- ベストアンサー
戦国時代の 合戦について
合戦のとき、よくドラマなどで、騎馬隊が背中に白い大きな袋をつけて、複数で走っているのを見ますが、あれは何か意味があるのでしょうか? 前から、不思議に思っていました。 相手を威圧する?道具かなにかでしょうか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
母衣(ほろ)です。もともとは相手の矢を防ぐための布です。 初期の用いられ方としては、騎馬武者が背中に背負った大きな布を”前に”垂らして矢の直撃を避けました。最初はただの白布でしたが、色染めにしたり模様を入れたりして個人の武勇を誇る装飾的な意味も持つようになりました。また、風をはらんで大きく膨らむ姿が勇壮に見えたことから、次第に竹籤などでちょうちんのように膨らませるようになりました。このため前に垂らす事ができなくなり、後期には装飾的な意味づけが主になりました。 徒歩の侍も背負った例がありますが基本的には騎馬武者の道具で、一定以上の身分の者が付けることを許される場合が多かったので、名の有る武士であることを示すものでした。
その他の回答 (3)
- gutoku2
- ベストアンサー率66% (894/1349)
平安時代末期から鎌倉時代には、騎馬と弓が戦の主役になっていま した。 騎馬は弓で狙われると防御が困難です。そこで背中に長い布をたわ ませて、馬が駆けると風をはらんでふくらんで背面からの流れ矢を 防ぐ防具として母衣を使用していました。 室町時代には、内部に籠などを入れて常にはらんだ形状となり、次 第に実用的な防具から指物の一種として装飾的に使われるようにな りました。 ご質問は、戦国時代ですので、この時代は ○指物の一種として使用(装飾具と考えても良いかと思います) ○使番(殿様の命令を、部将に伝える役目)を示す目印 ※織田信長の赤母衣衆、黒母衣衆 ※豊臣秀吉の黄母衣衆が有名 として、使用されていました。
お礼
大変よくわかりました。 わざわざ どうもありがとうございました。(^_^)
- cyuucyuu
- ベストアンサー率13% (19/139)
目印(アピール) 兜、鎧が派手な場合もある 成果を上げても、目立たなければ評価無し
- kth369
- ベストアンサー率47% (19/40)
母衣でしょうか。 味方からの流れ矢を防ぐための装備らしいです。
お礼
よくわかりました。 わざわざ どうもありがとうございました。(^_^)
お礼
大変よくわかりました。 わざわざ どうもありがとうございました。(^_^)