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戦国時代に足軽などが背中にさしていた旗について質問です
戦国時代に足軽などが背中にさしていた旗について質問です よく戦国系を扱ったドラマを見ると、合戦シーンで足軽が旗を背中にさしてますよね?どれも綺麗に同じ旗をさしていますが、戦国時代の頃は当然、まったく同じように旗をデザインするのは不可能でしたよね?だとすると、旗のデザインにも結構なバラツキがあったのでしょうか? ※ちなみにここで言うデザインが違うと言うのは、絵が違うと言う意味ではなく、絵は同じでも雑に書いてあるものもあれば、丁寧に書いてあるものもあったということです※
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あれはドラマの演出です。 旗指は「持ってきてよい」と親方様に言われた人のみが旗指係に持たせて従軍できます。 北条家家臣知行25貫目の場合 馬引き兼旗持ち 二間槍兵 騎馬兵 の3人で登城せよという文が残っています。 この場合の家紋は親方様のではなく、自分の家紋です。 100本の旗があったなら100種類の家紋がなびきます。 さて同じ柄の場合ですが、有名な『毘』も数種類確認されており、大きさも字体も違っています。 そもそも上級ランクは旗ではなく装飾品だったりします(駕籠・扇・瓢箪など)
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- wild_kit
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回答No.1
型染めという方法を使ったと思われます。
質問者
お礼
回答ありがとうございます!
お礼
回答ありがとうございます! そうでしたか^^;では、味方か敵の区別はどうやって行っていたのですか?味方であっても、足軽が全ての家紋を理解しているとは思えないので不思議です…