- ベストアンサー
自然な日本語に添削していただけないでしょうか
日本語を勉強している中国人です。日本語で文章を書く力を付けたいと思い、作文の練習をしています。日常の一場面を切り取って短い文章に綴りました。自然な日本語に添削していただけないでしょうか。文を成すとき、特に難しいと感じた箇所を作文の後ろに記させていただきました。よろしくお願いします。 母女連心* 「ほら、見て! 見て! あの葉っぱ」と好きな葉を見かけた私が興奮して母に言う。「えっ、どれ? どれ? あの葉っぱか」と母の指差したほうに私の好きなプラタナスの葉がある。あれは一枚透き通る翡翠のようなプラタナスの葉だ。七月の高く青い空を迎え、日差しが透けて葉脈がはっきりと映し出されている。 注 *「母女連心」という中国語の意味は「母親と娘の心がつながっている」である。 1.私と母の言葉の後ろに続く二箇所の【と】はぎくしゃくした感じがします。解決方法を教えてください。 2.「母に言う」の「言う」はほかの動詞か言い方にしたいのですが、「叫ぶ」ぐらいしか思いつけません。適切な表現はないのでしょうか。 3.青空を背景にして、日差しが透けて一枚のプラタナスの葉の葉脈が見える情景を綺麗な日本語で書きたいです。ご教授をお願いします。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ大変嬉しく思います。よろしくお願いいたします。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。毎日頑張っておられますね。いつもご丁寧なお返事を有難うございます。 ご質問1: <自然な日本語に添削していただけないでしょうか> 1.まず、不自然なところを訂正します。 (1)「好きな葉」: 叙述的な小説のような文章なので、ここは 「お気に入りの葉」 ぐらいにするといいでしょう。 (2)「~を見かけた私が」: ここの助詞は「は」の方がいいと思います。また、「見かけた」より「見つけた」の方が雰囲気に合うでしょう。 (3)「~興奮して母に言う。」: この現在形は、叙述的用法の現在形(Narative present)ですが、過去形にも同じ用法があります。ここは、言った後になるので、過去形の方がしっくりきます。 例: 「と~興奮して母に言った。」 (4)「えっ、どれ? どれ?」: 同じ疑問詞の反復は、「どれどれ」という副詞に混同されますから、ここでは1回の使用でいいと思います。反復するのであれば、2回目の表現に少し手を加えるといいでしょう。 例: 「えっ、どれ? どれなの?」 「えっ、どれ? どこにあるの?」 (5)「あの葉っぱか」: 終助詞「か」の使い方が「上品」ではありません。女性の言葉としては、やや雑な印象があります。ここは女性らしく 「あの葉っぱね」 (6)「~と母の指差したほうに私の好きなプラタナスの葉がある。」: この「の」は主格をはっきり表して「が」で結構です。全文を以下のように変えると、すっきりまとまります。 例: 「~と母が指差したのは、私の好きなプラタナスの葉だ。」 (7)「あれは」: ここでは、話題として一度登場しているので、それに焦点を充てる意味で「それは」がいいでしょう。 (8)「一枚透き通る翡翠のような」: 語順を変えた方がいいでしょう。 例: 「透き通る翡翠のような一枚の」 (9)「七月の高く青い空を迎え」: 「迎え」は「仰ぎ」の誤写だと思います。「仰ぐ」は「見る」の意味です。ここではプラタナスの葉を擬人化して、「葉が空を見つめる」詩的なニュアンスになります。 (10)以上が特に注意する点ですが、それ以外にも少し手を加えて、原文に忠実な訂正例は以下のようになります。 例: 「ほら、見て!あの葉っぱ!」とお気に入りの葉を見つけた私は、興奮して母に言った。「えっ、どれ? どれなの? ああ、あの葉っぱね」と母が指差したのは、私の好きなプラタナスの葉だ。それは透き通る翡翠のような一枚のプラタナスの葉だ。七月の高く青い空を仰ぎ、日差しが透けて葉脈がはっきりと映し出されている。 ご質問2: <「母女連心」という中国語の意味は「母親と娘の心がつながっている」である。> 素敵な言葉ですね。中国語は知らないのでこちらも勉強になります。 ご質問3: <1.私と母の言葉の後ろに続く二箇所の【と】はぎくしゃくした感じがします。解決方法を教えてください。> 引用の「と」を使わないで、会話部を段落を変えて独立させた方が、読みやすく臨場感も出ます。 例: 「ほら、見て!あの葉っぱ!」 お気に入りの葉を見つけた私は、興奮して母に言った。 「えっ、どれ? どれなの? ああ、あの葉っぱね」 母が指差したのは~ ご質問4: <2.「母に言う」の「言う」はほかの動詞か言い方にしたいのですが、「叫ぶ」ぐらいしか思いつけません。適切な表現はないのでしょうか。> 「母に声をかける」が適切だと思います。 他にも場面によっては 「母に話しかける」「母にそっと告げる」「母にそっとささやく」「母につぶやく」 などもありますが、ここでは「声をかける」がいいと思います。 ご質問5: <3.青空を背景にして、日差しが透けて一枚のプラタナスの葉の葉脈が見える情景を綺麗な日本語で書きたいです。> 例1: 「七月の高く青い空から降り注ぐ強い日差しを受けて、葉脈がはっきりと映し出されている。」 例2: 「夏の青い空から降り注ぐ強い日差しが、葉脈をはっきりと映し出している。」 強い日差しに焦点をおき、主語にした文です。7月は「夏」に、高いは省略してみました。 例3: 「七月の青空高くそびえる太陽の強い日差しを浴びて、透けた葉脈がはっきりと映し出されている。」 「高い」のは空ではなく、「太陽の位置」になるので、主人公である「太陽」を登場させてみました。これを主語にすると 「七月の青空高くそびえる太陽の強い日差しが、透けた葉脈をはっきりと映し出している。」 となります。 ご質問6: <また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ大変嬉しく思います。> 気づいた点は以下の通りです。 1.「文を成すとき」: これは「文を作るとき」で結構です。 2.「ぎくしゃくした感じがします」 意味は十分通じます。このニュアンスを踏まえた便利な日本語に 「違和感があります」 があります。 3.それ以外には全くおかしいところはありません。 「~していただければ嬉しく思います」: これも相手に依頼する場面では、メールが手紙など私もよく使います。「有り難い」は、簡単なメールで使いますが、丁寧な表現では「思う」「存じる」と共に使います。 例: 「~していただければ嬉しく思います」(O) 「~していただければ有難いです」(O) 「~していただければ有難く思います」(O) 「~していただければ有難く存じます」(O) ちなみに、私がこのサイトで質問するとしたら最後は 「~ご回答いただければ有難いです」 「ご回答をよろしくお願い致します」 などを使うと思います。 言葉遣いや語法は、個人の主観的なフィーリングや嗜好が異なりますから、相手に失礼にならなければ、各自が使いやすいもの、使ってしっくりするものを自由に使っていいと思います。 以上ご参考までに。
その他の回答 (3)
「ほら、見て!見て!あの葉っぱ」 好きな葉を見かけた私が興奮して母に言う。 「えっ、どれ(なの)?あの葉っぱ(かしら)?」 母の指差す方に私の好きなプラタナスの葉がある。 (それは)一枚透き通る翡翠のようなプラタナスの葉だ。 七月の高く青い空を迎え、日差しに透けてその葉は しなやかな支えを浮かび上がらせている。 1 「」の終わりで間を持つので と を使わず 「ほら、見て! 見て! あの葉っぱ」(間)好きな葉を見かけた私が―― とそのまま繋げられますよ 2 言うの代わりは 袖を引く 小さい子供であればかわいいですね 大人であれば言うは問題ないですよ 興奮がそのまま伝わり ベストだと思います 告げる 促すなどもありますけど合わない 3 葉脈がはっきりと映し出される でもいいとおもいますが 日差しに透ければ 葉の葉脈がはっきり浮かび上がる事は 想像できる事ですので これでは2重に伝えられた事になってしまいます その見えた葉脈を何かに例えるか何かした方が美しいです 日差しに透けてその葉は大地との繋がりを浮かび上がらせた などです (葉脈と言わずとも栄養や水分を運ぶその機能を書いても伝わりますね) そして母親 女性は疑問の際 か で結びません か を付けずに 葉っぱ?で止めるか 少し品を持たせたいのであれば ()の中に入れたように なの かしら などを使うといいですよ そして 子供と母親のリズムを揃えると 母親もその葉を見ることを楽しみにしていたようになってしまいます 見て見て どれどれ とするより 見て見て どれ と リズムを壊してしまうほうが心理描写としては正確です あと 一枚透き通る翡翠 の前の あれは は あれはではなく それはです ね ただ使わなくても大丈夫です その場合は末を整える事が多いですけどね 母の指差す方に私の好きなプラタナスの葉がある。 一枚透き通る翡翠のようなプラタナスの葉である。と言う風にです 翡翠も高く青い空を迎えるも素晴らしい表現ですね 雲がかかり低い空 何にも遮られない青く高い空 そんな季節を迎える あなたセンスいい そうだ日差しがじゃなく日差しにですね 日差しでと同じです
お礼
お礼が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。ご丁寧に添削していただき誠にありがとうございます。疑問に思ったところがすっきりしました。いろいろ教えてくださりありがとうございました。
- flatto
- ベストアンサー率23% (3/13)
「ほら、見て! 見て! あの葉っぱ」 興奮して私は母に言う。 「えっ、どれ? どれ? あの葉っぱか」 母の指差した先に、緑色したプラタナスの葉がある。私はこの木の葉が大好きだ。 七月の高く青い空を背景に、日差しが透けて葉脈がはっきりと映し出されている。 「ほら、見て! 見て! あの葉っぱ」 興奮して私は母に言う。 「えっ、どれ? どれ? あの葉っぱか」 母の指差した先に、プラタナスの葉がある。私はこの緑色の葉っぱが大好きだ。 七月の高く青い空を背景に、日差しが透けて葉脈がはっきりと映し出されている。 (二つのサンプルを挙げます。この二つの間では、4行目が違うだけです。 「緑色」の前に「気持ちのいい」などの主観的な修飾語を入れるといいかもしれません。 4行目と5行目の間に、「母」と「私」がどのような所からどのようにして葉を眺めているのかを描写するといいかもしれません。) 「ほら、見て! 見て! あの葉っぱ」と好きな葉を見かけた私が興奮して母に言う。 ↑ “興奮して”言うぐらいだから、「好き」であるとか、特別な興味をひくものであることが分かる。「好きな葉を見かけた」は、不要であるような気がします。 「好き」であることは後で述べることにして、「好き」であることを述べるその時まで、「私」がなぜ興奮するのかの理由を述べずにおいて、読者の興味を引きつけておいたほうがいいような気がします。 「えっ、どれ? どれ? あの葉っぱか」と母の指差したほうに私の好きなプラタナスの葉がある。あれは一枚透き通る翡翠のようなプラタナスの葉だ。 ↑ 「翡翠」は、文学的な気取りから出てきてしまったようにも思えます。「翡翠」というとやはり「翡翠」という石の冷たい感じ、緑色の羊羹みたいな色合いを連想させます。 どうしても「翡翠」以外に喩えようがないのだ、ということなら使ってみてよいのではないでしょうか。 七月の高く青い空を迎え、日差しが透けて葉脈がはっきりと映し出されている。 ↑ 「迎え」は、もしかしたら、文学の精髄に通じたスーパー文学者は「いい!」と判断するのかもしれませんが、一般的ではないような気がします。私は使っていいかどうか何とも判らず、無難な表現をとりたい気がします。 「日差しが透けて葉脈がはっきりと映し出されている」さまが見えているということは、どこから見ているのでしょうか。その叙述もほしいような気がします。 回答ではありませんが、私はプラタナスの木の肌が好きです。樹皮がはがれて、白・オリーブ・薄緑・黄というような色がランダムに、でも統一されたトーンで表れているのが目を楽しませるのです。
お礼
お礼が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。ご丁寧に添削していただき誠にありがとうございます。この作文に書いた葉が、カナダの国旗の中の楓と同じように、一枚まっすぐに立っている姿の葉なので、「迎えて」を使いました。「翡翠」で葉の光沢を強調したかったです。母とプラタナスの木の下で顔を上げて、お互い好きな一枚の葉を眺めていました。プラタナスの木の肌がお好きであれば、白樺の肌もお好きでしょう。本当にありがとうございました。
- MockTurtle
- ベストアンサー率26% (93/350)
こんにちは。いつもお返事を有難うございます。 「母さん、見て! ほらほら、あの葉っぱ」 「えっ、葉っぱってどれ‥? あゝ、あれね」 思わず声を上げた私にそう答えて母が指差した方向には、梅雨明けの抜けるような青空から降り注ぐ陽光に照らされて鮮やかに輝く木の葉(このは)の一群があった。私の大好きな鈴懸(すずかけ)の木である。透過光で見るその大ぶりな葉の一枚一枚が、葉脈をくっきりと浮かび上がらせている。 ●修正のポイント (1) 晩秋に散り残った葉ならいざ知らず、この時期プラタナスの葉がたった1枚だけ木に残っているなどということはありません。もっとも、プラタナスはアメリカシロヒトリの大好物ですから、食害された樹ならばそういう状況もあるかもしれませんが‥(笑) (2) 葉脈が透けて見えるほど明るく照らされている状況下で翡翠色はないでしょう。中国人の感覚はどうなのか知りませんが、翡翠はもう少し深みのある緑を指すのが普通です。 (3) 一応原文に沿って修正しましたが、こう言う場合に指差すのは普通興奮した「私」で、その方向を見たお母さんまで一緒になって指差すことはないと思います。 (4) 指差している点から考えて、この文では母子とプラタナスの間にはかなり距離がある印象を受けます。広大な大陸で暮らす皆さんの場合どうなのか知りませんが、この状況下では望遠マクロレンズで覗かないと葉脈までは見えないのじゃないかと思います。 (5) 「鈴懸の木」 これは個人的な好みの問題ですが、私はプラタナスという外来語の響きが嫌いです。 > また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ > 大変嬉しく思います ● 「教えていただければ大変嬉しく思います」 これは「ありがたいです」より更にいけません。なぜならば「うれしく思う」は単に喜ばしいという感想を語っているに過ぎないからです。 - 例 - 国会が、永年にわたり、国民生活の安定と向上、世界の平和と繁栄のため、たゆみない努力を続けていることを、うれしく思います。 (国会開会式における天皇陛下のお言葉より) 上記の例は何も問題はないのですが、1mizuumi さんは解らないことがあって人に「教えて!」と助けを請うていらっしゃるのですから、「うれしく思う」では取り澄ました感じを与え、「何なのコイツ!?」との反感を招く可能性があります(あくまで可能性です。万人が等しくそう思うという意味ではありません)。 やはりオーソドックスに「教えていたければ幸いです」や「教えていただけると大変助かります」などの表現が無難でしょう。 ● 「日本語を勉強している中国人です」 文章で自己紹介をする時は、主語を省略しないようにしましょう。意味が通じないことはありませんが、唐突な印象を受けて中には嫌悪感を覚える人もあります。既知との会話ならば「毎度おなじみ1mizuumi です♪」などでも構いませんが (笑) それと、「日本語を勉強している中国人」にはやや違和感を覚えます。 これは例えば「日本に住む中国人」ならば違和感はありません。中国人ならば本来中国に住んでいるものなので、説明として「日本に住む」を冠することは当然です。しかし、「日本語を勉強する」のようにどこの国の誰がやっても不思議ではない行為を「~人」の修飾語として付けることには問題があると思います。 「私は毎日ビールを飲んでいるチベット人です」 「私は毛沢東廟を見学中のモンゴル人です」 「私は先生に叱られて廊下に立たされているベトナム人です」 これらはいずれも修飾語の内容と「○○○○人」との間に何の相関関係もないので、聴いた人は「それがチベットやモンゴルとどう関係あるの‥?」との疑問を抱いてしまいます。 したがって、「日本語を勉強している」と「中国人です」は切り離した方が自然な印象を与えます。 - 例 - 「私は中国人です。私は今、日本語を勉強しています」 以上、ご参考までに ( ^^
お礼
お礼が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。ご親切に添削していただき誠にありがとうございます。ご意見を興味深く拝見しました。プラタナスはこちらの街路樹であり、私は「プラタナス」の響きが好きです。本当にありがとうございました。
お礼
お礼が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。疑問が解けてすっきりしました。たくさんの言い方が習得できて大変嬉しいです。本当にありがとうございました。