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現代文の問題で、醒めきった目をボン・サンスと称したものを選ぶ判断基準や考え方、理由、根拠を教えてください
- 現代文の問題で、醒めきった目をボン・サンスと称したものを選ぶ判断基準や考え方、理由、根拠を教えてください。フィーリングでやるものなのでしょうか?
- 日常茶飯事の物に取り巻かれていた状況や広がりに亡霊のような影が触れ、学ぶ機会を旅に求め、報われた経験を持つことが西洋ではよく知られています。
- ギリシア・ラテン語の勉強に充分な時間を投資したと感じているため、選択肢(2)が正しいと思いました。
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ANo.1です。「た」の意味の見分け方について補足します。 例文と(2)はある状態が続いていることを意味しています。「醒めきった」は「醒めきっている」、「漠然とした」は「漠然としている」という意味で、「た」は過去を意味していません。そのためこれらは「存続」に分類されます。 (1)と(3)は過去の事実を意味しています。「包み込まれていた」のはその「そき」が過去のどんなときだったのか、「報われた」のはその「こと」が過去のどんなことだったのかという過去の事実を説明しています。そのためこれらは「過去」に分離されます。 (4)と(5)はある行為が完了していることを意味しています。「ついやした」は「ついやし終えている」、「かさねた」は「かさね終えている」という意味です。これらは過去の事実を説明しているのではなく、それらの行為が完了しているという条件を設定してます。そのためこれらは「完了」に分類されます。
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- Ishiwara
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英語でものを書く習慣がある人なら「瞬時に」分かるのですが… 「醒めきった目」 「漠然とした広がり」 が、最も対比に値しますよね。 「醒めきった」「漠然とした」を日本語の品詞分解するのでなく、 意味として「名詞を修飾する形容詞」の機能を重視します。
お礼
そんな習慣ないです。すいません。 でも形容詞的な使い方がされているのはわかりました ありがとうございました。
- cofeemaker
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文法的解説は下の方におまかせして、解法のみ。 醒めきった→「た」を「ている」に置き換えても意味が通じる。 (1)家郷で身辺の物に取り巻かれ、包みこまれてい「ている」とき、身辺の物、日常茶飯事の事どもに対して… ていている?・・・おかしいですね。 (2)手には亡霊のような影が触れては行きすぎる漠然とし「ている」広がりが、この旅の場というものになる。 言えますね。 (3)世間という書物のなかで学べるものを学ぶ機会を旅に求め、そして報われ「ている」こと、これは西洋のこととして西洋ではよく知られている。 (4)これまでにギリシア・ラテン語のためには、もう充分の時をついやし「ている」と私は思っていた。 (5)23歳以来、折をみて母国のフランスには滞在するのみで、旅に旅をかさね「ている」うえ、方法序説出版の1637年にはすでに足掛け10年、アムステルダムに居つづけているこの哲学者は… 「報われている」「ついやしている」「かさねている」と言うことはできます。 しかしもとの文と文意がやや変わってしまいました。どう変わったかと言うと、「クリア」から「コンティニュー」の状態に変わった、と言えば、お若い方にも分かりやすいでしょうか。 さて、「醒めきった」の「た」ですが、文によっては「ている」と言い換えられないこともあります。つまり「クリア」の文です。 (例)車酔いから醒めきった。 ほら、これなら「クリア」、ですね。 もちろんこのクリアとコンティニューという言葉は文法用語ではありませんw
お礼
「ている」でやっても全部読めないことないかなぁ…ってなっちゃうんですけど、しっかり文脈、時勢とかを意識してこのやり方を活用していきます ありがとうございました
- tkltk73
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すべて助動詞の「た」ですが、意味については 例文、(2)は「存続」(状態性の動詞について状態の存続を表す)、 (1)、(3)は「過去」(単純な過去を表す)、 (4)、(5)は「完了」(動作の完了を表す) の意味で使われています。 用法については、 (4)は終止形、 その他すべては連体形 という用法になっています。
お礼
ありがとうございます
お礼
なるほど。って感じです。頭で納得できました。 過去から今なお現在進行形でその状態ってことですよね。だったら答えだせます。 ニュアンスでも同じってことがわかります。 ありがとうございました。