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「市民革命」で言う「市民」の定義と市民革命の定義
高校生です。学校では「市民とは、都市(=壁、burg)に住むもの。つまり商工業者(ブルジョワジー)を指す。そいつらが財産権の保証やらを求めて絶対王政を打倒したのが市民革命だ」というようなことを習いました。 そして主要な市民革命はイギリス革命・フランス革命・アメリカ独立革命など、ということですが ・アメリカ独立革命の頃のイギリスは絶対王政でない から上の定義には当てはまらない気がします。権力者ならばなんでもいいのでしょうか。 つまりある程度産業が発達している国での商工業者の利権が多少とも感じられる革命はみんな市民革命ですか?
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普通、市民革命というとブルジョワ革命のことです。 ここでいう市民はブルジョワ、能動的市民のことで、 受動的市民つまり労働者は含みません。 ブルジョワジーは、通常、市民階級と訳します。 市民というと、市内に住む人と思い勝ちですが、 歴史用語の市民、特にここでいう市民とは、 ブルジョワのこと、資本家をさしています。 ブルジョワ革命とは、単なる民主化ではなくて、 能動的市民と定義された、簡単に言えば、裕福な市民にだけ 権利を与えようという革命のことです。 アメリカでは財産制限はなかったものの、選挙登録が必要なため、 事実上は無学者・貧困者を遠ざける仕組みになってます。 絶対主義的とは、要するに適用者に異議を挟む権利がなく、 治世者には制限がないということです。 植民地が議会に代表を送ってもおらず、 イギリス本国で認められる権利章典の恩恵がえられない。 参政権と課税権が一体とされていたのでこれは大問題で、 植民地のおいては絶対王政の時代と変わらない統治がおこなわれていたことが 独立戦争が起こった原因です。 重商主義は通商政策に関する考え方で、絶対主義は国家主権に関する考え方です。 視点がイギリスからかアメリカからかで、変わってくるだけです。 イギリスの市民から考えれば、アメリカの市民の権利が認められないことが 場合によっては利益になるわけで、重商主義的なものの見方ができ、 アメリカの市民から考えれば、イギリスの国王の植民地支配は、 議会参加を認めらていないので、絶対主義的な典型的な支配体制であるといえます。 アメリカの植民地は、名目上、国王ジョージ3世の私有地であって、王の土地で、 独立前は王が君臨していました。 植民地では王権の強化が行われ、それが反発を生んだ。
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- augustinus
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革命という言葉をしっかり理解しないとダメですね。 日本では、西洋のrevolutionを古来中国からある『革命』と同じ言葉で訳してしまったので、あえて「市民」革命と言わざるを得ないんです。 古来中国からの革命というのは、「天命が革(あらた)まる」という意味で使われている言葉です。 天命というのは、【徳】をもって国を治めることのできる人間に与えられる天からの使命です。 世の中が乱れると、そのときの統治者は【徳】がないとみなされ、多くの場合武力によって王朝が交代するのですが、 それを【徳】のある人間にとって変わられた、天が使命を別の人間に与えた、という意味に中国では考えました。 これが本来の革命です。 であるので、王朝が、別の王朝に変わることが革命であったわけです。 ところが、西洋では、王の力に屈しなくなった商工業者や有力な資産家であるところの市民が、 王を処刑し、政治を自分達で行うようになりました。 本来日本では、これを一揆と言ったりしていました。 ところが、一揆は弾圧されますが、西洋では、その後市民が権力を確り保持したまま統治した状態が続いたので、 これもある意味「革命」であると判断しました。 ただし、王朝が交代したわけではなく、市民が権力者としての地位を獲得したので、市民革命と言っているのです。 ということで、前置きが長くなりましたが、定義です。 市民は、王以外の政治的共同体の参加者です。 市民革命は、その市民達が主体となって政治の主権を獲得した際の政権交代を指します。 だから、今度の解散総選挙で、自民党政権から民主党政権に変われば、これもある意味市民革命です。
- caesar-x2
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まずブルジョワジーは商工業者というよりも、資本家という漠然とした 定義のほうがいいです。裕福な市民階級の全般をしめしていて、 具体的な商工業者と限定すると話が見えなくなります。 商工業者というと、労働者も含まれますが、ブルジョワといったら 雇用主をさしていますし、商工業市外にも、 土地をもって農業経営しているブルジョワも、株や金融のブルジョワもいます。 次にですが、アメリカ独立戦争のおける、市民革命とは、 植民地経営に対するものであって、イギリス国内で認められていた 政治参加の権利、勝手な増税を禁止する権利が植民地民には認められなかったことが、 独立の発端となっています。 だからイギリス本国政府が植民地を絶対主義的支配をしていたので 定義にあてはまるわけですし、 もちろんその後の独立宣言や憲法の趣旨が市民革命にそっていることは いうまでもないです。
お礼
>裕福な市民階級 うーん。市民の定義を質問したんですけど。 まあ「市民革命」でいう「市民」というのは特に資本家を指すということですね。 絶対主義的支配とは具体的にどういうところが絶対主義的なのでしょうか。 ただ単に自治を認めないのであればそれは重商主義的ではあっても、絶対主義的とは言えないと思います。まず王様がいないので。
お礼
大体分かりました。ありがとうございます。