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万葉集の文法解釈で悩んでいます。:ひさかたの月夜を清み梅の花こころ開けてわが思える君
万葉集にある、私の好きなこの歌の文法解釈にこだわっています。 『月夜を清み』の『清み』は、他動詞上二段活用『清む』の連用形と考えていいのでしょうか?(み、み、む、むる、むれ、みよ) 旺文社古語辞典では、『清む』は他動詞下二段活用としかありません。(め、め、む、むる、むれ、めよ) そして、『ひさかたの月夜』は、他動詞『清む』の目的語となるわけですが、主語は何と考えたらいいのでしょうか? 岩波書店の『万葉集』全5巻では、『月の光が、とても美しいので梅の花が咲いたように、高貴な貴方様ゆえに、私の心もひらいで、あなたをお慕いしていますよ』との意訳があります。
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No.2です。お礼をありがとうございました。 ナ-ナイ語についておぎないます。 ふつうは 語例や文例を出して説明をするものであるところ これを抜かしておりました。 ○ -mi ( じつはこれは 動作主が単数のときのかたちです。複数では -mari / -meri となります): 主動作に対して副次的な動作が 同時に(あるいは同じ情況において / そこに伴なわれているかたちにおいて)起こっていることを示す接辞です。 (1) この《同時性》は いくつかに分類されます。 (あ) 単なる付帯情況であることを示す。 (い) 主動作の様態であること。 (う) 原因 (え) 目的 (お) 名詞用法:《読み‐ mi 始める》⇒《読みを始める=読み始める》 (か) 同時並行の動作であること:《・・・しながら》 (き) 同時性を否定形において示す。《・・・せずに / ・・・しないながらも》 (2) ここでは (う)と(き)を例示します。 (う) -mi :原因を示す文例: (α) Aoyam-ba galo-mi songo -asim -bi. = 許婚‐を 憎らし‐ミ 泣く‐に非ず‐〔我れは〕。 = いいなづけが 憎いから 泣くのではないよ。 * ちなみに 《 Aoyam-ba 》の《 -ba =‐を》は 日本文で 《いいなづけ‐を‐ば》という事例に現われる目的格ヲの補充形とつながるかも知れません。 (β) Kholaori -ba ulesi -mi, nyoani tultul dangsa -ba ga- di, biblioteka -du dyapai ta -kha- ni. = 読書‐を 好き‐ミ、 彼は いつもいつも 本‐を 買っ‐た、 図書館‐で 借り〔‐を〕 し‐た‐〔彼は〕。 = 本が好きゆえ 彼は いつも 本を買ったり 図書館で本を借りたりした。 (き) em < e - mi =《無い( e- )情況をともないつつ( -mi )》の文例: * これは わたしの参照テキストが旧いもので その当時の社会情況を反映した文例となっています。 * -mari は -mi の複数形です。 (γ) Kapitalista-sal mene kusun -dieri em dyoboa -mari boldi -tyi. = 資本化‐たち〔は〕 みづから〔の〕 ちから‐で え 働か‐ずして 生活する-〔彼らは〕。 (δ) Mi ini -be tias em tainde -mi dyobo -kham -bi. = 我れ 日‐を 丸まる え 休ま‐ずして 生活し‐た‐〔我れは〕。 = わたしは 丸一日 まったく休みをとらずに はたらいた。 * アウ゛ローリン( АВРОРИН, В.А.):ナ-ナイ語文法( Гρамматика нанайского языка) * ナ-ナイ語は その周辺の――昔では マンチュー語や あるいは―― エベンキ語 そしてさらにはモンゴル・チュルク系ともつながりのある言語のようです。島のごとく孤立しているわけではないようです。 * わたしは 趣味で研究しましたので 仮説としてお受け取りくださるようお願いいたします。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ○ ナ-ナイ語 ☆ という言語が アムール川流域の地方で話されています。 この言語に ○ 同時性や付帯情況を示す論述条件詞(助詞と言いましょうか)の -mi ☆ があります。これが 日本文で ‐ミにあたると思われます。 ▲ (万葉集 4011番) ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 山高ミ 川 雄大(とほしろ)し 野ヲ広ミ 草こそ繁し ○ 《山高ミ》: ‐ミは 《〈山が高い〉という情況を示しますよ》という意味です。 ○ これが 《高いので》という条件を示す意味になるのは 文脈から出て来ます。 現代語では 《山が高くて 一日では頂上にまで登れない》といった連用形によって 理由などの条件を示します。 ○ 《野ヲ広ミ》:《〈野を広いとして〉 草が繁っている》といった条件提示でしょうが ではなぜ《野ヲ》というようにヲ格にするか? これは 日本語に固有のはたらきによると思われます。 ○ つまり 《野を行く・海を行く》というように―― 一般的な対格=目的格の用法から広がって―― 《客体と時空間いっぱいに対峙する》という格の用法だと考えられます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ おまけのお話があります。 ○ ナ‐ナイ語には 否定(欠在)動詞の e があります。(これは 韓国語の オプタ(《無い》)を連想してもらえばよいのではないでしょうか)。 ○ この e が 上の付帯条件相 -mi と組み合わさって 動詞の否定形をかたちづくる一翼を担います。すなわち e + -mi > emi > em となって この em を em + 動詞語幹 + 否定詞 ( =~しない ) の形で用います。 ☆ つまり この形態は日本文でも見られるわけで 次の用法に採り入れられています。 エ 言ハ‐ズ ∽ ヨウ 言ワ‐ン あるいは エも 言はれぬうつくしさ に当たります。つまり ○ em は 日本文で (1) em > e エ または (2) em > eN (eng) > eu > yoo ヨウ ☆ の二通りの用法に分かれているようです。 たとえば 漢語の ○ 葉=エウ > ヨウ ☆ という発音の変化の例を傍証として挙げられます。 ですから仮説ですが どうもナ-ナイ語から採りいれたものと考えられます。
お礼
とても興味深いお話をありがとうございました。 文字の無い時代の、『やまとことば』が、何千キロも離れた地域の『ナーナイ語』と共通点があるのですね。改めて、言葉とは何か、と思います。 そのような言葉で表現された、古代人の精神生活に、魅かれたり、共感を感じたりすることも、考えてみれば、不思議です。 私は、不器用な技術職で、小説ですらあまり読む暇がないほど、この年まで忙しく働いてきましたが、blagelonneさんは、こういう研究を専門になさるお仕事ですか?そのような人の生き方と直結した仕事に憧れることがあります。
- M_Sato
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【ひさかたの月夜を清み梅の花こころ開けてわが思える君】 以下、辞書からの受け売りですが―― 「を」はこの場合、目的格を示す格助詞ではなく、間投助詞です。文中で下の「…み」という表現と呼応して、「…が…ので」の意を表します。 「清み」は、形容詞「清し」の語幹に接尾語「み」がついたものです。 「み」は、形容詞および形容詞型活用の助動詞の語幹に付き、多くは上に間投助詞「を」を伴って、原因・理由を表します。…のゆえに。…によって。…なので。 したがって、「月の光がとても美しいので」という意味になります。 同じような用例では―― 【瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ】 (浅瀬の流れが速いので……)
お礼
早速お答え頂いて、とてもうれしいです。 『目から鱗』の思いで、すっきりとしました。 NHKの『日めくり万葉集』で偶然聞いた歌です。 文語の文法や古文は、中高時代あまり熱心ではなかったのですが、きちんと復習したい気持ちになりました。 ありがとうございました。
お礼
古代人の歌が、何らかの琴線に触れた時、言葉というものの、不可思議さが感じられます。 紀小鹿郎女の魂は、今まだ生きているわけですね。 言葉の起源のお話をありがとうございました。 この10日間、仕事に忙殺されていて、プライベートメールをチェックできませんでした。お返事が遅れて失礼しました。