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現代文(特に小説)の問題が解けるようになりたい。
もしかしたらこの質問は二つの領域に跨るかもしれません。自分で本当に言いたいことを探すという目的で、少し語らせてください。私は高2のアスペルガー(診断済み)の者です。そのくせに私は文系で数学が大の苦手です。おまけに得意なもの・誇れるものがこれっぽっちもありません。アスペルガーの人って一般的に数学が得意な人が多いじゃないですか?でも私は違います。寧ろ手続き記憶を伴うものが苦手です。 あと、前はもうちょっと脈絡と論理のしっかりした文章を紡ぐことができていたのですが、文章を書くことも話言葉を使うことも苦手です。 現代文って他の教科と違って体系化されていないから、どうスキルを身に着けるか悩んでいます。あと他の教科以上に出来るようになりたいという意欲があります。でも思うように成果が上がらないというか、出来るようになる確信というのが湧いてこなくてノイローゼになります。マラソンのランナーが走れないのや、数学者が問題を解けないのをイメージされると理解しやすいと思います。つまり、私にとって現代文は受験科目という意味以上のものがあるんです。解けないと気持ちが悪い。でも出来るようにするためにはどうしたらいいかわからないし、増してや現役の受験生ですから他の教科にも着手せねばなりません。現代文に自分が何故そこまで拘泥するのかが分かりませんし、そんなのが役にたつかと批判される方もいるかと思いますが、自己実現出来ない人一倍の悔しさもどかしさがあります。 私のような人間は本来素直に自分の能力に素直に見切りを付けて出来ることで社会に貢献していく(今はその準備期間)べき、それが大人になるということなのだと思いますが、私はどうしても諦めきれません。読書をしていても人と交流していてもそこに映るものは常に「私」という不正確な主体を通した虚像に過ぎないと思うと、激しい孤独感と自己嫌悪に苛まれ、無気力になります。無論、娯楽としての読書はそれを必要としないのでしょうが、それだけでは物足りないというか、納得出来ません。アスペルガーはそもそもコミュニケーションの障害ですが、そんな私が現代文を極めようなんておこがましいでしょうか? つまらない愚痴です。言い訳です。繰り言です。そんなことは知っています。サッカーのボールもろくに蹴れないで上手い人に軽蔑され、雑言を喰らうような実につまらない人間です。でも私にだって誇りと尊厳があります。でも、それらがある一定以上踏み躙られて今となってはどんな辱めを受けても妥協を許してしまいがちな最近の自分をこのままではいけないと思うんです。 質問というよりは宣言みたいになってしまいました。私はどこへ向かって歩めばいいのでしょうか?途方に暮れています。差し当たってお勧めの学習法・問題集及び参考書があれば是非教えてください。
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- aikato9315
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大学受験向けの国語の指導をしています。 ちなみに私はアスペルガーです。 現代文についてのみ話をすれば、入試現代文は論理しかありません。 どうしてそうなるのか。組み立てていくだけです。 志望校によりますが、本文から作りあげるだけの作業です。 もし、仮に今自分が読み取ることができないからだと思っているのであれば、その部分による間違いです。 学校教育の中で体系化していないだけであり、現代文は体系化されています。 どちらにしても、テーマが何かを探す。対比・相同を探す。細部まで突き詰めて言葉を紡ぐ。 この繰り返しです。 記述であれば、これで問題ありません。 選択肢の場合は間違い探しです。 現代文は根本では間違いまたは意味を突き詰めていくものです。 国語に関して私はむしろアスペルガーが有利な科目だとさえ思っています。 ただし、学校授業としての国語は諦めてください。入試に特化するのであれば、言外の意味を考えられないことが武器です。 まともなレベルの大学であれば、小説は出ませんし、何より小説も論理で紐解くことが可能です。 現代文は体系化してしまえば、間違えることはなくなります。現役時センターは満点。二次試験でもボーダーよりも大きく越えることができていました。 たくさんの量よりも現代文は質です。解くだけでは無意味です。 解いてなぜそうなるのかを考えてください。思考してください。 強い拘りをお持ちのようですから、現代文はできるようになると思います。 がんばってください。
- honamitakasaka
- ベストアンサー率0% (0/0)
国語力を向上させるには、好きな作家の本を読むといいと思います。わたしは、三島由紀夫の「鏡子の家」をおすすめします。少々古いですが、わたしの文章力はこの本によって高められました。登場人物の個性、関係がどのように描かれているかを考えながら読んでいくと、全体構想、描写の的確性、表現の美しさなどが見えてきて、自分の文章もすっきりときれいになります。
- obrigadissimo
- ベストアンサー率23% (1613/7000)
超一流は、ちょっと脇に置いて、 一流~二流~三流~四流の大学の 国語の入試問題を大量に解いてみませんか。 その前に、 有名私立中学校や中高一貫校の 国語入試問題を制限時間の50%くらいで 解いて、勢いをつけてから大学入試問題に 取り組んでみましょう。 英語の大学入試の長文問題も解いてみましょう。 (算数の文章問題も国語力が必須ですので、そうした 問題を集めて、アタマの回転を速くして、制限時間の 1/4程度の時間で解いてみませんか) 以上を進めているプロセスで、 多様な進展が実感されるでしょう。 質問者さまが解いて正答した問題も、 正答できなかった問題も、それぞれ貴重な 「参考書」になりますので、丁寧に扱うようにして、 フィードバック学習に役立てましょう。 質問者さまが気づいてないだけで質問者さまに 与えられているギフト(=天分・才能)が必ずありますので、 丁寧に探してください。 ここまで読んだら、 Einstein's Riddle で検索して解いてみませんか。 小学生でも読める易しい英文ですので 解いて、論理的思考に自信を持ってください。 その他、 数独=ナンプレの難問を2分以内に解いたり、 クロスワードパズル5分以内で解くなどして 楽しみながら脳力を磨いてください。 Good Luck!
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
ご病気の影響が大きいと思います。 ただ「文章を書くことも話言葉を使うことも苦手です。」に関しては、少なくとも質問者さんの発信力は、『優れている』と思いますよ。 ご質問文を拝見しても、論理性と情緒性を兼ね備え、語彙も豊富で、これだけの文章が書ける高校2年生は、なかなか居ないのでは?と言う印象です。 私は国語は割りと得意ですが、その私が断言します。 余談ながら、私の断言にどれほどの価値があるのか?をお伝えするために、自慢がましいコトを言わせて戴きますと、学生時代は常にトップクラスで、全国模試で1位になるなど、かなりの自信を持っていますが、その私が断言しますよ。 まず「発信力」には自信を持って下さい。 従い、質問者さんに欠けるのは、恐らく受容力・共感力・理解力など、受信者側としての能力ですが、アスペルガー症候群が、その能力に関わる障害ですから、難しいのだと思います。 しかし、質問者さんが『優れる』発信力と言うのは、持って生まれた能力などでは無く、過去に知識や思考方法などを『得た』ワケで、外部を受容したり外部と共感して出来上がった能力ですよ。 違う言い方をますと、「優れた受信力」が無ければ、優れた発信力など得られるハズは無いんです。 質問者さんは周囲との共感が苦手なだけで、共感が出来ないワケではありませんし、本来は優れた共感力があるハズです。 更に言えば、むしろ質問者さんは、その感受性・感応性が優れ『過敏』ゆえ、周囲から心を閉ざさざるを得なかったのではないか?と思います。 実際に質問者さんは「周囲と関わりを避ける」と言う形で、「周囲と関わって」いるんですよ。 その結果、「激しい孤独感と自己嫌悪」などを感受しているワケです。 もし質問者さんに、受容力とか感応力が無ければ、その孤独感などを感じるコトも出来ません。 素直に受け入れるべきなのは、感受性・感応性が乏しいことでは無く、むしろそれらが強過ぎると言うコトを受け入れるべきではないでしょうか? 質問者さんは、「理解出来ない」のでは無く、理解するコトに「恐怖感がある」ので、「理解するコトを避けている」のではないですか? 会話でも文章でも、周囲と感応することを『無意識』に拒絶している様に思います。 この『無意識』は非常に厄介なシロモノで、質問者さんが完全にはコントロールが出来ません。 でも完全には出来なくても、多少はコントロール出来ますし、多少コントロールするコトで、大きく変化しますよ。 嫌いなモノ(例えばピーマン)でも、「ピーマンを食べるくらいなら、死んだ方ばマシ!」などと思うと、恐怖感や苦手意識は絶対に抜けません。 ただ、ピーマンに毒性があるワケじゃないですから、「口に入れるくらいなら、死ぬコトは無いよな・・」みたいな意識に変えれば、口に入れるコトくらいは出来る様になります。 口にさえ入れれば、後は水で流し込むなどをすれば、一応は食べられますよね? いきなりピーマンを丸かじりする必要はありません。 小さな切れ端で良いから、まずソレを口に入れるくらいから始めたら良いんです。 味わう必要もありませんので、最初は口に入れられるだけで充分です。 文章も、短文でもジョーク集でも構わないから、触れ合うコトから初めて下さい。 気に入ったジョークで微笑でもすれば、それが『共感』です。 その『共感』するには『経験』『体験』が必要です。 質問者さんの場合、過去にご自身で経験・体験した範囲は、共感力はあると思いますが、ご病気のせいで、新たな経験・体験には消極的かと思います。 一方、小説などは、空想なども有りますが、その空想なども作者の経験や体験に基づいて書かれているんですよ。 私達読者は、本を詠むと言うのは、その作者の体験を、読者が疑似体験するコトなんです。 ただ、算数の教科書の「1+1=2」などと言うのも、大昔にそれを発見した人の経験・体験ですよ。 私が質問者さんの質問文を読むと言うコトは、私が質問者さんの経験を共有・共感すると言うコト。 私の回答を質問者さんが読むと言うコトは、質問者さんが私の経験を共有・共感すると言うコト。 「会話」も基本は同じです。 共有出来る部分は、共感しても良いコトです。 私の「考え」が理解出来たら、共有して下されば嬉しいです。 私の「思い」や「気持ち」が、質問者さんの思いと近ければ、共感してくれれば嬉しいです。 多くの小説や文章も、作者がそう言う考え・気持ちで書いたモノだと思いますよ。 共有出来ない部分は、共感も出来ません。 共有出来ず、共感出来ない部分は、「そう言う考え方もある」と言う知識として保有しても良いし、無視しちゃっても構いません。 例えば自分に向けられた「悪意」の文章や言葉は、共有や共感などは簡単には出来ませんからね。 ただ、それらでさえ、相手の経験などから発せられたものであることは間違いないんです。 相手の気持ちや立場になって考えたら、何かが共有・共感が出来る場合もありますよ。 親が子供を叱る場合などは、子供からすれば、親の悪意と感じてしまうコトもありますが、将来、子供が成長(と言う経験を)し、自分が「親」を経験すれば、やっぱり子供を叱るでしょ? 私達の周りにあるモノのほとんど(全て?)は、過去の経験だし、私達自身も経験の塊と言って良いかも知れません。 生きているだけで、今日や明日を経験しますからね。 経験するコトは、そんなに怯える必要があるモノではないですよ。 小説などは、その経験が詰まってるモノです。 質問者さんが、経験とか成長を望めば、素直に受入れられると思いますよ。 質問者さんは、受け入れる能力は、強過ぎるくらい持ってますので。 経験の結果、傷付くことは誰でも恐いですが、逆に全く経験しないコトも恐怖でしょ? どちらが恐いですか? 人間には、傷を治す力は有りますが、経験していないコトを経験する力は有りませんので、私は経験しないコトを怯えます。 それと経験して傷付けば、それも経験で、次は同じ道を選ばないとか、その経験が次の力になりますよ。 ただ、質問者さんは受容力とかも高過ぎますので、経験するコトを受け入れた場合、ハマっちゃうコトは心配します。 カルト宗教などを、たっぷり受容しちゃったらダメですよ。 宗教でも何でも、一方的に受容するんじゃなくて、「そう言うのはダメ!」って言う方面も受容して下さいね。
- siriai
- ベストアンサー率23% (50/213)
一言で言うなら「想像する」ことです 小説の問題で何が問われるか? それは作者ないし登場人物の心情です 作者がなんでその文を書いたのか? そこに隠された真意を読み解く事こそ、醍醐味であり重要な事です 文の表面的な意味だけを捉えるのではなく、「この一文に何の意味がこめられているのか」良く考えることです 例を挙げれば情景描写と心情描写ですね A君は夕暮れのあぜ道をとぼとぼ歩いている ふと空を見上げた 涙で滲んだ空はいつもより暗く見えた ・・・・みたいな(陳腐な例文ですいませんw) なぜ彼はいつもより空が暗く見えたのでしょう? 気分が沈んでいるからです。 なぜ気分が沈んでいるのかと分かるのか? 「とぼとぼ」「涙で滲んだ」のようなマイナス表現があるから推察できますね このように心情と情景はしばしば対比されてかかれます。 想像してみてください。Aが背中を丸めて行くあてもはっきりしないまま涙をこらえて歩く姿。 彼の心が理解できて来ませんか? 小説は「心」です 心が分かればこっちのものです そのために状況、人物の動作、あるいは情景。 よく考え、人物の置かれた状況を想像してください 問われている部分の前後を読めば必ず答えにつながるヒントが隠されています それを正しく見つけるだけ。こつさえつかめば簡単です まずは多くの文章に触れて慣れていくことからはじめてはいかがでしょうか? 様々な本を読んでいけばきっとできるようになりますよ