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市民革命とフランス革命の背景とは?
- 清教徒革命や市民革命やフランス革命の背景には、貧富の差や君主の権力が関係しています。
- 一般市民たちが革命を起こすことは困難でしたが、自由や共和制を実現する意志が彼らを動かしました。
- 正しい思想が土台となり、集まった市民たちは勝利に至りましたが、君主の武力や金銭力には打ち勝つことはできませんでした。
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>清教徒革命や市民革命やフランス革命 革命というのは後から付いた名で、明治維新も英語圏では「Meiji Revolution」です。 全て時代も背景も異なるので一概に論じることは出来ません。 が、敢えて言うなら上記の革命(市民革命=名誉革命とします)では、中間層の知識人(下級貴族や高級官僚)が味方に付いた事が勝因でしょう。むしろ中心は彼らですね。 権力者の武力と言いますが、軍の80%は何時の時代も貴族以外の人々です。そして当時の武器は今現在とは到底比較にならないほど脆弱で、軍人は銃を自宅へ持ち帰っていたこと、民の識字率が50%を切っていたことなどを頭に入れて下さい。もちろん学校なんか一度も行っていません。 >正しい思想 … なんて民衆の殆どが理解していませんでした。 >君主側の武力や金銭力 … いいえ君主は度重なる戦争でとても貧乏でした。そのしわ寄せが民衆に行ったから革命が起こったとも言えます。武力の80%は民であって、残りの10%も下級貴族です。 つまり革命とは大凡に置いて暴動やクーデターです。「Meiji Revolution」で勝海舟の江戸城無血開城が諸外国に高く評価されたのも、名誉革命が「名誉」なのもこのためです。元々は決して誇り高く賞賛されるべき実態ではないのですから。 立ち返るに最初の質問ですが、「清教徒革命・市民革命・フランス革命で一般市民の心を動かしたものは何か?」 それは現状に対する嫌悪と不況への怒りだと思います。現在も人の心は同じですが、昔とは違って国家元首を殺害しなくても入れ替えられるシステムがあるから「革命」には当たらないだけです。 自由、でも間違いではありませんが、要は現状が先行き不安だったのだと思います。
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質問者の方は、「市民」という言葉に捉われすぎているように思います。 歴史は常に結果論なので、これらの革命も「革命の結果、市民も政治に参加するような時代に流れていった」という意味で、「市民革命」という後付の説明がされていると言えます。 イギリス史には詳しくないので、フランス革命の話だけになりますが、革命に至った理由は様々で、長い時間醸成されたものがあります。 フランス革命といえば、すぐ引き合いに出されるのはマリー・アントワネットの浪費ですが、フランスの国庫は彼女が生まれる前から火の車でした。ルイ14時代の戦争やナントの勅令廃止によるユグノーの国外流出など、フランス経済に打撃を与えた事象は数えたらキリがありません。 そんな中、啓蒙思想が流行ります。一般大衆の貧困などはどこ吹く風で、その流行りに乗っかったのは貴族とブルジョワジーです。 フランス革命のきっかけは、王家に対する貴族の反発でした。財政が苦しくなったからと、王室が貴族にも税金を掛けようとしたからです。さらにブルジョワジーや、当時生まれたばかりのジャーナリストらと共に一般市民を煽った結果、起きた暴動がほとんどです。 少し大雑把なまとめになりますが、フランス革命の場合「一般市民の心を動かした」のは、啓蒙思想と貴族の反発、ブルジョワジーの台頭というところでしょうか。
お礼
ありがとうございます。
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