ベストアンサー 万葉集のこの和歌について教えてください。 2001/04/06 21:16 万葉集の第4巻 668の、 朝に日に 色づく山の白雲の 思い過ぐべき 君にあらなくに の解釈〔意味〕を教えていただけませんでしょうか? どうぞよろしくお願いいたします。 みんなの回答 (3) 専門家の回答 質問者が選んだベストアンサー ベストアンサー sesame ベストアンサー率49% (1127/2292) 2001/04/07 18:15 回答No.3 >>「日本古典文学大系版(校注?)」などというのは簡単に本屋さんで手に入るものなのでしょうか?・・・ 岩波書店の「日本古典文学大系」は1955年刊なので、現在では古書店めぐりをしないと手に入らないと思います。 しかし、同じく岩波から「新日本古典文学大系」という新しいシリーズでも万葉集は出ています。 こちらは1999年刊なので、新刊書店で入手可です。4,500円と割高ですが…。 万葉集は他にも以下の全集に収められています。 買うと高いですが、ちゃんとした図書館になら少なくともどれかのシリーズは入ってるはずです。 小学館・日本古典文学全集 小学館・新編日本古典文学全集 新潮社・日本古典集成 講談社学術文庫 一番お値段が手頃なのは講談社学術文庫ですね。 でもこれ、品切れ・再版予定なしで、意外と入手は困難です。 参考URL: http://library.u-gakugei.ac.jp/lbhome/dok/dok1.html 質問者 お礼 2001/04/07 23:19 詳しくて丁寧なご回答、本当にありがとうございました。 まずはじっくり読んでみます。 今後ともよろしくお願いいたします。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 その他の回答 (2) Alias ベストアンサー率59% (173/293) 2001/04/06 23:04 回答No.2 大意はsesameさんのおっしゃるとおりでしょう。「朝に日に」は「あさに『け』に」と読みますね。「朝に日に色づく山の白雲の」までの全体が,「忘れすぐべき」を引き出す一種の喩え(序詞)ですが,同時に「だんだん色づいていく山」や「白い雲」という色彩表現によって「君」の美しさのイメージを喚起する働きもしています。 この時代に二人称の「君」といえば女性が男性に呼びかける場合がふつうですから,男性である厚見王が詠んだこの歌は,王が戯れに女性のふりをしたか,冗談半分に女性に詠みかけたか,そんなところのようです。 質問者 お礼 2001/04/07 13:00 どうもありがとうございました。(どうしてそんなことまで知ってらっしゃるの?)・・・というのがわたしの率直な感想…。 丁寧なご説明どうもありがとうございました。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 sesame ベストアンサー率49% (1127/2292) 2001/04/06 21:33 回答No.1 「朝々、日々に色づいて行く山の白雲のすぎ去るように、思い過ぎ去り忘れ果ててしまうような君ではないのに」 (日本古典文学大系版校注) とあります。若干補足すると、 「朝に日に」は朝ごと、日ごとに、という意味。 「白雲の」は「~ように」という直喩がこめられた表現で、和歌ではよく使われます。 万葉末期の歌人、厚見王の歌です。 質問者 お礼 2001/04/07 12:49 いつも早速のお返事恐れ入ります。ありがとうございました。 ところで重ね重ね申し訳ありませんが、「日本古典文学大系版(校注?)」などというのは簡単に本屋さんで手に入るものなのでしょうか?・・・ 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 カテゴリ 学問・教育人文・社会科学文学・古典 関連するQ&A 万葉集の口語訳をお願いします 以下の万葉集の口語訳をお願いします 花ぐはし 桜の愛で 如此愛(ことめ)でば 早くは愛でず 我が愛ずるこらよ かはず鳴く 甘南備河(かむなびかは)に 影見えて 今か咲くらむ 山振の花 山振(やまぶき)の 立ち儀(よそ)ひたる 山清水 酌みに行かめども 道の知らなく お願いいたします 万葉集のお勧め本 万葉集を、1日1首のようなゆっくりしたペースで読みたいと思います。 たくさん出版されていてどれにしようか迷います。 現代語訳と解釈、作者や歌の背景などがやさしく解説してしてあるお勧め本を紹介してください。 全くの趣味で読むので、学術的、文法的な解説よりも、読んで楽しく万葉の時代に空想の世界が広がるような本をお願いします。 さらにわがままを言わせていただければ、安価で書店で入手しやすいものが嬉しいです。 萬葉集 巻第一17、18に関して 小学館 日本古典文学全集 『萬葉集1』からの転載です。 額田王、近江国に下る時に作る歌、井戸王の即ち和ふる歌 17味酒 美輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや 反歌 18三輪山を 然も隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや 右の二首の歌は、山上憶良大夫の類聚歌林に曰く、「都を近江国に遷せし時に、三輪山を御覧す御歌なり」 といふ。日本書紀に曰く、「六年丙寅の春三月、辛酉の朔の己卯に、都を近江に遷す」 といふ。 さて、NHK教育TV『日めくり万葉集』7/13放映によれば18は額田王作だそうです。何故彼女の作だと言えるのかが分かりません。回答の形式はご自由ですが知りたいことは下の通りです。 1. 序詞の「額田王、近江国に下る時に作る歌、井戸王の即ち和ふる歌」とはどう解釈するのか。「17を額田王が詠い、18を井戸王が返した」と読むのか。「17を井戸王が詠い、18を額田王が反した」と読むのか。どちらでもないのか。要するに、誰が17を詠み、誰が18を返したのか。 2. 小学館版の解説では、類聚歌林の記事は2首とも天智天皇作だと述べていると解釈していてNHK説と対立しているように(私には)読めます。NHK説は定説なのか、一つの学説なのか。また類聚歌林がいうように同一人物が反歌まで詠うことがあるのか。更に、類聚歌林は2首とも同一人物の歌と述べているのではなく、一行が近江国へ去るに際して雲に隠れている三輪山への思いを額田王と井戸王が詠んだ歌だといっているのか。 よろしくお願いします。 天文学のお話。日本ではどのように考えられていた? OKWAVE コラム 栄花物語と源氏物語の万葉集について 栄花物語 月の宴には、 昔、高野の女帝の御代、天平勝宝五年には、左大臣橘卿、諸卿大夫等集りて、万葉集を撰ばせたまふ と孝謙天皇の勅撰とありますが、 源氏物語 梅枝には、 嵯峨の帝の古万葉集を選び書かせたまへる四巻 と嵯峨天皇が撰んだとも読めるようにあります。 このほぼ同時期に書かれた二つの物語の相違はどう解釈されているのでしょうかお教え下さい。 読みやすい万葉集の本 質問させていただきます。 先日JRの新幹線で移動中、座席にイヤホンをさして聞けるラジオ? のようなものを聞いていたのですがおそらく万葉集の歌を読んだ後 これはこういうような意味で、この人はこういう思い出書いたのでしょう というような事を説明する放送?がありました。 当方、恥ずかしながら中学校以降まともに授業を受けずにいた為 古事記だとか万葉集だとかそういうものが全然わかりません。 そもそも、それもなんの文献のものだったのか正確ではありません…。 内容としては、想い人を待ち続ける女性の歌だった気がします。 こういうものが乗っている歌集は万葉集でしょうか? とても綺麗な内容の歌でした。 こういった類の歌が乗っていて、注釈?有りのわかりやすく説明してある本はないでしょうか? それこそ小学生や中学生のレベルでもわかるような勉学の為ではないわかりやすい本がよいです。 上手く説明できませんでしたかよろしくお願いいたします。 古今和歌集 古今和歌集の巻九にある 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも についている左注 このうたは、昔仲麿をもろこしにもの習はしにつかはしたりけるに、あまたの年をへて、え帰りまうでこざりけるを、この国よりまた使ひまかりいたりけるにたぐひて、まうできなむとていでたちけるに、明州というところの海辺にて、かの国の人、むまのはなむけしけり、夜になりて月のいとおもしろくさしいでたりけるを見てよめる、となむ語り伝ふる の訳、解説を教えてください。 授業を休んでしまって、訳、解説が聞けなくインターネットで探してみても出てきません。 簡単にでもいいですので、よろしくお願いします。 万葉集の山部赤人の富士山の歌について 万葉集の中で山部赤人は 天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は という歌を歌っていますが この歌の 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は という部分の大意といいますか、山部赤人がどういう時に歌ったのかをできるだけ詳しく教えてください。 和歌の出典と解釈 質問は3つあります 1「よよふとも忘れ形見の思いでは 袂に月の宿るばかりか」 耳で聞いたので原文が分からない。西行の「山家集」が出典らしいが出ていない。原文、解釈出典が分かればありがたいです。 2「思へども身をしわけねば目に見えぬ 心を君にたぐへてぞやる」 これも聞いただけで、原文、作者、出展が分かりません。できればどういう場面で作者が読んだのかが知りたいです。 3 あと、月を詠んだ歌で、あなたと離れていても月を見ればあなたの事を思い出す。あなたも私も同じ月を見ているのだから・・・といった意味合いの歌があったと思うのですが、原文を忘れてしまいました。もし心当たりありましたら教えてください。よろしくお願いします。 万葉仮名「者」について 国語学を勉強している者です。 今、萬葉集で助詞として使われる「者」について調べています。 「者」はハと訓む万葉仮名ですが、和歌の中には下記のようにバとして解釈されているものが多くあります。 獨耳 見者戀染 神名火乃 山黄葉 手折来君 (ひとりのみ見れば恋しみ神なびの山の黄葉手折り来り君) 樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛 (楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも) 神左振 磐根己凝敷 三芳野之 水分山乎 見者悲毛 (神さぶる岩根こごしきみ吉野の水分山を見れば悲しも) これらはみな、[已然形+ば]で順接の確定条件を表しているように見えます。(順接の仮定条件は中世以降に加わった表現のため。) そこで質問なのですが、一字一音の文におけるこれらの「者」が、なぜハでなくバと訓むと分かるのか、その根拠はなんなのか。また、その「者」の前にくる動詞が未然形接続や連体形接続(「者」を係助詞と考える場合)だとも考えられるのに、なぜ已然形だと判断できるのかをお教え頂きたく思います。 万葉~平安の和歌に詠まれた七夕について 新古今和歌集の秋の部を読んでいて気になったことを質問します。 1.旧暦の七夕は、新暦では8月8~25日の間と思います。 2.万葉集・古今・新古今ともに七夕は秋の部に入っています。 今の8月と捉えるにしては随分と秋が深まっている表現が目立ちます。 前後の歌も紅葉や薄、白露などで9月以降の気候を連想させます。 歌については下に列記しました。 これはどのように考えたらよいでしょうか?次のような要因を考えましたが、全く自信はありません。 a.現在の暦の8月の頃は今よりも早く秋らしい気候だった。 b.七夕の時期がもっと遅く行われていた? c.情緒を際立たせる目的で秋の風情を強調した この題目にお詳しい方、このように思うと解釈お持ちの方、どうぞお聞かせ下さい ------------------------------------------------------------------- 新古今和歌集巻第四秋歌上 313 大空をわれもながめて彦星の妻待つ夜さへひとりかも寝む 314 この夕べ降りつる雨は彦星のと渡る舟の櫂のしづくか 315 年をへてすむべき宿の池水は星合の影も面なれやせむ 316 袖ひちてわが手にむすぶ水の面に天つ星合の空を見るかな 317 雲間より星合の空を見わたせばしづ心なき天の川波 318 七夕の天の羽衣うち重ね寝る夜涼しき秋風ぞ吹く 319 七夕の衣のつまは心して吹きな返しそ秋の初風 320 七夕のと渡る舟の梶の葉に幾秋書きつ露の玉章 321 ながむれば衣手涼し久方の天の河原の秋の夕暮れ 322 いかばかり身にしみぬらむ七夕のつま待つ宵の天の川風 323 星合の夕べ涼しき天の川もみぢの橋を渡る秋風 324 七夕の逢ふ瀬絶えせぬ天の川いかなる秋か渡りそめけむ 325 わくらばに天の川波よるながら明くる空には任せずもがな 326 いとどしく思ひけぬべし七夕の別れの袖における白露 327 七夕は今や別るる天の川川霧たちて千鳥鳴くなり 古今和歌集 173 秋風の吹きにし日より久方の天の河原に立たぬ日はなし 174 久方の天の河原の渡し守君渡りなばかぢかくしてよ 175 天の河紅葉を橋にわたせばや七夕つめの秋をしも待つ 176 恋ひ恋ひてあふ夜は今宵天の河霧立ちわたり明けずもあらなむ 177 天の河浅瀬しら浪たどりつつ渡りはてねば明けぞしにける 178 契りけむ心ぞつらき七夕の年にひとたびあふはあふかは 179 年ごとにあふとはすれど七夕の寝る夜の数ぞ少なかりける 180 七夕にかしつる糸のうちはへて年のを長く恋ひや渡らむ 181 今宵こむ人にはあはじ七夕の久しきほどに待ちもこそすれ 182 今はとて別るる時は天の河渡らぬ先に袖ぞひちぬる ※万葉集 大伴家持歌 4306 初秋風涼しき夕べ解かむとそ紐は結びし妹に逢はむため 4307 秋といへば心そ痛きうたてけに花になそへて見まくほりかも 4308 初尾花花に見むとし天の川へなりにけらし年の緒長く 4309 秋風になびくかわびのにこくさのにこよかにしも思ほゆるかも 4310 秋されば霧立ち渡る天の川石なみ置かば継ぎて見むかも 4311 秋風に今か今かと紐解きてうら待ち居るに月傾きぬ 4312 秋草に置く白露の飽かずのみ相見るものを月をし待たむ 4313 青波に袖さへ濡れて漕ぐ舟のかし振るほとにさ夜更けなむか 万葉集の短歌の意味 邦楽の演奏会に頼まれてコーラスを付けることになりました。 歌意の解釈と詠み人についてご指導下さい。 歌詞として楽譜に記載されているため、そのまま仮名書きで転載させて頂きます。 ・あきのたのほむきみがてりわがせこはふさたおりけるおみなえしかも 秋の田の穂がなびくのを見ながら私の夫(恋人)が皆手折っている 女郎花であることよ (詠み人?) ・あしひきのやまのこぬれのほをとりてかざしつらくはちとせほぐとぞ 山の梢のその先端を折りとって頭上にかざしたのはこの先長く 良いことがあるとのこと (詠み人) ・しなざかるこしにいくとせすみすみてたちわかれまくおしきよいかも 北越に何年も住み継いできて今別れて任地に赴いていく 別れのつらい夜であるよ (詠み人?) ・たちやまにふりおけるゆきをとこなつにみれどもあかずかむからならし 歌意 ? 詠み人 ? 何とかここまで調べてみました。間違っているでしょうか ご指導よろしくお願いします。 万葉集の文法解釈で悩んでいます。:ひさかたの月夜を清み梅の花こころ開けてわが思える君 万葉集にある、私の好きなこの歌の文法解釈にこだわっています。 『月夜を清み』の『清み』は、他動詞上二段活用『清む』の連用形と考えていいのでしょうか?(み、み、む、むる、むれ、みよ) 旺文社古語辞典では、『清む』は他動詞下二段活用としかありません。(め、め、む、むる、むれ、めよ) そして、『ひさかたの月夜』は、他動詞『清む』の目的語となるわけですが、主語は何と考えたらいいのでしょうか? 岩波書店の『万葉集』全5巻では、『月の光が、とても美しいので梅の花が咲いたように、高貴な貴方様ゆえに、私の心もひらいで、あなたをお慕いしていますよ』との意訳があります。 日本史の転換点?:赤穂浪士、池田屋事件、禁門の変に見る武士の忠義と正義 OKWAVE コラム 古典の文 いつもお世話になっています。 「唐土が原に、やまとなでしこも咲きけむこそ」 という文を私は 「 万葉集が/ 平らで広く、/やまとなでしこも/咲く」 とし、万葉集が平らで広く、やまとなでしこも咲く という意味にしたのですが、これでいいのでしょうか。宜しくお願いいたします。 やまとは くにの まほろば の出典 やまとはくにのまほろば たたなづくあおがき やまこもれる やまとしうるわし という有名な歌があります。 その出典を WIKIでは 古事記の日本武尊作 説と 日本書紀の景行天皇作 と 二説上げています。 また、桜井市では 万葉歌碑として この歌を 紹介しています。この万葉は 万葉時代でなく 万葉集という意味もあるのでしょうか? この歌の出典をご存知の方、教えてください。 よろしくお願いします。 万葉集巻三、二七〇番歌について 「旅にして もの恋しきに 山下の 赤のそほ船 沖へ漕ぐ見ゆ。」 この歌は、万葉集巻三「高市連黒人旅歌八首」歌群の中の一首で、宮廷歌人である黒人が、旅をした際に詠んだ歌であるといわれています。 この歌には、歌中の「山下」を、地名と捉えるか実景と捉えるかという問題があるようですが、参考になるような意見、雑誌論文等を知っている方はいませんか? この歌群中の他の七首も、黒人の旅の歌であり、近江の地での歌が詠まれています。 僕は卒論でこの歌を扱おうと思い、夏休みに琵琶湖へ一日一食の貧乏旅行をしに行くことを決意しました。どなたか、ここだけは行っておいた方がいいぞ、という博物館等知っている方がおりましたら、教えて頂けるとありがたいのですが・・・ カタカゴについて。。 万葉集巻第十九4143で、同じカタカゴでも、詞書には「堅香子草」、歌には「堅香子」となっているのには何か意味があるのですか??また、何かカタカゴについて知っていることがありましたら、なるべく詳しく教えてください! 和歌、万葉、ジャンルは問いません。 下記のような心情を表した歌を探しています。 渡り鳥のように女性の元を遊び歩く男に嫉妬しながらもその男を慕い続ける・・ こういう恋心を詠った歌をどなたかご存じの方がいらっしゃいましたら 是非教えて頂けませんか? 宜しくお願い致します。 古今和歌集か万葉集? 古今和歌集か万葉集?(もしくは他の和歌集)の中に 「亡くなったあの人の手紙の文字を見るとその人が偲ばれて悲しい」と言った意味の和歌があったと思うのですが思い出せません。何処かの本で読んだのですが.... 御存じの方、教えて下さい。 万葉集、古今和歌集、新古今和歌集 至急よろしくお願いします。 万葉集、古今和歌集、新古今和歌集について質問です! テスト直前ですがわかりません! あと、押さえておいたら点数が取れそうなところも教えてください。 よろしくお願いします。 以下の文の区切れを教えてください。あと何句切れかも。 ●君待つと我が恋ひをれば我がやどの簾動かし秋の風吹く ●近江の海夕波千なが鳴けば心もしのに古思ほゆ ●瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来たりしものそまなかひに もとなかかりて 安眠しなさぬ (反歌) ●銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも ●春の野にすみれ摘みにと来し我そ野をなつかしみ一夜寝にける ●うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば ●信濃道は今の墾道刈りばねに足踏みましなむ沓はけ我が背 ●韓衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母なしにして ●ちはやぶる神世も聞かずたった河韓紅に水くくるとは ●山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬとおもへば ●うたたねに恋しき人を見れしより夢てふ物は頼みそめてき ●むすぶ手の滴ににごる山の井のあかでも人にわかれぬる哉 ●春の夜の夢のうき橋とだえして峰にわかるる横雲の空 ●道のべに清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ ●さびしさはその色としもなかりけり真木たつ山の秋の夕暮れ ●玉の緒よ絶えなばたえねながらへばしのぶることのよわいもぞする 古文 来週の木曜日に発表がありますが,以下の古文の意味はまだ分かりません。休日に図書館が休館するので,皆さんに教えていただきたいと思います。 み吉野の山のあらしの寒けくにはたや今夜も我がひとり寝む(万葉七四) ますらをと思へる我や水茎の水城の上に涙拭はむ(万葉九六八) なり高し。なりやまむ(源氏・少女) 花を見てこそ帰り給はめ(宇津保,梅花笠) 法師は人にうとくてありなむ(徒然草七六段) 山路来て何やらゆかしすみれ草(甲子紀行) 注目のQ&A 「You」や「I」が入った曲といえば? Part2 結婚について考えていない大学生の彼氏について 関東の方に聞きたいです 大阪万博について 駅の清涼飲料水自販機 不倫の慰謝料の請求について 新型コロナウイルスがもたらした功績について教えて 旧姓を使う理由。 回復メディアの保存方法 好きな人を諦める方法 小諸市(長野県)在住でスキーやスノボをする方の用具 カテゴリ 学問・教育 人文・社会科学 考古学・人類学文学・古典歴史経済学・経営学心理学・社会学地理学美術音楽哲学・倫理・宗教学その他(人文・社会科学) カテゴリ一覧を見る OKWAVE コラム 突然のトラブル?プリンター・メール・LINE編 携帯料金を賢く見直す!格安SIMと端末選びのポイントは? 友達って必要?友情って何だろう 大震災時の現実とは?私たちができる備え 「結婚相談所は恥ずかしい」は時代遅れ!負け組の誤解と出会いの掴み方 あなたにピッタリな商品が見つかる! OKWAVE セレクト コスメ化粧品 化粧水・クレンジングなど 健康食品・サプリ コンブチャなど バス用品 入浴剤・アミノ酸シャンプーなど スマホアプリ マッチングアプリなど ヘアケア 白髪染めヘアカラーなど インターネット回線 プロバイダ、光回線など
お礼
詳しくて丁寧なご回答、本当にありがとうございました。 まずはじっくり読んでみます。 今後ともよろしくお願いいたします。