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白虎隊は戦の当日、ご飯を食べ損なってそれが疲労を呼び判断を誤らせたと聞

白虎隊は戦の当日、ご飯を食べ損なってそれが疲労を呼び判断を誤らせたと聞きました。食べ損なったのは朝飯ですか昼飯ですか。また、どうして食べ損なったのですか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

白虎隊が自決を決めた直接の原因は、会津若松の城下町の一部が燃えているのを城が燃えている、つまり落城したと勘違いたというものです。 その落城したとの勘違いした原因がご飯の食べ損ないによるものだということでしょうか。初めて聞いた話ですが、私は充分ありえるとは思います。 そんなことはバカげた話だとおっしゃる方はスポーツのときのハンガーノックの経験がない方でしょうね。疑うなら、食事を取らずに山登りでもやればすぐ骨身に沁みて痛感しますよ。 空腹のまま行動を続けると、ある時点から突然体がいうことをきかなくなります。疲労感がものすごくなるので当然脳みそもほとんど動かなくなります。周りの人についていくだけで精一杯となります。山登りやマラソン、トライアスロンなどの持久系スポーツでは「ハンガーノック(空腹)には気をつけろ」ということは必ずいわれます。消化に血液を取られるとパフォーマンスが落ちるので、胃腸に負担がかからないようにこまめに何度も食事をとったり、バナナやゼリードリンクのような消化が早いものをとるようにしています。 だから、空腹で疲労した状態で城下の火災を見たら「もうダメだ・・・」と思った可能性は充分起こりえると思います。 んで、食ってないのが朝飯か昼飯かは・・・さすがにそれはわからんでしょう・笑。どっちでもいいっちゃどっちでもいいと思いますし。朝飯抜きでもしっかり昼飯食っていればハンガーノックまでは起こさないでしょうから、ろくに食事そのものを食べていなかったんじゃないでしょうか、その説が正しいなら。 当時は食事をとろうと思ったら火を起こしてご飯を炊かなければなりません。今の人と違いますからかなり手早くご飯は炊けたと思いますけど、1時間か2時間はかかります。薪や米や水が手に入らなかったか、何事かでそれどころじゃなかったか。ほとんど敗残兵に近いものがありましたから、遠足気分でのんびり昼飯なんていう場合ではなかったと思います。

kokutetsu
質問者

お礼

ハンガーノックということば、初めて聞きました。とても勉強になるご回答ありがとうございます。

その他の回答 (4)

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.5

白虎隊は8月22日夕食に握り飯を食べました。 翌23日は早朝より戦が始まり、朝、昼の食事は 出来ませんでした。 戸の口の激戦とそあとの、飯盛山へ逃れるのが 精いっぱいで余裕がなかったのです。 夕暮れに城の方の煙を見て、落城と誤った判断で 自刃しました。 疲労、空腹も多少は影響したでしょうが、判断の 誤りの主たる原因は隊長不在によると思います。

参考URL:
http://inoues.net/club/aidu_byakkotai.html
kokutetsu
質問者

お礼

朝めしぬきは、きつかったでしょうね。腹がへってはいくさができぬといいますから。リーダー不在が原因とは、今の日本みたいです。ありがとうございました。

回答No.4

戸ノ口原の戦いですが、会津藩は白虎士中二番隊だけがここにいたのではありません。 前夜、農兵部隊と合流しています。 翌日、何故か白虎士中二番隊だけが突出して攻撃、薩摩藩兵10名(白虎士中二番隊は50名)と遭遇し銃撃戦となりました。 新政府軍の別働隊が市中に突入(約400名)し、城を半包囲します。 白虎士中二番隊は戸ノ口原で敗北して飯盛山に20名が到着し、城下の火事を見て城が落ちたと誤解して切腹しました。ちなみに20名は城に戻っています。 ご飯が原因とするならば全員死んでいます。ですが冷静な判断をしたのが半分いるのです。 鶴ヶ城包囲戦は新政府軍4百名(大砲12門)に対して会津兵4千名(大砲50門)でした。 終戦時の会津藩は小銃弾20万発を保有していました。

kokutetsu
質問者

お礼

半分の人が冷静な判断をしていたとは、勉強になりました。非常時でこそ、冷静であることは大事ですが、また、難しいことですね。ありがとうございました。

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.2

私の母親が会津出身なので白虎隊士中二番隊自刃の地である「飯盛山」に何度も行ってます。 飯盛山から望む「鶴ヶ城」は遠いです。 鶴ヶ城周辺の武家屋敷が燃え盛るのを落城したと見誤るのも無理はないです。 白虎隊士中二番隊の悲劇 前夜の雨は小雨でしたが、最後の食事になる「握り飯」で腹ごしらえした後に、隊長の日向内記は本陣に食料調達に戻りました。 折しも、台風の影響で雨足が強くなり隊長は道に迷ってしまいます。 いつまでも戻らぬ隊長に残された隊員は、副隊長の篠田儀三郎に行動を一任しました。 夜を徹して朝を迎えた後に副隊長篠田儀三郎の指揮の元で政府軍と戦いましたが、圧倒的な政府軍の数に負傷者を出し敗走します。 そして、たどり着いたのが飯盛山です。 飯盛山から見た鶴ヶ城は周辺の武家屋敷が燃える炎で落城したかに見えたそうです。 若干16~17歳の若者20名は失望のあまり互いに刀を差し合ったり切腹して自決しました。 この様子は、1名の生き残りである飯沼貞吉によって語り継がれました。 生き残った飯沼定吉は貞雄と改名して明治政府の逓信省の技士として勤めた後に遺言により白虎隊の仲間が眠る飯盛山に埋葬されてます。 白虎隊の名誉の為に回答しましたが、空腹で判断を誤ったのではありません。 参考URL http://www.geocities.jp/isami1331/BYAKKO.html

kokutetsu
質問者

お礼

空腹、疲労、判断力低下というながれは誰でもあることなので、もし、そうだとしても名誉うんぬんということはないと 思いますが。

  • ttt1214
  • ベストアンサー率20% (65/323)
回答No.1

飯が食えなければ、判断を誤りますか?? 白虎隊が、飯くえないから判断誤って、なんてどこの学者さんが発表したのでしょうか。 その事を発表した学者はバカそのものです。 武士道、今の日本人は忘れかけていますが、 白虎隊も赤穂浪士同様に、若年ながらも忠義を貫いて、自決したのです。 飯が食えなくて判断誤ったなんて、白虎隊の諸君に対して、失礼な話しです。

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