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やる気がない時、自然な日本語に添削していただけないでしょうか
- 日本語を勉強中の中国人が、文章力をつけるために作文の練習をしています。
- 最近やる気がなくて、誰かに厳しく叱られたい気持ちです。運動会でのように声をあげて応援してもらいたいと思います。
- 友人と会った時に聞いた話から、フィリピンのお手伝いさんが楽しく踊っている様子を見て、励まされました。
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1、 > 最近、やる気がない。誰かに厳しく叱られたい。運動会でのように声をあげて応援してもらいたい。 →添削無し。 「運動会【でのように】」という表現が秀逸です。 2、 >以前どこかで見た海の波が岩を砕く、贈る言葉が「覚悟しろ」の写真を思い浮かべた。 →以前どこかで見た、【「腹を括り給え」と添え書きされた、怒涛が岩を砕いている海の写真を思い出した。】 : a. この場合の「贈る」は、「添え書きする」という表現をお遣いになるのもよいでしょう。 b. #6さんもおっしゃるように、「覚悟しろ」は喧嘩言葉になります。 「腹を括る」と解釈してみました。 「腹を括れ」でもよいのですが、命令形の意図が強すぎる印象を与えるので「腹を括り給え」としてみました。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/158440/m1u/%E8%85%B9/の、 覚悟を決める。いかなる事態にもひるまないよう心を固める。 「?・って難局に臨む」 です。 c. 「思い浮かべる」は「想起する」という意味ですが、過去に対して使う場合は、「ゆっくりと思い出して、その思い出を咀嚼する」といったようなニュアンスです。 間違いではありませんが、ここは直截に「思い出す」を使うほうが適切でしょう。 d. 「波」でも全く問題ありませんが、お好みによっては「怒涛」という語も使えます。 3、 >ちょっと海を見たくなった。波の音にも耳を傾けてみたくなった。 →【無性に】海を見たくなった。波の音にも耳を傾けてみたくなった。 : a. 「ちょっと」でも悪くはありませんが、文の流れからいくと「無性に」という表現がぴったりの場面かもしれません。 b. 「波の音【にも】」という使い方が上手です。 4、 > 今日、仕事の帰りに友人と会った。ホンコンに出張に行っていた時の話をしてくれた。彼女の泊まっていたホテルの窓から、とても大きい広場が見える。 →添削無し。 5、 >毎朝そこでフィリピン出身のお手伝いさんが楽しくディスコをしている。心ゆくまでくねくねと腰を動かし、踊りの楽しみを十分享受し、全身全霊で踊っているようだ。 →毎朝、そこでフィリピン出身のお手伝いさん【たち】が楽しく【ディスコダンス】を踊っている。【】くねくねと腰を動かし、踊りの楽しみを十分【享受しながら】、【一心不乱に】【踊っていたそうだ】。 : a. 一人だけでなければ、「お手伝いさんたち」と複数形にするほうがよいでしょう。 b. みなさんご指摘のように「ダンス」を加えます。 c. 「踊っていた」に掛かかり易くするためと、「し」の重複を避けるために「享受しながら」としました。 d. 「全身全霊」は、「その人のもっている心身の力のすべて」という意味ですが、「最高の力を発揮して」といったようなニュアンスがあります。 このシチュエーションでは、「一心不乱」という表現が適しているかもしれません。 「一心不乱」と似たような意味になるので、冒頭の「心ゆくまで」は削除しました。 e. 「ようだ」は推測ですが、この箇所は伝聞のシチュエーションなので「そうだ」とする必要があります。 6、 >彼女らの生活はとても苦しい。それでもあんなに元気に踊っている。私はその話を聞いて非常に励まされた。 →彼女らの生活はとても【苦しいはずだが】、【それに負けることなく毎朝、元気に踊る。】私はその話を聞いて非常に励まされた。 : a. 他人の懐事情に関して詳細は不明でしょうから、「とても苦しい」という断定は、あまり好ましくありません。 また、「苦しいはずだが、それに負けずに~」などと一文にしたほうが自然な表現になるでしょう。 b. awayuki_cn さんは実際に見ていないので、「あんなに」という表現は不自然です。 <要注意点> ・踊っている【ようだ】 ・【あんなに】 自然度:92% <まとめ> 最近、やる気がない。誰かに厳しく叱られたい。運動会でのように声をあげて応援してもらいたい。以前どこかで見た、「腹を括り給え」と添え書きされた、怒涛が岩を砕いている海の写真を思い出した。 無性に海を見たくなった。波の音にも耳を傾けてみたくなった。 今日、仕事の帰りに友人と会った。ホンコンに出張に行っていた時の話をしてくれた。彼女の泊まっていたホテルの窓から、とても大きい広場が見える。毎朝そこでフィリピン出身のお手伝いさんたちが楽しくディスコダンスを踊っている。くねくねと腰を動かし、踊りの楽しみを十分享受しながら、一心不乱に踊っていたそうだ。彼女らの生活はとても苦しいはずだが、それに負けることなく毎朝、元気に踊る。私はその話を聞いて非常に励まされた。
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- hakobulu
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#7です。 1. 中国語の「覚悟」は「目覚める」、「悟る」、「自覚する」、「認識する」といったような意味です。日本語の「覚悟」に「悟りを開くこと」という意味もあるので、中日の「覚悟」は同じ意味だと思いました。 実は、その写真の文字は日本語です。覚え間違えたかもしれませんが、ずっと「悟りを開け」の意味を伝える写真だったと思いました。 もし中国語の「覚悟」の意味なら、普通何と書くでしょうか。 : 「覚悟」自体には様々な意味があります。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/32168/m1u/%E8%A6%9A%E6%82%9F/ ただ、実際には、 (1)危険な状態や好ましくない結果を予想し、それに対応できるよう心構えをすること。 「決死の?」 「危険は?の上だ」 「?はできている」 (5)観念すること。あきらめること。 の2つだけが使われるとお考えになってよいでしょう。 「覚悟しろ」という熟語は(5)以外の意味にはまず使われません。 それを書いた人の意図によって違ってくるでしょうが、一般的に考えると「目覚めよ!」ってとこかもしれませんね。 命令形に拘らなければ、「悟る」そのままでも味わいがあるでしょう。 2. >→【無性に】海を見たくなった。波の音にも耳を傾けてみたくなった。 「無性に」の意味を調べました。「やみくもに。むやみやたらに。いちずに」とありました。よくわからないので、日中辞書も調べました。「とても」、「非常に」との違いは何でしょうか。 : あくまで個人的な感覚ですが、「無性に~したい」は直截的に解釈すると、「人間性を失う(無くす)ほどに激しい欲求・願望」というニュアンスがあるように思います。 「とても」「非常に」は、まだ理性的な願望というニュアンスですが、「それを超えるほどの強い欲求」を表現できるように思います。 「やみくもに/むやみやたらに」などといった意味説明は、やや節操の無い印象を与えるかもしれませんが、これも、程度の強さを示すための表現とお考えになって良いでしょう。 決して悪い印象を与える表現ではありませんからご安心ください。 「いや、(海を見たいということに関して)そこまで強い思いは無い」という場合は、「とても」をお使いになるのも良いでしょう。 ただ、この文で「非常に~」を使うと不自然になります。 3. >→毎朝、そこでフィリピン出身のお手伝いさん【たち】が楽しく【ディスコダンス】を踊っている。【】くねくねと腰を動かし、踊りの楽しみを十分【享受しながら】、【一心不乱に】【踊っていたそうだ】。 この二つの文章の最後、「を踊っている」と「踊っていたそうだ」の時制はなぜ違うのでしょうか : 『毎朝のように「いつも」踊っている』という習慣的な事実表現。 彼女が『「見た時に」踊っていた』という過去表現。 の違いです。 両方「踊っていた」でも特に問題はありませんが、語感が良くないので、敢えて変更しました。 不明点がございましたらさらに補足なさってみてください。 <おまけ> >覚え間違えたかもしれませんが、ずっと「悟りを開け」の意味を伝える写真だったと思いました。 →【記憶違い】かもしれませんが、ずっと「悟りを開け」【という】意味を伝える写真【だと思っていました】。
お礼
度々ありがとうございます。理解できるようになりました。とてもわかりやすいです。本当にありがとうございました。
- kentaulus
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> もし中国語の「覚悟」の意味なら、普通何と書くでしょうか。 そうですね。 「覚悟」には色々な表現 ( 意味 ) が有るのですが、 中国語の「覚悟しろ」 = 日本語の「目覚めよ」、「悟を開け」、「覚醒しろ」でしょうか。 日本語の「覚悟」の意味は「心の準備をする」、「降参する・敗北を受け入れる」が多く使われます。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%A6%9A%E6%82%9F&stype=0&dtype=0 日本語の「悟」は仏教用語の意味が強く、「理解する、察知する」の意味は弱いです。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%95%E3%81%A8%E3%82%8A&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=08623607397800 大部分の日本人達は「覚悟=悟りを開くこと」の意味は知らないと思います。 大部分の日本人達は「覚悟=心の準備をする、有事に備える」の意味で使っていると思います。 例 「覚悟=心の準備をする、有事に備える」の場合 病院の健康診断で末期癌だと判明した。私は死を覚悟した。 日本は地震の多い国なので、日本で住むには覚悟が必要です。 「覚悟=降参する・敗北を受け入れる」の場合 警察官-付近を包囲した。抵抗を止めて降参しなさい。 犯人-わかったよ。もう覚悟 ( 降参 ) するよ。 「覚悟しろ」の「~しろ」は命令形なので、「覚悟しろ」は「心の準備をしろ ( 命令形 )」になります。 ここから転じて → 試合や戦争、喧嘩などで、相手に対して「開戦通達・宣戦布告」の意味で使われます。 ですので日本人には「覚悟しろ・覚悟しなさい・覚悟してください」と命令形で言っては駄目ですよ。 喧嘩の原因になりますからね。 中国語の「覚悟」と同じ意味を知っているのは、日本人では年配 ( 60歳以上 ) の人達だと思います。 私(46歳)でも仏教書や古典文学を読む時は「覚悟=悟る、自覚する」の意味で解読しますが、 戦後の書物を読む時は、「覚悟=心の準備をする、有事に備える」の意味で解読しています。 若い日本人達は仏教書や昔の古典文学を読む人が少いので、「覚悟=悟りを開くこと」の意味は知らないと思います。
お礼
度々ありがとうございます。中国語の「覚悟」と日本語の「覚悟」の違いについて詳しく説明してくださり、大変助かりました。とても参考になりました。本当にありがとうございました。
こんばんは。 ×「運動会でのように声をあげて応援してもらいたい。」 ※「運動会」+「での」のように「名詞」+「での」は強調かと思います。 ※例:あの場所での想い出はいつまでも色褪せない……。 ※「想い出」は「あの場所」にあったんだよ! と、いう強調 ※「での」は「あの場所」を強調しています。 問題なのは 運動会「でのように」です。 基本的には「での」は 「……での……」と使います。 つまり、「名詞」+「での」+「名詞」の形です。 上に挙げた例文の通りです。 「ように」は「……のように」と使います。 例:彼のようになりたい。 例:そのように取りはからおう。 例:あのように眠りたい そこで、次のようにするのが良いと思います。 ○「運動会でしてもらったように、声をあげて応援してもらいたい。」 ○「運動会でしてもらったような声で応援してもらいたい。」くどい場合は、 ○「運動会でしてもらったように応援してもらいたい。」 ※また、「運動会でしてもらったように」では長いので、 「運動会の時のように」を使うと良いと思います。 ●基本的に「で」は「場所・出来事」等の明示です。 ※運動会で転んでしまった。 ↑「運動会」という「出来事」を明示しています。 ※一応……明示とは「明らかに示す」、 言い換えれば「分かりやすく示す」という印象です。 ●「の」は「所有」の明示、言い換えれば「持っているんだよ」という印象です。 ※私の本 ↑本は「私が」「持っている」という意味です。 ×「ディスコをしている」 ○「ディスコに行っている」か「踊っている」か「ディスコに行った時のように踊っている」 と、いったところでしょうか。 ※ディスコは「する」より「行く」方が自然です。 長くてすみませんでした。 私自身勉強になりました。 ありがとうございました。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。ご意見は大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- kentaulus
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1.awayuki_cnさんの説明を参考にさせていただくと、 「送る言葉」を「( 写真に ) 添えられた言葉」と表現してはどうでしょうか。 「添える」は「付加・添付」と類義です。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%9D%E3%81%88%E3%82%8B&dtype=0&stype=1&dname=0ss 以前どこかで見た、海の波が岩を砕く写真に「覚悟しろ」の言葉が添えられていたのを思い出した。 とか、 以前どこかで見た、「覚悟しろ」の言葉が添えられていた海の波が岩を砕く写真を思い出した。 中国語の「覚悟しろ」は、何の意味でしょうか? 日本語で「覚悟しろ」という表現は、 試合や戦争などで、相手に対して「開戦通達・宣戦布告」をする場合に多く使う乱暴な言葉なので、 あまり良いイメージの言葉では有りません。 ですので別の日本語表現で「有事に備えろ」とか、「心の準備をしろ」とかは いかがでしょうか。 諺で表せば「備え有れば憂い無し ( 中国語の有備無患 )」など。 または、 写真に中国語の「覚悟しろ」( 日本語の「**」の意味 )と添えられていた。 と表現してもいいかもしれません。 日本語で「送る言葉」や「送られた言葉」と表した場合は、 両親、友人、恩師や会社の上司などからの教訓・助言を示します。 「送られた言葉」と「添えられた言葉」の差異は、 「送られた言葉」-「誰かに送られた言葉」と使います。 主体が「人」で、付加されたものが「言葉」になります。 例 恩師から卒業生へ送られた言葉。私から両親へ送った感謝の言葉。 「添えられた言葉」-「何かの物品に添えられた言葉」と使うので、 主体が「物品」で、付加されたものが「言葉」になります。 例 誕生日カードに添えられた言葉。 水墨画の端に添えられた言葉。 他の使い方では「マグロの刺身に添えられたワサビは、最高級品質の物を使用しています。」 などと使います。やはり、主体は「物品」になります。 2. こちらのページに中国語で説明が書かれています。読んでみてください。 http://www.eonet.ne.jp/~nihongo-tuna/teniohac.htm ようだ http://www.eonet.ne.jp/~nihongo-tuna/youdac.htm そうだ http://www.eonet.ne.jp/~nihongo-tuna/soudac.htm 香港へ行った [ 友達から、awayuki_cnさんは聞きました。] フィリピン出身のお手伝いさんが楽しくディスコダンスをしているのを つまり、awayuki_cnさんが [ 伝聞 ] から何かを感じた。 ですので、「~のようだ」より、「~だそうだ」が適していると思います。
お礼
再びありがとうございます。日本語の「覚悟しろ」は良いイメージの言葉ではないんですね。中国語の「覚悟しろ」は痛棒を振るい一喝する、厳しい警告を与え目を覚まさせる効果があります。「ようだ」と「そうだ」はわかりました。わざわざ中国語の説明のページを探していただき心から感謝いたします。もう少し教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
補足
中国語の「覚悟」は「目覚める」、「悟る」、「自覚する」、「認識する」といったような意味です。日本語の「覚悟」に「悟りを開くこと」という意味もあるので、中日の「覚悟」は同じ意味だと思いました。 実は、その写真の文字は日本語です。覚え間違えたかもしれませんが、ずっと「悟りを開け」の意味を伝える写真だったと思いました。 もし中国語の「覚悟」の意味なら、普通何と書くでしょうか。
私見ではあまり直すところは見当たりませんでした。第一節の分かり難い文は私なりの解釈です。 第二節のとても大きい広場とはあまり言いません。単に広場でもいいように思います。ディスコはダンスに、ようだ はできるだけ使わないほうがいさぎよい文になると思います。 第一節と第二節との結びつきがちょっと弱い感じがしましたので、最後に上の文から引きました。 余計なことをしたかもしれません。 最近、やる気がない。誰かに厳しく叱られたい。運動会のように声をあげて応援してもらいたい。以前どこかで見た、海の波が岩を砕く、添えられた言葉が「覚悟しろ」の写真を思い浮かべた。ちょっと海を見たくなった。波の音にも耳を傾けてみたくなった。 今日、仕事の帰りに友人と会った。ホンコンに出張に行っていた時の話をしてくれた。彼女の泊まっていたホテルの窓から大きな広場が見える。毎朝そこでフィリピン出身のお手伝いさんが音楽に合わせて楽しくダンスをしている。心ゆくまでくねくねと腰を動かし、踊りの楽しみを十分享受し、全身全霊で踊っている。彼女らの生活はとても苦しい。それでもあんなに元気に踊っている。私はその話を聞いて非常に励まされた。波の音を聞いたようだった。 ご参考まで。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。文章がわかり難くて申し訳ありません。第一節は近況です。そんなだめな状態なので、第二節に友人に求めるという話があるわけです。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- kentaulus
- ベストアンサー率60% (1064/1746)
awayuki_cnさん、こんにちは。 個人的な意見ですので、参考程度に読んでください。 最近、やる気が [ 無い or 出ない ]。誰かに厳しく叱られたい。 運動会でのように [ 、] 声をあげて応援してもらいたい。 以前どこかで見た [ 、] 海の波が岩を砕く、**贈る言葉**が「覚悟しろ」の写真を思い浮かべた。 [ 急に海を見たくなった。そして、] 波の音にも耳を傾けてみたくなった。 今日、仕事の帰りに友人と会った。ホンコン [ へ ] 出張に行っていた時の話をしてくれた。 彼女の泊まっていたホテルの窓から、とても大きい広場が [ 見えていて、] 毎朝そこでフィリピン出身の**お手伝いさん**が楽しく [ ディスコダンスを踊っている。] 心ゆくまで [ クネクネ ] と腰を動かし、踊りの楽しみを十分享受し、 **全身全霊**で踊っていた [ そうだ。] 彼女らの生活はとても苦しい。それでもあんなに元気に踊っている。 私はその話を聞いて非常に励まされた。 変更点の解説 **贈る言葉** この文章にある「贈る言葉」の意味が理解できません。 「贈る言葉」は、タイトル 、表題、題名 の意味でしょうか? **思い浮かべる** 「思い浮かべる」は、未来予想や未開発のものに対して想像する場合に多く使われます。 「思い出す」は、過去の記憶や現存するものを心に想像する場合に多く使われます。 ですので、過去の記憶を「思い浮かべる」よりは、過去の記憶を「思い出した」が適していると思います。 例 私は100年後の中国の発展した様子を思い浮かべた。 以前どこかで見た海の波が岩を砕く、贈る言葉が「覚悟しろ」の写真を思い浮かべた。→ 変更例 以前どこかで見た 、タイトル(題名)が「覚悟しろ」の、海の波が岩を砕く様子を写した写真を思い出した。 or 以前どこかで見た写真を思い出した。 タイトル(題名)は「覚悟しろ」で、海の波が岩を砕く様子を写したもの ( 写真 ) だ。 **ちょっと** 文法上は間違っていませんが、日本語的には、 ちょっと海を見たくなった。波の音にも耳を傾けてみたくなった。→ 急に ( or ( 心情的に ) 少し ) 海を見たくなった。そして、波の音にも耳を傾けてみたくなった。 が自然な日本語表現だと思います。 **ホンコン [ に ] 出張に行っていた** 「~に」は行動の目的を表す場合に使うのが良いでしょう。 「~へ」は場所や方向を表す場合に使うのが良いでしょう。 例 学校へ行く - 現在位置から学校へ移動する。の意味です。 学校に行く - 学校で何かを行う ( 勉強する、友達と遊ぶ ) の 意味です。 **とても大きい広場が見える。** 「見える」を使うと文章全体の内容が切れる ( 文章全体の意味が断裂する ) ので、 「見える」→「見えていて」に変更し、前後の文章を接続しました。 変更例 ホテルの窓から、とても大きい広場が見えていて、毎朝そこでフィリピン出身のお手伝いさん~~ or ホテルの窓から、とても大きい広場が見える。そこでは毎朝フィリピン出身のお手伝いさん~~ 「そこでは」が前後の文章を接続して、読解しやすくなっています。 **お手伝い** 日本語の「お手伝い」は、個人の家で働く「家政婦」の意味が強く、 日本語の「メイド」や「スタッフ」は企業で働く「従業員 ( 会社員 )」の意味で使われています。 **ディスコ** 「ディスコ」は業種 または、「舞踏場」の意味 なので、 この文章では「ディスコダンス」が良いと思います。 **くねくね** 「くねくね」は擬態語 ( 擬声語 ) なので、カタカナ表現の方が文章を読みやすいです。 もちろん、平仮名でも正しいです。 **全身全霊** この文章の「全身全霊」は誇大表現です。 「全身全霊」は「全力」と同じ意味で使われますが、 「全身全霊」は、「長時間・長期間の全力行使」に限って使います。 「短時間の全力行使」には使いません。 例 中国の毛沢東氏は、戦後の中国復興のために、全身全霊を傾けて働いた。 ( この文章の「傾ける」は、「注力、力を注ぐ」の比喩表現です。 ) **ようだ** 「~のようだ」-自分の見たもの、聞いたものに対する自分の感想を表す。 「~だそうだ」-他人の見たもの、他人から聞いたものに対する自分の感想を表す。 心ゆくまでくねくねと腰を動かし、踊りの楽しみを十分享受し、全身全霊で踊っているようだ。→ 変更例 心ゆくまでクネクネと腰を動かし、踊りの楽しみを十分享受しながら踊っていたそうだ。 or 心ゆくまでクネクネと腰を動かし、踊りの楽しみを十分享受しながら全力で踊っていたそうだ。
お礼
kentaulusさん、こんばんは。ご丁寧に添削していただきありがとうございます。「思い浮かべる」と「思い出す」の違いはよくわかりました。私は「思い出す」の意味を表したかったです。ほかにもいろいろ参考になりました。まだすっきりしていないところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。
補足
1. >「贈る言葉」は、タイトル、表題、題名の意味でしょうか? 「贈る言葉」は、タイトル、表題、題名の意味ではないと思います。「贈る言葉」は黒いペンで写真に書かれた文字のことを指します。その写真はたぶん友人の家で見ただろうと思います。友人の名前の次に、「覚悟しろ」と書いてあるので、たぶんどなたからの贈る言葉が入っている写真でしょう。私自身も「(私の名前)へ恵存 (贈る人の名前)」という贈る言葉が入っている写真があります。そういう贈る言葉が入っている写真のことを表現したいのですが、どのように書いたほうが良いのでしょうか。 2. >「~のようだ」-自分の見たもの、聞いたものに対する自分の感想を表す。 「~だそうだ」-他人の見たもの、他人から聞いたものに対する自分の感想を表す。 この二つの文型の違いはまだよくわかりません。もう少し説明していただけないでしょうか。特に、「~だそうだ」のご説明の中の「に対する自分の感想を表す」という部分がよくわかっていません。
「贈る言葉が」が意味不明です。写真のタイトルのことでしたら,「『覚悟しろ』と言うタイトルの写真」となりますが。 「お手伝いさん」がホテルのメイドのことでしたら,「メイドの皆さん」がよいです。「お手伝いさん」は,個人の家です。 ディスコはディスコダンスでよいでしょう。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。「贈る言葉」は黒いペンで写真に書かれた文字のことを指します。その写真はたぶん友人の家で見ただろうと思います。友人の名前の次に、「覚悟しろ」と書いてあるので、たぶんどなたからの贈る言葉が入っている写真でしょう。「お手伝いさん」の件ですが、ホテルのメイドなのか、お手伝いさんなのかよくわかりません。私は個人の家の手伝いさんと理解しました。ディスコダンスという言葉があっていいですね。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- Tasuke22
- ベストアンサー率33% (1799/5383)
モチベーションが落ちた人が、なんとかモチベーションを上げる手段がないのかな、 と模索している様子が分かる文章で、ほぼ自然な表現だと思います。 一点だけ気になります。 > 楽しくディスコをしている。 「ディスコ」は日本では踊る場所のことを言いますし、その音楽のジャンルも 決まっています。なので、日本語としてはものすごく違和感があります。 「楽しく踊っている。」がいいでしょう。
お礼
ご親切に回答していただきありがとうございます。「ディスコ」の使い方はわかりました。参考になりました。本当にありがとうございました。
- cznut9
- ベストアンサー率17% (29/169)
意味はわかるが作文が間違っている場合に添削ができるのだから、 平明なテーマで書かないとだめですよ。 激しく叱られたいというのは健康な心理ではないので、 不健康な状態を正しく述べているのか作文を間違えているのか判別できません。 たとえば猫について詳しく述べた作文なら、添削者が猫を直接知っているから 作文を批評できますが、知らない動物を述べられても判断できないのと 同じです。 表現力を試したいなら平凡な日常を記述しましょう。
お礼
申し訳ありませんが、日本語がとても下手なので、おっしゃる意味がよくわかっていません。平凡な日常の定義は何でしょうか。私は平凡な日常を記述するつもりでした。
お礼
申し訳ありませんが、質問を1つ追加させていただきます。 3. >→毎朝、そこでフィリピン出身のお手伝いさん【たち】が楽しく【ディスコダンス】を踊っている。【】くねくねと腰を動かし、踊りの楽しみを十分【享受しながら】、【一心不乱に】【踊っていたそうだ】。 この二つの文章の最後、「を踊っている」と「踊っていたそうだ」の時制はなぜ違うのでしょうか ___________________________________________________________________________ いつもご丁寧に添削していただきありがとうございます。いろいろとても参考になりました。生徒をほめることも忘れずに、さすが教えが上手な先生です^^。まだすっきりしていないところがありますが、もう少し教えていただけないでしょうか。
補足
1. 中国語の「覚悟」は「目覚める」、「悟る」、「自覚する」、「認識する」といったような意味です。日本語の「覚悟」に「悟りを開くこと」という意味もあるので、中日の「覚悟」は同じ意味だと思いました。 実は、その写真の文字は日本語です。覚え間違えたかもしれませんが、ずっと「悟りを開け」の意味を伝える写真だったと思いました。 もし中国語の「覚悟」の意味なら、普通何と書くでしょうか。 2. >→【無性に】海を見たくなった。波の音にも耳を傾けてみたくなった。 「無性に」の意味を調べました。「やみくもに。むやみやたらに。いちずに」とありました。よくわからないので、日中辞書も調べました。「とても」、「非常に」との違いは何でしょうか。