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清教徒革命はあまり評価されてない?
清教徒革命は今日ではあまり評価されてないと聞きましたが本当でしょうか。ただの内乱の一つに位置づけられてるとか。
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「評価する、しない」というのは、当然、歴史学者の中でどう評価するのか、という話だと理解します。 まず、先に申し上げると、英国では、今は「清教徒革命」(Puritan Revolution)という呼び方はしません。「(English) Civil War(s)」という呼び方が一般的です。「今は評価されない。ただの内乱のひとつ」というのは、この事実を、表面的に理解しての意見であるように思います。 「伝統的な」評価は、この革命or内戦を、「古来から英国民が持っていた自由を、スチュワート朝の絶対王政から守った戦い」、あるいは「名誉革命とあわせて、宗教的寛容を勝ち取る過程」という風に考えます。確かに、こういう風な理解は、今は一般的ではありません。このような「伝統的な評価」には、英国が世界でダントツに有力だった、第二次大戦前ぐらいまでの、自己肯定的な雰囲気が反映されています。 一方で、「清教徒革命」という言葉は、議会側にピューリタンが多かった事から来ていますが、「宗教的側面を重く見すぎ」なので使われなくなりました。 ただ、だからといって「ただの内乱のひとつ」という事にはなりません。No.1の方が引用したWikiの記事にのっている、伝統的な評価以外の見方からしても、マルキストにとっては「ブルジョア革命」だし、所謂「修正主義者」にとっては、その主張の最大のポイントは、イングランド単独ではわからない、という事で、そういう立場から見れば、例えばアイルランドでは、清教徒革命と名誉革命の結果、政治&経済両面での、全土での国教徒の支配体制が確立されます。 ですから、清教徒革命を「良いもの」と考えるような、価値判断を交えた評価は、今はあまりしない、という意味なら正しいでしょうが、だからといって、「ただの内乱のひとつ」という考え方もありません。何事も「評価の基準次第」と言えばそうですが、特に名誉革命とあわせて考えた場合、それ以前と以降では、どういう立場から見ても、明らかに違う社会になったのは、間違いありません。 良い悪いという価値判断はしなくても、清教徒革命は、英国の歴史上の大事件、という事を疑う学者はいません。
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- tyr134
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清教徒革命単独では、余り意味を成さない(評価しても無意味)というのが大方の評価だろうと思います。 つまり、英国の市民革命は「清教徒革命~名誉革命」の一連の流れの中で評価されるべきであり、「清教徒革命は王様を殺したからダメ。名誉革命は王様を殺さなかったから良い」のような短絡的な議論ではありません。 英国は1066年の征服王ウィリアムによる、ノルマン人の征服以来、議会中心か王権中心かで争ってきました。 その争いの頂点に達したのが、「清教徒革命~名誉革命」の一連の市民革命です。 具体的には、清教徒革命により議会派側が王権を打倒し共和政を樹立しました。 しかし、その後にオリバー・クロムゥエルによる独裁を招きました。 その反省から、名誉革命では直接統治権を持たない王様を置くこと、つまり立憲君主制を成立させました。 その後は、小さな諍いはあるものの概ね挙国一致体制で産業革命~大英帝国へと繋がっていきます。 つまり、清教徒革命だけを取り上げて評価してもあまり意味のないことと言えます。 戦後の歴史学は、大きな流れを見るよりも個々の現象を取り上げて研究される事が多いようです(特に、日本では) その流れで、「ただの内乱の一つに位置づけられてる」という人もいるのでしょうね。 しかし、歴史というのは多くの場合連続性を持っていますので、そういった大きな視点で捉えることも重要だといえます。
お礼
回答ありがとうございます。 > 戦後の歴史学は、大きな流れを見るよりも個々の現象を取り上げて研究される事が多いようです これはありますね。タコツボ化というか。学問が実証を求めて個別分化するのはある程度仕方ないにせよ、世界史のでかい流れを忘れてしまうのはどうかと思います。
- nacam
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評価する基準により、評価の差が出ます。 政治的には清教徒革命によって起こった変革のほとんどが、後に元に戻ってしまっていますから、その点での評価は高くないとおもいます。 しかし、キリスト教宗教界にとっては、大変革の革命で、清教徒革命により、イギリス国教会と長老派が成立し、アメリカで最大のバプテストなども、この間に成立しています。 (ルーテル派以外の基礎となったプロテスタントが確立しているのもこのころです。) また、民衆による政権奪取が可能という事例を示し、後のフランス革命などへの布石としても無視できないものがあります。 歴史を個々の事件としてしか見ないのであれば、評価は低いのですが、大きな流れとしてみた場合、その評価は一変します。
お礼
回答ありがとうございます やはり後世への影響は甚大なものがありますよね。
- straker505
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「修正主義以降 1970年代に入ると、正統学説にふたたび反論がおこるようになった。修正主義とよばれるこの流れは、革命の断絶性・近代社会化の側面および必然性を批判し、さらにイングランド内で完結されていた議論をおし拡げようとするものであった。修正主義は、革命の源泉をジェームズ1世の第1子ヘンリが若くして死んだことなどに求め、ヘンリが王位を継承すれば革命は起こらなかったであろうと指摘する。こうした修正主義によって明らかにされた研究成果は多岐にわたったが、なかでもイングランド一国史観に対して包括的なブリテン史を提唱した点は耳目を集めた。80年代には修正主 義と正統学説の間で論争もおこっている。修正主義の流れは長期的な視点にとぼしく、革命の原因を偶発的要素にもとめすぎているなどの批判がある。《現在、修正主義を批判的に継承したポスト修正主義やネオ=ホイッグなどの流れが複雑に交錯しているが、名誉革命とあわせて「イギリス革命」「ブリテン革命」とよばれ、名誉革命以上に歴史的意義を見出されることが多い。》一方で、イングランド革命政府とスコットランド・アイルランドの3ヶ国の戦争であるという捉え方も提唱されている。」 以上がwikipediaですが、一応歴史的な高い評価が為されている模様です
お礼
回答ありがとうございます いろいろと学会でもゴタゴタしてるみたいですね。 イギリスの国体や天皇制みたいなもんですから、機微に触れるんでしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 やはり価値判断は現在の政治と密接に結びついたところがあるから難しいみたいですね。今はEUとのからみで英蘭戦争など大陸の動向と結びつけて、イギリス革命を理解するのが流行ってるみたいですし。