すべてです。そこでの 共同主観=常識を ほとんどただ一つの判断基準とします。 宗教という組織や社会慣習じたいをも否定していますが けっきょく 信仰は 個人の主観におさまるものという見方です。 そうなると あなたのご見解を 例の中沢新一のそれとを合わせて 明らかにしなければならなくなったのではありませんか。 それは 理論の問題があり そして いつだったか 対話の話題にのぼった北野武の思想の問題とも関連するようですよ。つまり オームに対する宗教としての評価をたとえ別としても サリン事件で被害を被った人びとへの気持ちを どう表明するかにかかわっています。主観は 自由ですが そして その内向きのことは 公表しなくても構わないのですが そのとき 被害者の心がかかわっているときには 公表しないというのでは もうその心を無視すると言ったことに等しくなる こういう問題であるのでした。 北野武のときには あなたは 柔軟な心を発揮されましたが 中沢新一にかんしては そうではなかったのでした。はたして どうなりましょうか。 吉本とオームとの関係の記事は ご自分で見つけられて ここで 発表されました。しかも 中沢の話題を扱った質疑応答をも 掲げておられます。わたしに そのことに触れてくれと言わんばかりです。とにもかくにも これだけをお伝えします。 * わたしの親父は 人間は矛盾した存在なんだ 矛盾していて いいんだ 細かいこと言うなと わたしに反応するのが しばしばでした。母親は もうこの歳で 性格が変わろうかさ(変わるわけがない)と言って――気にしつつ なのですが―― はねつけました。わたしは ひとを窮地に陥れるのが好きなようです。
- littlekiss
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おはようございます、brageloneさん。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ どぢゃ? 《体言・用言》などの用語も なかなか 使い勝手がよいようですよ。 未来社会において 諸言語が 融合するとは思いませんが 文法――特にその生成の観点からする類型分析――は 互いの理解に役立つものと考えます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ No.20への《この回答への補足》… littlekiss “さま”って、 ↑ でだしからいきなり“さま”ときますか? ずいぶんもちあげてくれてますね? おもくないですか? 大丈夫? いつもあたまがさがります。m(_ _)m “ みのるほど こうべをたれる いなほかな ” げっ、|(><)| コワッ! 高いところへ上ってる途中で下を見たら… 足が竦んで (((((ブルブルブル))))) 動けなくなる。 ↑ もしや、これが体言止め? ふーん、まだまだ “ わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白波 ” http://www.good-land.com/76.html 沖で白波が立つときは… 用心 用心 御用心っと、 【C調言葉に御用心】 http://ja.wikipedia.org/wiki/C%E8%AA%BF%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%AB%E5%BE%A1%E7%94%A8%E5%BF%83 【海洋と気象】 http://www.jma.go.jp/jma/index.html
補足
お早うございます マドゥムワゼルlittlekissさま。ご回答をありがとうございます。富士山の日本晴れですよ。にっぽん晴れ!! と謹んでもうしあげます。m(_ _)m (と言っても 絵文字は知らないから もう出ない)。 これまで多くのサイトをご紹介いただきましたが 言語学に関心がお有りですか。もうひとつ おもしろい話題で ご機嫌うかがいです。 ● 《mo ・ mu 身(モ ・ム)》からの語の形成 ~~~~~~~ 0.mo・mu →モ(身)抜け=蛻け;ム(身)クロ(幹)=骸 1.mo-i > mi 身(み) (《-i》は 多く 名詞形をつくる) 2.mu-ki 向(む)キ (身が移動する意) →muka-hi 向カヒ;muka-he迎へ 3.mu-ki 剥(む)キ (対極相。身の充実の反対概念) 4.mo-gi 捥(も)ギ (同じく。/ k・g /も反出・反定相) 5.mo-si 若(も)シ (《それ自身(mo)である(si)〔とせよ〕》=論述条件) 6.mu-si 生(む)シ (《自身の充実性 の動態》) 7.mo-to 本・元(もと) (身の処。/ t /は不定指示相・隔定相) 8.moto-me 求(もと)メ (上の動詞形) 9.mo-no 物(もの) (身の自己同一性。/ n /=客体の同定相) 10.mo-hara( > moppara) 専(もは)ラ (一身のみ) 11.mo-mi 揉(も)ミ 12.mo-ro 諸(もろ) (身の全体→《両方整った・すべての》) 13.mo-ro-si 脆(もろ)シ (対極相。充実性の反対) 14.mu-re 群(む)レ (身がある・集まる。/ r /は自然想定相・自生相) 15.mu-ra 村(むら) 16.mo-ri 盛(も)リ (身の充実性→杜・森 ) 17.mo-ri 漏(も)リ (対極相。充実性が欠ける) 18.mo-ri 守(も)リ (あるいは mo が ma 目・mi 見と共通相か) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ なおコンピューター言語は 分かりませんので 《任せてください》との言葉は 割り引いてくださいね。(先刻承知でしたっけ)。 ★ “ わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白波 ” ☆ 雲居にまで上がった波って あるかなぁ? 暴風雨じゃないんでしょ? あっ 櫨が上げた白波が 船に坐った姿勢から見れば 空のほうにかかって見えるのでしょうか? ★ “ みのるほど こうべをたれる いなほかな ” ☆ 実が成って 重いからね。
- littlekiss
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おはようございます、brageloneさん。 ●なにか悪いものを食った? ↑ と、きくかね?! (-_-;)uuu… 甘んじて…全部食べました。残さず (-_-;)uuu… くるくるくるくる◎◎◎◎◎◎◎◎◎ダ――――っと 【ことばをめぐる】 http://www.asahi-net.or.jp/~qm4h-iim/k990322.htm コラムいっときます。 【子守唄】 http://www.jacom.or.jp/column/kora113/kora113s04093005.html 【松岡正剛の千夜千冊『放送禁止歌』森達也】 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0845.html 第244回 10月12日(日) 【戦争は罪悪である ~ある仏教者の名誉回復~】 http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2008/1012.html 「たいへんおいしゅうございました。」:*:.。.:*(´∀`*)*:.。.:*: ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ おしえて! ○ 例の 《 b 》。 ☆ これは その後ここで文章を読んでいると 文末に この記号だけで 使われています。どういう意味なのですか? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ○ 例の 《 b 》。 ↑ 《ゆでたまご》じゃなかったら… うーん、いま思いあたるといえば… (-_-;)uuu… エド・はるみさんの「グー!」っていうあれじゃないですか? そうそう、エド・はるみさんっていえば… 今度TVアニメ『ヤッターマン』に出てくるとか。 http://mainichi.jp/enta/mantan/news/20081126mog00m200012000c.html?link_id=TT005 ちがった??? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 未来社会の問題としては 自民党がご臨終であることが 確実なことだけでも その動きがあると言うべきなのでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ↑ うーん、どうでしょう… (-_-;)uuu… 際際のところで、逆噴射と。体勢をたてなおすこともなくはない 『逆噴射家族』 http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17464/story.html の例もあることだし… 【LL法】 http://ja.wikipedia.org/wiki/LL%E6%B3%95 【LR法】 http://ja.wikipedia.org/wiki/LR%E6%B3%95 【生成文法】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%88%90%E6%96%87%E6%B3%95 【チョムスキー階層】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E9%9A%8E%E5%B1%A4 【文脈自由文法】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E8%84%88%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%96%87%E6%B3%95 【構文解析】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8B%E6%96%87%E8%A7%A3%E6%9E%90 【形式言語】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E5%BC%8F%E8%A8%80%E8%AA%9E 【品詞】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%81%E8%A9%9E 〔歴史〕 単語をいくつかの品詞のグループに分けるということは、古典ギリシア語の文法研究から始まった。これが、ラテン語の文法研究に受け継がれ、さらにはヨーロッパ諸国の言語の文法研究にも品詞の考え方が取り入れられた。後に、言語学の対象がヨーロッパ外の言語にも広まるとともに、品詞という考え方が世界中の言葉に適用されることとなった。
お礼
★ 【ことばをめぐる】~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 不思議といえば、五段活用(語数=2812)・下一段活用(1229)に比べて、上一段活用(127)が極端に少ないのも引っかかります。五段・下一段が多い理由の一つは、「垂らす(五段)―垂れる(下一段)」「焼く(五段)―焼ける(下一段)」のように、他動・自動のペアが多く作られたことにもよるのでしょうが、理由はそれだけではないと思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 古語で 上(イ・ウ行)二段活用が 下(エ・ウ行)二段活用へ変わり さらにこれは 下(エ行)一段活用になったから。連用形(=名詞形)で示せば。 ○ 古語 mo-ri 漏り・洩り 上二段活用 → mo-re 漏れ・洩れ 下二段→下一段活用 ○ ちなみに mo-ra-si 漏らし の如く ア行終わりの四段(五段)活用の痕跡が 一般的にも 見られることに注意しうる。 では何故 上二段→下二段→下一段活用という変化を持ったのか。 思うに 上二段の連用形=名詞形は イ行で終わるのだから とうぜんの如く 四段(五段)活用のそれ・つまり連用形と 同形になるからである。 ○ ka-ki 掻き=書き 四段活用 ☆ これには * ka-ki かき という上一段ないし上二段活用の動詞はない。つまり あるのは ○ ka-ke 掛け・懸け・賭け 下二段(ないし一段)活用 ☆ だけである。しかも ただし 上の《漏れ∽漏らし》の例と同じく ア行終わりの四段活用のかたちも 見られる。 ○ ka-ka-ri 掛かり・懸かり・係 ☆ 未然形ではあるが ka-ka-zu 掻か-ず の如く 活用するそのかたちである。 ところが じっさい この ア行終わりの活用形は そこに 《イの折れ》を伴なって 下二段活用の連用形を作りだしたと考えられる。 ○ ka-ka- かか- ――《イの折れ》を入れる―→ ka-ka-i ⇒ kakae ⇒ kake かけ ○ 《イの折れ》とは can をカンから キャンと発音するその傾向である。同じく girl を ギャルと呼ぶ。 ☆ 《イの折れ》と言わずとも この《 -i 》を付け加える例は 多い。 ○ ma 目(ma-he 目‐辺=前)→ ma-i = me 目 ○ ta 手( ta-moto 手‐元=袂)→ ta-i = te 手 ○ ina (稲)→ ina-i = ine 稲
補足
親愛なる littlekiss さま お早うございます。ご回答をありがとうございます。ご機嫌いかがでしょうか。 ★ 【戦争は罪悪である ~ある仏教者の名誉回復~】 ▲ 真宗大谷派の高僧・竹中彰元さんの写真が 霊のようで こわあーい 感じでしたが 本山は かれの名誉回復だけで もう済んだとしているのでしょうか。丸坊主になる あっ いや すでに 坊主でしたね 謹慎するとか反省するとかは もう済んだのでしょうか。 ★ 〔自民党は〕 際際のところで、逆噴射と。体勢をたてなおすこともなくはない。 ☆ 《逆噴射》? ですか? あの羽田沖の? だめじゃん? 着陸(つまり 解党・消滅)寸前に 誰か救世主が現われて ふたたび 空に舞い上がる? これなら いいのですかね。 ★ 〔言語学〕 〔歴史〕単語をいくつかの品詞のグループに分けるということは、古典ギリシア語の文法研究から始まった。・・・ ☆ 次のひとの業績もお忘れなく。 ▲ 《パーニニ》 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%8B 紀元前4世紀頃のインドの文法学者 パーニニはサンスクリット・・・文法学(ヴャーカラーナ)の体系を確立した。・・・ アシュターディヤーイーはサンスクリット文法についての最古のもののひとつとされているが、・・・共時的言語学、 生成言語学としての最古の研究として知られ、・・・言語学の歴史の始まりに位置する。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 言語学でしたら まかせてください。言語類型論が いちばんの関心事ですが。 ☆ (日本語における語の生成の事例)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 音1 音2・・・語例 文法説明 1 ア - : Oh ! 知覚詞(超文条件詞)=知覚文 2 ア ハ : Ah ! 〃 3 〃 ラ : Hum ? 〃 4 〃 レ : Eh ! 〃 5 〃 〃 : that;it 体言(代名詞) 6 アハ レ : poor X ! 知覚詞(間投詞) 7 〃 〃 : アッパレ; bravo ! 〃 8 〃 〃 : 哀レ; Ahness 体言(名詞) 9 アラ ハ : 顕ハ 〃 10 〃 タ : 新タ・霊験 〃 11 アハレ ニ : 憐レニ 体言+与格活用 12 〃 ム : 憐レム 用言(動態相) 13 アハレニ アリ> : 哀レナリ 体言+補充用言→状態用言 14 アラハ ナリ : 顕ハナリ 〃 15 〃 ル : 現ハル 用言(動態相) 16 〃 ス : 表ハス 〃 17 アラタ シ : 新シ 用言(状態相) 18 〃 ム : 改ム 用言(動態相) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ どぢゃ? 《体言・用言》などの用語も なかなか 使い勝手がよいようですよ。 未来社会において 諸言語が 融合するとは思いませんが 文法――特にその生成の観点からする類型分析――は 互いの理解に役立つものと考えます。
- littlekiss
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こんばんは、brageloneさん。 おぉコワッ! 何がコワイかって? 世の風潮が一方向に傾くのが… たとえば、 同窓会へ出席した後の話を取り上げてのバッシング報道には辟易しちゃう 高齢者医療費「何もしない人の分なぜ払う」 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081127k0000m010145000c.html 首相は「67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる」と指摘。「こちらの方がはるかに医療費がかかってない。毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている」と述べ、理不尽さを訴え ... 同窓会、首相はたしか学習院卒だよね、そうすると出席者は… 学習院といえば、また、そこへ通う者といえば、大半が裕福な家庭のご子息ご令嬢?と、そうでなくともそれなりに蓄えのある家庭のこどもたち。卒業後、親の家業を継ぐ者、起業する者、一流企業と名だたる企業なりに就職していったことだろう。所得も高額。さて、その高額の収入を得てきた同窓生たちはそのお金の使い道を何にあててきたか?と、問うているのではないか。社会貢献に寄与してきたかと?67歳、68歳で、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる。「たらたら飲んで、食べて」←飽食の時代を桜花。その結果、生活習慣病に。糖尿病・脳卒中・高脂血症・心臓病・高血圧・肥満。http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/seikatu/index.html ある意味、今、現在、高額の収入を得ている者へむけて社会貢献を呼びかけていたんじゃないかな。保健医療にかかわらず福祉・教育方面と多方面に渡るように《ふるさと納税》のような寄付を社会貢献として高額所得者に訴えかけていたんじゃないのかな。高額の納税をしたとしていてもまた違う場面では(企業として法人税)控除・還付を受けている。こと、高額の金額を納税したということは口にすれど、控除・還付されたもののことはあまり口にはしない。なんでだろう? おっと、それと漢字の読み間違い?にしても五月蝿いっちゃありゃしない。 ありゃ、わざと、わざと読み間違えてみせたんじゃないのかな?何で読み間違う必要があるかって?国民年金がらみじゃないかな?国民年金の名前の入力は、さてだれがした?役所。役所という人はいない。2000年問題のごたごたの時期からこっち、パート・アルバイト・派遣労働と人かき集め、入力作業のどたばた。さてその人たちはいまどこにいる?国民年金のニュースがあがるたびにどこかでビクビクしているかも。読みにくい字はある。現在使われていない字もまたある。コンピューターに内臓されていない字もある。そんな中、年金記録者の記録と氏名の一致作業はつづけられている。年金記録漏れ、確認の取れない年金記録等、年金の支給が滞っている方の不満は重々承知すれど、今後のこともあわせて考える上で漢字への国民の関心を高めるには国会中継のあの場で敢えて4回読み間違えてみせることで広く注意喚起を促そうとしてたんじゃないかな。入力作業に携わるものは特別な誰かじゃない。雇用の分野における男女の均等な機会は法律に記されている。いろんな人がいろんなところで職に携わる昨今ゆえに。読み間違い等の入力ミスを防止しようと体張ってあの場で間違えて見せたとは考えられないかな? 『禁じられた遊び』 http://www.worldfolksong.com/songbook/others/romance.htm http://www1.kcn.ne.jp/~sug/guitar/Sound_Making/strings_chenge.html 【ネック・アングル】 http://www1.kcn.ne.jp/~sug/guitar/vintage/neck_angle.html 音の変化 ――――by the way―――― ●それにしても こんな応答もあったものなんですかね。 誼(よしみ)に甘えていますでしょうか。 ↑ こんな応答……(e_e).。oOありました。 【QNo.4077221 自然法は もう人気がないのでしょうか 】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4077221.html 【QNo.4338027 現代芸術における表現形式は どうなんですか 】http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4338027.html 回答日時:08/10/10 04:40 回答番号:No.27 【QNo.4310709 二分法の起源】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4310709.html 「くだんの事件」って… (-_-;)uuu… もしかして、“ゆで卵”の件? 甘んじて… (-_-;)uuu… ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ またまた寝てるコを起こしましたね? ☆ もし 《ああ 寝てたんだ》と気づいたなら 《ああ それだけも 罰が当たっても おかしくないほどだなぁ》と内に省みても まちがっていない。それが ふつうの子。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (@_@)パッチリ-☆ 寝てません ほでも、夕べも寝てねぇー (睡眠不足気味じゃ)(/_-)゛゛゛ゴシゴシ (e_e).。oO ちょっと ちょっと ヾ(-_-;) 金曜日は公休だったのに― 会社から電話かかってきて、急遽、午後からちょっとだけ出勤 寝坊しないように気をつけます。今夜のところはひとまずこれにて おしおきは、(><)やだよ―ん~♪ 【同時履行とは】 http://www.keyaki-law.gr.jp/05_houritsu_kouza_04.html http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312968458?fr=rcmd_chie_detail 【「呼応の副詞(こおうのふくし)」】 http://study-japanese.hp.infoseek.co.jp/hp/grammar/grammar-7.htm 【if構文】 http://www.scollabo.com/banban/cgi/cgi_011.html 【藤原定家】 http://www.ffortune.net/social/people/nihon-heian/fujiwara-teika.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E5%AE%B6 【「百人一首」】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E4%B8%80%E9%A6%96 「愚者の自覚を」 http://www.zenshoji.or.jp/fuku/gusha.htm
お礼
littlekissさん どうしたのですか。なにか悪いものを食った? ご回答をありがとうございます。 ただただ 麻生太郎を擁護したいということ? ほおっときますよ。論ずるに足りません。 ★ 「愚者の自覚を」 ☆ もともと そうだという人びとに向かって そう訴えかけたい愚者がいるのでしょうね。いちいち宗教なんか出さなくても エコ活動なり平和運動なりをすればいいじゃん。 おしえて! ○ 例の 《 b 》。 ☆ これは その後ここで文章を読んでいると 文末に この記号だけで 使われています。どういう意味なのですか? ○ 同じように 文末に 《 w 》も見受けます。 ☆ どんな意味がありますか? 感じでは 《ほほえみかける姿勢》を表わしているように受け取りますが。上の《ゆでたまご》は まだ 分かりません。 それにしても ▲ 踏襲 → ふしゅう ☆ には おかしみがありますね。《ふむ》と読み始めた。ところへ 次にも 漢字がある。たぶん 《とうしゅう》と分かっていたけれど 《ふ》と《しゅう》とで 読んでおいたのでしょうね。そのあと 気がついても そのまま 素通りしたというところが 器の大きさを表わしていますね。・・・んなわけない。 誼(よしみ)に甘えた文章をつづり続けてすみません。ありがとう。 未来社会の問題としては 自民党がご臨終であることが 確実なことだけでも その動きがあると言うべきなのでしょうか。
- littlekiss
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こんばんは、brageloneさん。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ▲ 各自は 能力に応じてはたらき 労働に応じて報酬を受ける。 またさらに 能力に応じて働き 必要に応じて受け取る。 ☆ これは おそらく 人間の計画や管理によっては 達成され得ないと 考えますが 或る種の理想です。しかも 現実には この未来社会へ向けて ★ 【男女雇用機会均等法】 もしくは 男女平等 ☆ の問題が 前に課題として 横たわっています。 いまのところ 話し合いで決めていく としか わたしには 勉強不足で言えない状態です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ↑ サラリーマン専業主婦(夫) 家計の収入源は夫(妻)の働きによる給与のみとした場合 男(女)は外で働き、その間、女(男)は家庭を守る 給与は銀行振込み、自動的に銀行口座へ 女(男)の手もとには給与明細のみ 後は好きにやってくれとばかりに お金のやりくりは女(男)まかせ 住宅ローンにガス光熱費水道代に駐車場代に 食費に医療費、学費とその他もろもろ差し引けば すずめのなみだの金額残るか残らないかのぴーぴー 家計簿とにらめっこ 女(男)は男(女)と子どもを優先し 女(男)自身は自分のことは後回し がまんがまんときりつめる きゅうきゅうの家計を前に 家事報酬なんてとりようもない 逆立ちしたって出てこない 自分のお金がない 言ってもせんないことと口篭もる 女(男)は誰に気兼ねすることなく 使えるお金を求め外へ働きに出る 外に出て働いてみればそこには 等価交換の原則が… 男(女)の給料減り 女(男)が外で働いて得た給料を合わせても これまで男(女)が一人で得てきた給料にも満たない 家計の総所得 女(男)が働く場はいくらかでき 外での働き手は増える 買い手市場(低賃金で雇える) 低賃金で人を雇えるとなると これまでの高賃金で雇われていた者は 玉突きのように押し出される(リストラ) 押し出された者の収入が一家の生計の主だった場合 一家の収入は激減する 新たに職に就けたとしてもこれまで得てきた収入を 得ることは望み薄 必要に迫られ家事育児を家でしていた女(男)までも さらに外へ働きに出る すると、これまで以上に市場に人があふかえり ますます、低賃金労働へと拍車がかかる 働く場も狭まってくる 中学生の冬の頃、教室に“休み時間は運動場に出よう”と、紙が貼ってあった。早くいえば、寒くて縮こまりがちな身体を休み時間の間に運動してほぐしましょうってことなんだろうけど、言葉をまんま受け取って、休み時間に全校生が運動場に出て走り回ったりボール投げして遊んだら中学生だし体格も大きくなってきてるからぶつかって危ないったりゃありゃしない。それに、だだっぴろい運動場ならいざ知らず全校生徒人数に対して運動場はそれほど広くはない。“休み時間は運動場に出よう”理想はあってもそれをおしつけては窮屈になる。外へ出て遊ぶもの教室の中で遊ぶもの適度な均衡が保ててればそれでいい。極度の偏りが、人を生き辛くさせる。 配偶者特別控除を復活させて、 さらにその配偶者特別除額を100万円にしてみたらどうだろう そのかわり、配偶者特別控除を受けるにあたっては外に出て働かない 働くのであれば、配偶者特別控除の適用外と 専業に従事するかしないかは選択と 市場にあふれかえるほどの人 この人の流出がとまれば 一人の働き手の所得額も上がるんじゃないかな ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ 人が人をおもえども、おもうことがときに人を傷つけてしまう。 ☆ くだんの事件を放っておいた人をおもうばあい あぁ そうか と受け止めるのが おもうことだとおもいます。 受けとめたくないというのでしょうか。 おもったのだから 感謝せよということでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ 人が人をおもえども、おもうことがときに人を傷つけてしまう。 ↑ ここに、漠然と「人」って字が3つ 個々におかれた「人」は同一人物か?それとも… 《くだんの事件を放っておいた人をおもうばあい》とありますが、 放っておいた人をおもう人の位置付けは? 【明治時代後期の教育 ~国家的教育観の具現化の考察~】 http://www.mskj.or.jp/getsurei/yanaka0501.html
補足
お早うございます littlekissさん。ご回答をありがとうございます。 《Q:未来論》では 無断引用についてお詫びしましたが 《サルトル論からの〈遊戯的対話〉》の件で それを紹介してもらったことについて まだお礼を申し上げておりませんでした。或る意味では簡単な(――つまり 小説に比べれば ていねいな人物や情況の描写では必ずしもなく そうではなく 場面ごとに つながりを省略して 話の筋を追っていくかたちにおいて 簡単な文章構成の――)戯曲をとおしても 鋭い分析をほどこして行って コミュニケーションにおける人間という問題を 思想として 浮き彫りにした論文だったと思います。ありがとうございました。(それにしても どこから見つけ出してくるのですか)。 ★★ 人が人をおもえども、おもうことがときに人を傷つけてしまう。 ☆ 問題は こまかくはお答えしません。(なお足りないというときには 要求してください)。要するに ○ ひとは 外から来る攻撃に対しては たとえ非力であることにより防御がかなわくても それによって 心が傷つくということはありません。 ○ おのれのこととして内面にあるあやまちについて 自分が自分をとがめるとき その欠陥に気がつきますし その傷はあやまちに応じて深いと分かります。自己努力と自然治癒 両方によって 癒していきます。 ☆ この単純なことを申し述べたつもりですが? もっと 直截に申せば ひとを傷つけたのではないかと考えることは ありますが そしてそのことを相手にぢかに尋ねても構わないわけですが 人が人を傷つけるということは ほんとうには ありません。外側の関係にある限り そうです。内側の関係にあるなら 遅かれ早かれ 伝わります。以心伝心と言います。そうでなければ 内側の関係ではないという意味です。 ★ 【明治時代後期の教育 ~国家的教育観の具現化の考察~】 ☆ 《国家》という社会形態についての考察が少ないと思います。《家》には 二階建ても三階建てもありますが 上の階から 下の階に向かって 《和を乱すな》ということを言いますかね? 和を乱さない家庭生活を実現する中に 親は 社会にとってよいことを 子供たちにおしえていくのではないでしょうか。《権威にもとづき 〈さからうこと無きを旨とせよ〉とのたまわる》ことによっては ちゃんちゃらおかしいということになります。家と国家とは 明らかに 基本の思想が異なっていると思います。そこを何とかしないと 何を改革しても 同じではないかと考えています。世界国家をつくっても 同じだろうと。・・・ 雛人形も五月人形も もはや 少子時代で じり貧です。というよりも 十数年前から 斜陽産業です。内裏雛だとか武将の人形だとか わたしは もう旧いと思いますが 日本人形を廃れさせていいとも思いません。この事業のことを思うと もう未来はないのかという気にもなります。特別控除や特別援助制度というわけにも行きませんし。・・・ われわれが わるかったのだと考えます。野党は ただガス抜きのために 反対を唱えるという体制でやってきたのですから。政治が変わるわけがなかったと言わなければなりません。ここ哲学の質疑応答でも きれいごとの回答が いまだに 少なくありません。昔の社会党が演じたガス抜き討論ということなのでしょう。このQ&Aも 大きく自民党=官僚体制に組み込まれているのでしょうか。われわれは 投票しつづけていますし それに代わる政党は まだ ないでしょう。八方塞がりです。ちょっと毛色の変わった人物が出てきても 難なく この体制に取り込まれ 組み込まれていきます。 自衛隊の責任ある人間がわけの分からないことを言いだしたり 厚生労働省の役人を殺したりと 後者で ガス抜きしつつ 前者で もはや理屈抜きで 国家が一丸とならなければならないという思潮を植え付けようとする――これらすべては 国家緊急時の大戦略の一環であるというと 気印扱いされるでしょうね。ほんとうかどうかの問題ではなく 絶えず そういう議論は つづけていくことも 地道な活動として欠かせないとは思います。 考えすぎだよと言われないことを おそれます。それにしても こんな応答もあったものなんですかね。誼(よしみ)に甘えていますでしょうか。
- arayata333
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すみません。 <私の方も ここでの論議としては ここまでとさせていただきます。> というのは あくまで“「エホバ」…”についてです。 自分でも 後から何か変だなと思っていましたが、昨日は目いっぱい家の用事がありましたし、 確認できないでいるうちに訂正が遅くなりました。 一番最後にそのように書いてしまえば、 これで“私の方からの「回答」は全部>最後<”と受けとられてもしかたないですね。 うかつでした。 * 「バケツへの道(笑)」も、中途半端ですし、 途中で問題提起された男女の問題も終わっていません。 でも、ちょうど、両方の課題とも、私自身の回答には壁が生まれていました。 そのへんを、明らかにして、幕といたしたいと思います。 大手を振って次の舞台へと また歩まれてください。 * もともと吉本隆明氏を知らないで回答の筆はなりゆきまかせで進んでしまったわけですが、 レーニンの「バケツ当番制」への道ということで、ここでは高度資本主義の新たな可能性という議論に発展していったかと思います。 「バケツ当番制」には、充分な教育の機会均等ということは前提だというのは常識として、、 その教育が未来においては変わる、 いや、今変わらなければその未来も無い、という考えからも わたしのほうからは、こうしてまず感性教育という道筋を提出しようとしていたわけですが、 ひとつには、これが私の中のそのビジョンは 全部事業案とも結びついていることだったのです。 総合的にあらゆる人生についての考えを 感性という糸口でまとめてきたのが自分の人生だったわけで、それ一筋の道がゆえいつしかワーキングプアーの立場に身をおくこととなった者、 頭の中では、その総合の道は最後は 経済の道(経済学の道ということではなくて、一言で言えば事業の道)とも総合的に結びついてしまったということです。 わたしは、 その案をすべて、 出来たらお渡ししたい企業にも心当たっています。 それは検討中なのですが、結局 この競争社会にては秘密とならざるを得ません。 情報の公開性も 段階があってのことと考えます。 公の場でもあるこの場では、さしさわりのないとことを選らんではどうせ中途半端になるだけですし、 結局この壁の前に 次をどのように展開していったら言いか解からなくなってしまってもいたところなのです。 *、 一方、男女関係については、「感性教育案」について一応はまとまった段で、 自分の「回答」を伸ばす予定でした。 しかし、これにも迷いが出てきました。 一つには、「後のものが先になり先の者が後になる」と言われるキリストの言葉が妙に気にかかってのことです。 またもう一つ、それは、不浄とななにか?について、あらためて考えてしまったからでもあるのです。 この二つのことが、へんに絡み合って、迷いを生んでいるようなのです。 この状態で、回答の筆を進めると、吉本隆明氏の世界から離れていってもしまうでしょう。 このへんはまた、 自分の「共産党宣言」への無知も気にかかるところです。 * 人生について、人の生涯について、存在について、一生懸命考え抜いてきた人間のつもりですが、 ここは無知無学ゆえの限界性もあるところ、 私のほうからは、 やはり、このへんで幕を引き 引き下がっておくべきところかとも思います。 * プラトンについても知りません。 善の哲学というのであれば、西田哲学の「善の研究」というタイトル(タイトルだけですが^^)は知っていますが、 似ているのでしょうか? ともかく たしかに私の中でも知で捕らえうる善の概念は 極地にても相対的なものです。 しかもその極地は そこが行き止まりという意味での極地ではありません。 結局《無限》としかいいようが無いところです。 生物でも そう捕らえるしかない地点にそこから復活してしまうような概念です。 するとそれはもう代理表現でしか語れない神という存在への「希望」とかかわる概念となってゆくというわけですね。 しかし、 >善悪を超えたところの非思考の領域< このへんが解かりにくいところなのですが、人間には究極的にはこれが善これが悪だということを「今」という地点には知りえないといった意味合いなのでしょうか? 私の中では、無限の悪というのは少なくともこの生物の中には存在し得ない存在です。 しかし生物であるにもかかわらず、善の方の可能性は無限と通じています。 すると、その可能性という御手に手を伸ばして生きるのが、つまり感性を出来うる限り伸ばし、真心を出来うる限り求めて生きることが「希望」であることの自覚が、 悪もあるこの世の闇の中の光であり信仰である。というのが 私の場合の答えのようなのですが、それは 知的にはどこか間違っているのでしょうか? 悪は 相対的であっても善が信仰の自覚にまで達しないと、それを根絶できないという意味合いにもとれますが、 それは理解できるところかと思います。 悪とは、あくまで相対的な時間をかけつつも、いつしか「絶対」根絶したいところ存在ですね。 * そのへんは、私の結論の方が簡単な表現で出来ているようです^^。 神は《絶対》でありつつ、「絶対(厳密な知的意味での)」では無い。 なぜなら、こんな相対的な生物が 手を伸ばしたらその手を握ってくれる存在だからです。 しかも確かに そうだからです。 ここに 私の方からは幕を下ろさせていただきます。
お礼
☆ わたしたちは 《終わりから始める》の標語よろしく この《非知》が 非思考であり 原点としての信仰であると主張してきたのでした。となるのですが どうですかねぇ。 《認識→信仰》という進みを持ち出すと どうしても 順序が逆のようです。非思考は 或る日とつぜんやってくるのだと思います。 そして それよりも やはり 《知→非知》という《還流》は 人為的なはからいを超えた人為であるように思われます。という意味は 非知は あくまで 経験領域のことを言っていて それに対して 非思考=信仰とは むしろ 次元が違うように感じます。 《非知》とは どうも 涅槃なり解脱なりのこと つまり 悟りのことのようなのですが。とすると 概念としては 互いに 重なってもよいようなのですが。 必要に応じて ご投稿ください。
補足
arayata333さん こんばんは。ばつのわるい感じですが 今回も ご回答をありがとうございます。 無限には 絶対としての無限と そしてそうではない――したがって 実際は 経験領域に属するところの――継起無限とが あります。 1,2,3、・・・∞とつづく《継起無限》は 相対の世界に属します。数えることができる・つまり 表象し得ますから。 絶対としての無限は 仮りに分割できたとして そのそれぞれの部分も やはり 無限です。半分に分けたそのどちらも やはり 無限であるというのが 絶対です。経験思考を超えています。非思考です。 むろん 善か悪かどちらかに片寄っているのでは 《絶対》ではありません。共存しているというのでも だめです。善なり悪なりを あたまで 表象していますから 経験領域に属します。善悪の思考を超えているのが 絶対です。(プラトンのイデアなり善なりは 純粋精神といったところではないでしょうか)。 ただ そういう絶対は この相対の世界を覆う・もしくは包むとも そのあとに 思われて来ます。そのような想定を置く限りで とうぜん悪ではなく 至高の善であるとか 義なり愛なり慈悲なり知恵なり全知全能なりというふうに 形容されることになります。これは 代理表現であるというよりも 神の《属性》を数え上げたかたちです。 これで 信仰の定義にお答えできたでしょうか。つまり このような絶対としての神との対面 としての非思考 これが 原点になります。その信仰のあと たしかに 希望 愛などなどが 付随しているように得られます。そこでは わが父よ というような表現で 呼びかけられるとも言います。 しかも おもしろいことには 信仰は いつまでも あるわけではありません。いま取り上げている主題としての《復活》が成ったなら そのときには 絶対としての神と――想定上――対面しているのではなく そうではなく 神を直視することになると言われるわけです。顔と顔を合わせて見ているわけですから 非思考の心の伸びも 要らなくなっています。希望も消えます。すでに 希望そのものの状態に入ったからです。ただ 愛は 最後まで 残ると言われています。 これは まだ 残念ながら おとぎ話です。 感性教育は むしろ 事業の一環としてある というのは どうも そのようですね。わかりました。 また 神のことですが つけ加えるべきことは 《絶対》が《相対世界》を蔽うという想定です。ここからは 単純に言って 神が なぞの存在として=その意味で 霊として 経験世界に宿るという言い方がされることです。 でも 精神に宿るとすれば 身体にも宿ると言わなければなりません。霊は 精神や身体 つまり 人間存在を 超えていて そのあと 遍在するとすれば われらに宿るということになります。これは 想像力の問題ではないわけです。もはや あくまで 一人ひとりの主観の内におさめられて 信仰のもとに 捉えられていくことです。その意味で 想定が生きるというものです。二人以上の集団に 霊が 同じかたちで はたらくと言うのは まづ無理だと思います。おのれの主観の内にとどまってこそ 信仰は生きるのだと考えます。 ★ 不浄とはなにか? ☆ これは にわかには 分かりません。どういう文脈からかが分かりません。 ★ 「後のものが先になり先の者が後になる」 ☆ これは 信仰(無神論を含む)の始まるのに 人によって 早い遅いがあるということだと 理解しています。遅かった人が 信仰の深まりが早いということもあるのだと。 吉本隆明から離れてもいいのですが――つまり 復活ないし未来社会が 主題ですから―― 昔の本を引き出して来てパラパラとやっていたら 次のような文章がありました。余興のようにですが おもしろいかも知れません。 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ おもえばいままで 最後の親鸞というかんがえに ずいぶん魅せられてきたような気がする。・・・ 〈知識〉にとって最後の課題は 頂きを極め その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め その頂きから世界を見おろすことでもない。頂きを極め そのまま寂かに〈非知〉に向かって着地することができればというのが おおよそ どんな種類の〈知〉にとっても最後の課題である。 この「そのまま」というのは わたしたちには不可能にちかいので いわば自覚的に〈非知〉に向かって還流するよりほか仕方がない。しかし最後の親鸞は この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。・・・ (吉本隆明:最後の親鸞 1981 p.5) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
- arayata333
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「絶対」という言葉を、 仮に知的に、また宇宙や存在のシステムとして神は絶対的とか絶対だと言うのであれば、 私は怖いです。 私という人間は弱いですから、怖くて、 非思考になるというより、 できうるかぎり考えたくないだけの問題となります。 わたしにとって、阿頼耶識論とか 十階論(論としては現代では成り立たないとさえ言えるあらけずりなものですが、そういう荒い言葉で説明している仏界論自体は深い)は、 仏陀が感性の奥の世界を伝えたかったことを意味してると思えているのと同じで、(感性の無限性について はっきり認識していたかどうかは、 まだ知りません。) わたしにとって、神の《絶対性》は、神の感性が計り知れない世界だという認識(思考お手上げ状態というのが信仰ならば認識というより、これが信仰なのでしょうが)のことを、はっきりと意味しています。 たしかに、知性も、偏在知と皮膚内の知とではまったく正確がことなります。 が、知の世界では 偏在知とはということを私たちの脳は考えることができます。 感じるという点においてのみ、私たちの知は価値を知るのに? いったいなぜ西洋哲学は神についての探索で 感性という最大の贈り物への感謝の地点を忘れてきてしまったのでしょう? たしかに、仏陀が感性の完成者という認識は、こうして神という《絶対》への謙虚さと矛盾します。 仏陀イコール神の感性の世界、というのも実は間違った認識です。 ですから、感性教育の進化の暁にはそのへんが自然に正されていくでしょうが、《逆に仏陀という1人間への謙虚さは増す》とも私は思っています。(《このこと》の詳しくは略しますが) * では、わたしにとっての神の絶対性というのはどういうものかというと、それは知的な「謎」自体のことではありません。 時間も空間も、知的には人間の脳からの知では永遠の「謎」ということもありますが、それが神の絶対性を意味してるとすると、これは仕組みへの絶対性ですから怖いのです。 運命絶対予定説と同じとなりますしね。 それは、わたしにとっては、 我以外皆師の極地というか、日々刻々我以外皆師という感じの認識に通じるものです。 感性の世界においてです。 白痴の人に知の師を求める人はいないでしょう。 そういう脳なのですから、 しかし彼が笑う時には、目と目を交わせるときには、その目からも学ぼうとうするでしょう。 なぜなら私はその人を知らないのに神は知ってるからです。 そのすべてをです。 言いたいこと解かっていただけるでしょうか? 私の経験で言えば、 私がある居酒屋で、毎日いじめにあっていた頃 私は夜中には何度も殺される夢を見てうなされ叫び声をあげて目を覚ましていました。 そんな都会の片隅での 大通りから少し離れたおんぼろアパートの二階にて、その風呂場件トイレの窓からは 窓を開けると二回まで伸びた大きな木の葉っぱが見えました。 さて、それだけのことなのですが、 ある冬の日に 窓を開けるとその大きな葉っぱにちょうど雪が降り始めていました。 心にゆとりなんてなく、超忙しい居酒屋での仕事を終えればすぐにコンビニで買った弁当をたべ、せいぜいフロと便所にいくだけであとは寝込んでしまう生活、しかも何度も何度も夜中に恐怖で目を覚ますような時に、 でもその雪は なんと 静かで静かで 安らかだったのでしょう。 これ以上言葉でなんて、それは言えませんが。 これって 他の人が見て その胸の感動の内側が仏陀のように静かだったとしても はたから見て何がわかるというのですか? 同じことは いついかなる時にも私が他の人を見るときにもあてはまるということです。 そして、その自覚がわたしにとって神の《絶対》への信仰なんです。 たしかにふるさとの知の地とも言えそうです。 * kigurumiさんの中に《絶対》への信仰があるかどうかは解かりません。 しかし、私とは共通項があるかと思います。 それは「絶対」への恐怖感です。 あるいは絶望の世界です。 知の洞穴の世界です。 なにも見えない世界です。 もう何も考えることもできない世界、 が、 怖い、そんなものは考えたくもない世界です。 この西洋神学の失敗でもあろう世界について、彼女は真剣に対応しようとしているのだと思っていました。 でも 今回ご紹介いただいたURLでの論議は、brageloneさんの言わんとしてる《絶対》を 誤解あるいはわざと歪曲してうけとったまま、その対立議論に たしかに巻き込まれてしまっているようにも見えます。 ただ、そうだとしても、これは しかたがないところかなとも思いました。 * 人は 人の長所をまず知り その中の一部としてまた変形としての短所をもその上でみつめることで、 自分にとっても得るものがある というのが「人皆師」の考えなのですが、 このへんなのですが、 キリストは、やっぱり「後のものが先になり 先のものが後になったりするであろう」 という意味不明な^^ことを語っていますよね(ちゃんとした元の文をうまく探せないので教えてください。) それは 哲学「教え・教わる」事態をも意味してると思えますし、実は私にとってはですが、私たち相対的な人間にとっての信仰がそこにあれば、ついねに必然のことでもあるとも思えますし、 さあ、実は今 このことで私は悩んでいる最中でもあるのです。 さらに深い意味があることがわかります。 でも解からないでいるということです。 >〈イエスなる人は神なるキリストである〉はゆるされるのですか。< という設問ですが、 わたしの方から回答すれば、 ゆるされるもなにも 今の今は仕方ないのではないだろうか? という感じのことです。 しかしながら、私自身には判断不能なことであっても、 キリストが神という認識は 一般にはこの地球に生まれた人は全部キリスト教になるべきだという意味合いの認識となってしまうと思いますし、 それは宗教の権威化という「絶対」に似た怖さを生んでしまう種の一つとなる可能性を私たちは忘れてはならないでしょう。 宗教は理性に明け渡すべきものであり、 権威に渡してはならないものと思います。 相対的な表現としては、三位一体論はおわったほうがいいと思っています。 キリストがいなければ、神が愛だということが解からないようにこの存在は出来ていません。 解かるようにできています。 しかもその深さをどこまでもです。 ただ、それを最初に語ったキリストが、 卑近な例で例えれば むかしビーモンがいきなり数メートルもオリンピック記録を更新してしまいその後何年たっても その記録にはなかなか追いつけなかったように、 それがまるで、走り幅跳びでなんと100メートルもの記録を出してしまったかのような人間であることはたしかに思え、(これ、私には、そう思えるとも言っておきますが) スポーツマンにとっては、やはりこれは神とたとえてもおかしくない世界なのではないかということです。 わたしが、いままで読んだ知識からは、仏陀はいつしか感性教育の暁にて追い越せる地点を見るでしょう。 反論はあるでしょうが、 そういう観点を私は持っています。 でも、キリストについては、 私自身が弱すぎるからにすぎないのかもしれませんが、 なんとも言えないとしか言えないのです。 神は絶対ですが、それは私たちにとっての絶対的差を意味する絶対であり、 それ以上の何かわけのわからない「絶対」ではないからです。 というより、 わたしという人間は、そのように信じれるようにやっとなった人間なんです。 * ☆>そうでない場合には ロボットは それ自体が ひとから おそわることはない機械であるということを 子どもたちに しっかりと分からせる必要があるように考えます。< 幼児にとって、ロボットがサンタクロースのようなアイドルであってもいい時期があってもいい と思うのですが、 特に基礎教育を終えた段階からは徹底してロボット哲学の論議を深め合えるように持っていくべきかと思います。 しかし、 では、幼児にはロボットとはといいうことのほんとうのことを教えることは不可能かというとそうではないです。 いまCGとかで大人まで 涙を流すロボ君達の世界を曖昧にしてしまっています。 ですので、まずは 大人たちがそのへんは、 理解を深めなおす必要があるかと思います。 言われておらる観点は重要です。 ありがとうございます。 刺激になります。 ☆ 少々 革命が不徹底ではないでしょうか。というくだりのコメントは、 これは気がつかさせられることがありました。 まさにこれも「後のものが先になり、先のものが後になる」ことがどこでどのようにあるか解からない この感性教育の世界では、 今有名のな教師100選というのは 間違ってさへいるでしょうね。 もっと広く 情報を常に集めて対応すべきところですね。 ありがとうございました。 >☆ きぐるみさんの件で ひと言としては 《神は 善悪を超えている》のであって かのじょの伝える神は 善の極致なる存在であるようです。これは 道徳です。経験思考です。非思考ではありません。といったところです。< この文は、言い回しが難しすぎるのか うまく理解できませんでした。 今風邪引いていて 頭が痛いせいで、考える力がボケねてるせいかもしれませんが。 * 「エホバ」については、こちらも 時間がとれないという感じですので、それでは論議しても意味がなさそうだという感じとなります。 私の方も ここでの論議としては ここまでとさせていただきます。
お礼
arayata333さん ご回答をありがとうございます。 さて 最後だとのこと 重ねて ここまで おつきあいを頂き 感謝申し上げます。 今回のご投稿内容に かんたんに触れて あたらしい舞台へとすすむ所存です。 プラトンの善人の話が 新約聖書つまり要するに イエスの種本であるという見解についてですが まづ そうであっても なくても まったく構いません。問題は イエスの場合 その指し示す神は プラトンのごとく 善の極致のことではなく――もしそうであれば 思考の内に捉えられる精神の産物です ですから そうではなく―― 善悪を超えたところの非思考の領域だという意味でした。 《非思考》は もっと 単純です。無根拠という意味です。理性的な経験合理性にもとづく根拠は いっさい 無いという意味です。(げんみつには 根拠があるかないかが 分からないと言うべきですが)。 具体的には 神については 分からないと言わざるを得ません。神は何でないかしか 人間にとっては 分かりません。《善》なる概念でもありませんし 《至高の善人》でもありません。そういうふうに分かるだけです。 神は何であるかは たとえば 愛である / 義である / 遍在する知性であり感性である 等々と定義したばあい それらは 飽くまで 仮りのしるしとして 述べているという意味です。 すべては 神を代理する表現です。神という言葉も 代理表現です。もっとも中立な言葉は 《絶対》になります。 ブッダは 人間であるゆえ ほかの人間が その境地を超えることが出来る――このご見解に そのまま 賛同します。プラトンあるいはその描く善人像を超えることが出来ると言うのと 同じような思想情況だと考えます。 それでは これで ひとまづ 第一幕なり第二幕なりを終えることになるでしょうか。テーダニ カムサハムニダ。
お礼
littlekissさん こんばんは。ご機嫌いかがですか。ご回答をありがとうございます。 さらに迫ってまいりましょう。 道端に横になっていた酔っ払い(?)の人を助けようとしたlittlekissさんは うつくしい人です。 お風呂を毎日 家人に 入るように勧めたお滝さんを紹介するlittlekissさんは うつくしいです。 北野武のえげつない思想を超えて ほかの人びとの心を気遣うlittlekissさんは きれいな心の美しい人です。 サリン事件を起こしても オウム真理教を擁護する(その非を指摘するのを避ける)中沢新一をかばうような振る舞いをするlittlekissさんは 心の美しくないうつくしい人です。 このような《干渉》です。 ▲ 抒情詩は世界を消してしまう。 ☆ そのような抒情詩の世界を書いた作品の中に 自分を 浸らせる読者も 《世界を消してしまう》ような趣味の人になるのではないでしょうか。(かなり 論証抜きに 断定していますが)。 生死や人格がかかっている問題をめぐっては 《角をためて牛を殺》しても いいのではないでしょうか。