- ベストアンサー
茶の十徳も一度に皆について
茶の十徳も一度に皆について 登場人物について、誰がでているか、それぞれの人はどんな人か教えてください。 また、大まかな訳について、重要だと思われる点をふまえてお願いします。 一応、調べてみたんですが、現代語訳がなくて困っています。 お願いします。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
茶の十徳とは 1、諸仏加護 2、五臓調和 3、孝養父母 4、類脳自在 5、寿命長遠 6、睡眠自在 7、息災延命 8、天魔随心 9、諸天加護 10.臨終不乱 意味は四字熟語でお調べください。調べなくても漢字を見れば意味がわかりますけれどね。 敦賀の町はずれに小橋の利助という男がいました。 この男は担い茶屋(街頭で一杯づつ茶を売る商売、言わば移動喫茶店)を小ざっぱり、綺麗に作り上げて、襷掛け、括り袴(裾を紐で縛る仕様の袴)に奇天烈な(奇妙な)烏帽子(えぼし;平安時代正式な服装着用時に成人男子が冠った帽子)と言う出立ちで、その日暮らし(今で言う日雇仕事のような商売)を辻立ちの商(街頭の市でする商売)として、行っていました。 人より早く市場に出て、「恵比寿の朝茶」という名で売っていたので、(恵比寿三郎は七福神の一人、烏帽子を冠っている)喉の渇いていない商人達もこの茶を十二文で買ってくれるようになりました。(普通、立売りの茶は一服1文、恵比寿の格好をしているので、縁起を担ぐ商人たちは高い金を払ってまで茶を飲んだ) 利助は日が経つにつれて儲けを重ね、喫茶以外に茶の葉も売るようになり、だんだん商売の規模を大きくして、多くの手代を抱える茶の大問屋に成長しました。 そうなると、世間の大所帯の商売人の家々から婿に迎えたい(利助を)との申し出が来るようになったけれど、利助は、「身代が一万両にならぬうちは女房をもらわない。四十までは遅くない」と言って、申し出を断り、金が貯まるのを楽しみとする独身生活を相変わらず続けていました。 そんな暮らしをしていると、金銭に執着する気持ちが強くなり、(金が出来ると猜疑心が強くなり財産を守ろうとするのは常の事)道理(道徳)に反する悪い心が起こるようになりました。(金銭に対する独占欲) 手代(今で言う課長のような役職の社員に当たる)を越中や越後に(富山、新潟辺り)遣わし(行かせて)京染物(京都風の染物に使う)材料にするとの口実(言い訳)で茶の煮殻を買い集めては、これを飲み茶に混ぜて販売して暴利を貪り得たのだった。(実際の茶葉よりも茶殻は二束三文だから混ぜて売ると莫大な利益が出る。因みに江戸時代は完全リサイクル社会で、使ったちり紙や竈の灰まで買い集める商売があった。) ところが、これを天(人間世界に対して使われる)が咎めたのであろうか、利助は急に気が触れて(きちがいのようになる)、自分の悪事を「茶がら茶がら」と(茶殻を混ぜて売っている事)を自ら言いふらしたので、(買い集めた茶殻を再生して普通の茶に混ぜて売っていた事を気が触れたので自ら喋って)世の中の人達との付き合いがすっかり途絶えるようになってしまいました。(人が敬遠して遠ざかるので) 病気になっても医者を呼んでも誰も来る者が無く、その内段々利助は身体が弱って臨終(死ぬ間際)も近くなりました。 大好きな茶も喉を通らなくなり、いよいよ息を引き取る間近になって、店の人間に言いつけて蔵に蓄えた金銀を取り出させて、自分の寝床に敷き詰めさせ、「わしが死んだらこの金銀は誰のものになるのか。思えば惜しい悲しい」(俺が死んだらこの莫大な金銀は誰が取るのだろうか、と、考えたらとても悔しいと、金銀にしがみ付いて血涙(苦しいときに流す涙を血涙と表現する)を流すのだった。利助の金銭に対するしがみ付いたりするそのあまりの凄まじさに店の召使いたちも寄り付かなくなり、二、三日して物音がしなくなったので、家の者が中をのぞいてみると、利助は金銀にしがみつき目を開けたまま死んでいたのです。 その様子を見た人々は生きた心地もせず、利助の亡骸を駕籠に押し込んで火葬場へ送ろうとしたが、途中で雷火に亡骸を取られて利助は亡霊となってしまったのである。 と言うような事が書かれています。 登場人物は話の主人公の敦賀の利助以外はその他大勢で、この話の筋書きに必要な添え物ですから何人と特定する必要はありません。 喫茶には十徳があると言われているのにその茶をもって悪徳商売に利用し、挙句狂い死。 商売人の銭ゲバ、悪心を戒めた話の一つです。 現代はそういう人も世間には多いですよね。(^^) 明治以前の文章は声に出して読んでいる内に意味が判って来ます。 多くの優れた文を青空文庫などで読んでみてください。日々励めば豊富な語彙が身に付いてくるでしょう。
お礼
ありがとうございました。