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夏至に8尺の棒の影が1尺5寸になる地点はどこでしょうか?周髀算経の謎

夏至に8尺の棒の影が1尺5寸になる地点はどこでしょうか?周髀算経の謎 周時代の天文算術書「周髀算経」に、咸陽付近では夏至の日に8尺の棒の影の長さが1尺5寸になると書いてあるそうですが、影が短すぎます。 私の計算では、北緯34.50度での夏至の日の8尺の棒の影は約5尺5寸です。逆に1尺5寸の影ができる棒の長さは2尺1.8寸です。 計算式 影の長さ=棒の長さ X tan(34.50度) 基準の棒がもっと短いのか、観測地点が遙か南方なのか、それとも私の計算間違いか、どういうことだと思いますか?

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回答No.2

N0,1の回答の図です(下で図の添付にどういう訳か失敗しました)

seastar3
質問者

お礼

もうすぐ秋分の日ですが、レイラインの記事を読んでみるととても興味深いです。 そして、北緯34度付近の地名のメッセージも偶然か真実か興味深いものがあります。 長崎県対馬の厳原(いづはら)-広島県厳島(いつくしま)神社-兵庫県淡路島妙見山(伊勢の森)-大阪府和泉市-三重県伊勢・津-静岡県伊豆半島 「いつ」の音を西から並べて、古代人は何を伝えようとしたのでしょうか。また古代の朝鮮半島の勢力も日本に一目置いたのもこの緯度上の神聖な天文儀式が原典通り実施できる聖地を完備できたからかもしれません。 また、徐福伝説の徐福も本名は徐市(じょいつ)というそうで、なにか所縁がありそうです。 fumiyahamaさんのご回答に乗じて、珍説をあげて恐縮ですが、「周礼」の記述に注目すると様々な手掛かりが浮かび上がってきて、古代のメッセージに気が付いたわけです。 どうもありがとうございました。

seastar3
質問者

補足

実はこのことは、鳥居の起源を問う中で偶然に「周礼」の記事をネットから知りました。 「さかもとなおやの考える世界」 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/4875/sinto.html やはり、古代の測量器具があったことが裏付けられたと自分なりに納得できました。 八尺の棒を神の依り代として、まず南北の方向を定め、東西に並べてもう1本の柱を建てたのでしょう。 その測量の名残として手水場があるのではないでしょうか。 また、夏至の祭りの名残とも考えられる茅の輪くぐりの祭も、輪を8の字にくぐるのが正式だそうで、南中高度の周期的変動を象徴しているのかもしれません。 イザナギイザナミの柱を回る子作り儀式も8の字に巡った可能性があります。 ちなみに「鳥居の起源」の質問は、 http://oshiete1.nifty.com/qa5907260.html です。

その他の回答 (1)

回答No.1

ネットで拾ってきました。ご存じかもしれませんが、URLは下にあります。 内容の一部ですが・・・・・・・ 周の地で夏至の日(南中時)に、地面に垂直に立てた八尺の周解の影の長さは一尺六寸である。南に千里の地においては影は一尺五寸、北に千里の地においては影は一尺七寸である。よって、八尺の股(周髀)に対する勾(影)の差一寸は、地上の距離にして千里に当たる。これが「一寸千里の法」である。現代の我々の知識からすれば何とも幼稚極まりないし、その方法の誤りも明らかであるが、ともかく、古代の中国人は、この一寸千里の法により天地の大きさを具体的に知ろうとしたのである。 ・・・・・・・とあります。 図もあります。

参考URL:
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku14/atogaki.html
seastar3
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 改めて計算すると、大きな勘違いをしておりました。 夏至の日の太陽の南中高度は、90度-その場所の緯度+23.4度になるので エクセルに以下の式を打ち込んでみると、 =TAN(RADIANS(90-34.1+23.5)) 5.34になります。 このタンジェントの値を15に掛けると、答が80.15になり、記述に近似します。 ちなみに、彼岸の日の太陽の南中高度は、90度-その場所の緯度 で、緯度34.1のときにこのタンジェントの値で80を割ると、55.6になり、影の長さは55.6寸になります。 同様に冬至の日の太陽の南中高度は、90度-その場所の緯度-23.4度になるので、緯度34.1のときにこのタンジェントの値で80を割ると、0.62になり、影の長さは129寸になります。 こんなに大きく変動しているのかと驚きました。 西安(長安)の緯度はおよそ北緯34.1度です。洛陽の緯度はおよそ北緯34.6度です。 明日香村がおよそ北緯34.5度、伊勢神宮がおよそ北緯34.4度です。 原始的なオカルトと切り捨てるのも乱暴な気がするのですが、もしかしたら「一寸千里の法」は日本にも伝わってきたのではないでしょうか。 京都が北緯35度で、これを同様の式に当てはめると、16.3寸になり、明日香付近との2点の南中高度の差を測定し比較していたのではないでしょうか。 また、こじつけっぽいですが、笏の長さが一尺五寸すなわち15寸で、「周髀算経」あるいは「周礼」の影の長さの記述が起こりなのかもしれないと考えたりしたのです。 どんなものでしょうか?

seastar3
質問者

補足

この質問の動機は、広島県の厳島神社の伝説を元に伊勢神宮と西安が同じ緯度であることに気が付き、北極星か太陽の南中高度を観測していたと推理したことが発端です。 緯度を測った道具が三種の神器かとか、綱かと考えていたところ、邪馬台国論争で引用される「周礼」の八尺の棒(周牌)の記述を知りました。80:15の比率が重要だったのです。 また8という数は、易の八卦に通じ、3:4:5の直角三角形の倍の6:8:10を意味する数です。 8尺のそれぞれの節に象があり、3平方の定理で、36+64=100という数式を完全な数の構成として、オカルト的に伝承していたのかもしれません。周易の64の卦もこの数学体系に含まれる可能性があります。 また、七枝刀の八つの節や、百合という文字は、このメッセージを暗示するのかもしれません。 鳥居の原型は高さ8尺、間隔6尺、その2柱の上に綱を張ったような形だった可能性を思いつきます。 すべては仮説で偶然か真実かまだ分かりませんが、太陽と星の観測という視点で古代のメッセージを読み解くとこのような解釈もあり得る気がするのです。

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