これは面白い(意味のある)質問ですね。実際に、この質問は「市民革命」というものをどう捉えるかという点で回答が変化します。
私以前の回答者の方たちは、両者をまったく異なるものとして捉えておるようですが、短期間の現象面だけを見るならばそれはそれで正解であると思えます。
しかし、別の視点として両者の時期をどう捉えるかによって見解は変わるでしょう。つまり、1789年の三部会開催に始まったフランス革命は1804年のナポレオンの皇帝襲位で終わりとするか、それとも1815年のウィーン体制の成立で終わりとするか、さらに1830年革命・1848年革命までを含めた動きのきっかけとするかによっても変わるでしょう。一方の明治維新にしても、1853年のペリー艦隊来航をきっかけとして1868年の王政復古で終了とするか、翌年まで続く戊辰戦争を含めるか、あるいはさらに後の武士層の最後の反乱である西南戦争までを視点に入れるかで異なってくるでしょう。
あるいはまた、日本の明治維新とほぼ同時期に起こったイタリア統一(1862年)、ドイツ帝国の成立(1871年)をどのように考えるかということも関係します。
さて、前置きが長くなりましたが、私はフランス革命から1848年革命(二月革命)までを一連の流れとして理解すべきだと思います。それはフランス革命が当初から王政廃止を目指した訳ではないこととナポレオン帝政を経て王政復古となった時点では旧体制の復活とも考えられる(「亡命貴族の10億フラン法」によって特権階級への補償まで計られました)ことから、革命の成果はようやく19世紀後半に至って定着したと考えるからです。一方の明治維新も少なくとも西南戦争までの時期で考えるべきであり、場合によっては憲法発布までを視野に入れるべきだと考えます。
そうして見れば、「封建的特権の廃止」「市民層の政治参加」「結果としての経済発展」という結果から両者とも「市民革命」であったと言えるでしょうし、同じ思想であるとは言い難いながらも両者は「同じ方向への歴史の流れ」を示していると言えるでしょう。なお、イタリア・ドイツの統一も同じ流れの一つだと私は思っています。
お礼
はい。「市民革命的に」どうだろうと感じていました。経済の発展段階に呼応するところもあるのではと、漠然と思っています。もちろん産業化は一世紀以上フランスが先行するのでしょうが、明治維新もそういう面では似たところがあるのではと思いました。民間資本の形成です。あまりわかっていそうなこと書くとボロが出てきますので、ここら辺にしますが、やはり資本主義と王政(封建制)折り合わないという面もあろうかと思います。