源氏物語の翻訳について
いつもお世話になっています。。
A.Waleyの源氏物語英訳(桐壺)を読んでいます。
わからないところを教えていただいて
少しずつ読んでいかれればと思っています。
英語の勉強もしたいと思っています。
続きをよろしくお願い致します。
1)
But there was no one at Court to support such a choice and it was unlikely that it would be tolerated by the people;it would indeed bring danger rather than glory to the child.
●しかし宮廷にはそのような選択を支持する人は誰もいなかった。そしてそれが人々によって大目に見られるだろうということはありそうにもないことだった。それは実際に子供(光源氏)に栄華よりもむしろ危険をもたらすであろう。・・・・・?
2)
So he carefully concealed from the world that he had any such design,and gained great credit,men saying ”Though he dotes on the boy,there is at least some limit to his folly.And even the great ladies of the Palace became a little easier in their minds.”
それで彼は彼がそんな計画を持つ世界から注意深く隠し、そして非常に大きな信頼を得て、人たちが言う事は「彼は若宮を溺愛するけれども、彼の愚行には少なくとも多少の限界がある。そして宮廷の高貴な女性たちでさえも心が少しより安らかになる」ということだった。・・・・・・?
men sayingの用法がよくわからなかったです。
宮廷の女性たちの心が安らかになったのは帝の愚行に限界があったからでしょうか?
安らか、という表現が正しいのかどうか。。。。
3)
The grandmother remained inconsolable,and impatient to set out upon her search for the place where the dead lady's spirit dwelt,she soon expired.
●祖母(桐壺更衣の母)は悲しみに沈んだままであった。そして亡くなった桐壺更衣の魂が住んでいる場所を探す旅にしきりに出たがって、彼女はまもなく亡くなった。・・・・・?
to set out upon her search・・・・・・・uponがついている意味は何ですか?
onで継続感を与えるということがありましたが、uponも同じ継続感を与えているのでしょうか?
4)
Again the Emperor was in great distress;and this time the boy,being now six years old,understood what had happened and wept bitterly.And often he spoke sadly of what he had seen when he was brought to visit the poor dead lady who had for many years been so kind to him.Henceforward he lived always at the Palace.When he became seven he began to learn his letters,and his quickness was so unusual that his father was amazed.
再び帝は非常な苦しみの中にいた。そしてこの時、今6歳になっている少年は、何が起こり悲痛に泣いているのかを理解した。そしてしばしば彼は多年の間彼に親切だった亡くなったみじめな女性(祖母)を訪れる気にさせられた時彼が見たことについて悲しんで話した。
これからは彼はいつも宮殿にいた。彼が7歳になった時、彼は文字を習い始め、そして彼の速さはとても並みはずれだったので彼の父親(帝)はびっくりした。・・・・・・?
being now six years oldとありますが、ここはbeingと「進行形」にする必要が何かあるのでしょうか?
his letters・・・・・とありますが、ここはわざわざhisとつけなくてはならないのでしょうか?
光源氏もまだ7歳なんですね。
よろしくお願い致します。
お礼
万葉集の成立論などと本を読んでおりましたので、御礼が遅れてしまいました。感謝申し上げます。 やはり、4巻では少なすぎますね。栄花物語にいう、巻第一、巻第二がこの勅撰と呼ばれる部分という説は、読んでみました。 巻第一から巻第四まで嵯峨天皇の勅かなあとか思いましたので。後の巻は、山上憶良や大伴旅人、家持が集めた歌集と。 古今二十巻が万葉集に倣ったという説も面白いですね。 また機会がございましたら、よろしくお願いします。