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なぜ「だいきらいだ」と叫ぶのか?
- 相手への信頼と愛情と依存があるからこそ、「だいきらいだ」と叫ぶことができる。
- 逆に、それらがない場合には「だいきらいだ」と叫ぶことは難しい。
- 思春期の反抗期は親への圧倒的な信頼と愛情と依存が許される言動である。
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#1で回答した者ですがお礼を2つとも拝見しました。その「腑に落ちなさ」を解消できるかどうかはわかりませんが、私はこのように解釈しています。 まず、純粋に「見捨てられない自信」があるのなら、わざわざ叫ばなくてもいいのです。ではなぜ叫ぶのか。それは無意識のうちに「ぶつけた気持ちの分だけ相手の存在を実感したい」と思っているからではないかと私は勝手に考えています。 つまり「だいきらいだ」と叫ぶことによって、相手から「でも私は好きだ!」でもいいし「なに、このぉ」でもいいから、何か強烈なレスポンスをもらうことによって相手とガツンとぶつかり合いたいと、無意識のうちに思っているのではないでしょうか。その背景には、無意識のうちに「『だいきらいだ』と叫んでも致命的なことにはなるまい」という甘えと、「この人になら鬱積した怒りをぶつけても平気だろう」という気持ちが働いているのだと思います。 だったら「だいすきだ」と叫んでもよさそうなものですが、やはり叫ぶほうとしては、叫んでいる時点では相手を大嫌いだと思い込んでいるのでしょう。それを人によっては“愛情不足”と呼ぶかもしれません。私はそう呼びたくはありませんが、何らかの形で相手の愛を、叫ぶ側の人が期待しているほどには実感できていないのではないかと思います。それはどちらかというと、相手の愛が希薄だというよりは、叫ぶ人の期待が大きすぎることのほうが多いような気もします。 ではなぜ期待が大きくなるか。それは何らかの形で(時としては相手とは無関係の理由で)寂しさややりきれなさを味わっていて、膨大な愛を得ないことにはその場をしのげないからだったりもするのではないかと思います。 「怒り」は負の感情ですから、無いに越したことはないように思われがちですが、私はそうは考えていません。怒りは強烈なエネルギーです。人を前進させる力を持っているし、新しいステップへ踏み出すきっかけにもなります。そのきっかけを誤った方向に助長させないよう注意する必要はありますが、活用はできると思います。 例えば(相手との相性や年齢や性格などにもよりますが)「だいきらいだ」と叫ばれたら、とりあえず抱きしめてみるとか、とりあえず(相手を怪我させない程度に)とっくみ合ってみるとか。あるいは「だいきらいだ」と叫びたくなったら、それをバロメーターに、どこかへ頭を冷やしに行って自分を見つめ直すとか。あるいは「だいきらいだ」と叫んでしまったら、ついでに気が済むまでプチプチでも潰して、すっきりしたところで相手と腹を割って話し合ったり抱きしめ合ったりしてみる、といった活用法などが考えられます。
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「あんたなんか、だいきらいだ」 と叫ぶときは、勿論、その相手から愛されてる自信があるからです。 叫ぶ人は、もの凄く愛情を求める人だと思います。 「もっと愛して」とほぼ同じ意味だと思います。 きっと、こんなに愛してるのに、とギュッと抱きしめてもらいたいのでは? 勿論、そこには甘えや依存があり、大人の言動ではないですが。。。
お礼
ありがとうございます。 愛されている自信もあると思います。 頼めばちゃんと抱きしめてもらえる事も知っています。 甘えや依存からの行動であっても「たまにはそれも良いんじゃない?」と言い合える間柄である事も分かっています。 「大人がいつも大人らしくしていたら、何のためのプライベートだ??」って。苦笑 傷付けたら、治してあげられるだろうとも思うのです。 ここまで考えて分かっていながら叫べないのは、やっぱり「信頼の欠如」ですかね。 相手に対してと、自分に対して。 結局どちらも信じちゃいないのよーーーって。 それと、分析し過ぎ、なのか。。。 ありがとうございました。
- cxe28284
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そうでしょうね、何の遠慮もいらない関係。云っても本気にはしない相手。 だからこそ言える言葉でしょうね。 でも相手が悲しそうな顔をしたら後悔するでしょうね。 それ以外で大嫌いというのは、相手に関心があるからでしょう。 自分の方を振り向いてくれない。だから嫌い。 でも声に出しては云いませんね。
お礼
丁寧な分析をありがとうございます。 とても分かりやすく、理解が進みました。 >云っても本気にはしない相手。 「言葉は」本気にしないで欲しいけれど、 聞き流しはしないでね、と言うのは我が侭ですよねえ。 地団駄踏んで「だいきらいだ、だいきらいだ」と叫んで泣いて、 悲しい顔をさせて、でも心配そうに「どうして嫌いだと思うの?」と 尋ねて欲しい、と言うのは、我が侭ですよねえ。。。 それなら、自分の口でちゃんと言うのが大人と言うものです。 言わずに分かってもらおうと言うのは、我が侭以外の何でもありません。 たぶん、このひとは「だいきらい」と言われても、 嫌われているとは思わないだろう、と見越して叫ぶのは卑怯ですね。 んーーー、、 どうして、こんなコングラガッタ事が起きるのでしょうか? 分かる方いらっしゃいましたらお願いします。 cxe28284様、ありがとうございました。
- ucok
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単なる経験から申しますと、それで合っていると思います。
お礼
簡潔にありがとうございます。 合っている、と思われるのですね。。。 私も合っていると考えています。 でも、それだけじゃないなあ、と何だか腑に落ちない理由を今探しているところです。 ありがとうございました!
お礼
再度の回答、本当に心から感謝申し上げます。 言葉を選ぶのが難しいほど、得がたく含蓄あるご教示を頂きました。 そうですね、 叫ぶ言葉などきっと何でもいいのです。 意味不明な叫びなどでも良いのかもしれません。 発した「音」に対して、相手の心に反射して返される言葉を待っているのです。 期待が大きすぎる。。。 その場をしのぐために求める愛。。。 非の打ち所の無い解釈、穴の無い論理と感じます。 あまりにも納得し過ぎて怖いくらい。苦笑 >とりあえず抱きしめてみるとか、 >とりあえず(相手を怪我させない程度に)とっくみ合ってみるとか。 叫んでいる人にやってあげたら良いだろうなあ、ということはいっぱい考え付くのです。 でも、私自身が「叫ぶ人」になった場合の叫び方がわかりません。 ありがとうございました。