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どっちが本当のルソーか(どっちも?)
ルソーのエミールを読んでいます。 告白、という本も合わせて読むといいと、聞きました。 ところで、この2冊は全然、内容が違うようですが 比較してしまうと、エミールの内容は、なんだか 嘘つきのような感じさえします。 告白、の本のほうは、実際にあった自叙伝のようですし。 エミールのほうは、教育の立場から 告白は懺悔として読んでいいのでしょうか。 あらすじで読むと 著者が別人のような気がしています。 ご教授ください。 素人ですみません。 あと他に、哲学書をおすすめしてください。
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まだ見ていらっしゃると良いのですが。 確かに http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4004558.html での質問にもあがっているように、教育について語りながら、ルソーは自分の子供を五人とも孤児院に預けるようなことをしています。 果たして、こんな人間に「教育」を語る資格があるのか、矛盾しているのではないか、 > あらすじで読むと > 著者が別人のような気がしています。 という疑問がでてきても、当然であるように思います。 > エミールの内容は、なんだか > 嘘つきのような感じさえします。 質問者さんはルソーの『社会契約論』という書物をご存じでしょうか。 「人は自由なものとして生まれたのに、いたるところで鎖につながれている」と第一章で書かれています。ルソーはこの「鎖」を解き放つために『社会契約論』を著し、そうしてまだ鎖につながれる前の野生人の状態にある幼い魂を教育することによって、鎖を解き放つことのできる人間を育成しようと考えたのです。 ルソーが『エミール』でとりくもうとしたことは、人を飼い慣らし、鎖につなごうとする当時の教育を徹底して批判し、知識を詰め込むのではなく、真理を学ぶための方法を明らかにし、新しい社会のあり方とそれを担う人間の資質・徳性を明らかにしようとします。その意味で、教育論の古典として、いまなお読み継がれているのです。 ただ、それは実践的な面ではなく、「子供」の発見、子供を科学的実証的に研究の対象として取り上げた、という面での「古典」です。 『エミール』は十八世紀、刊行直後から熱狂的に受け入れられ、それに従って子供を教育することにした、とルソーに告げた人もいたそうです。そうした人に対しては、ルソー自らが懸念を示しています。 一方、『告白』という書物は、それとはまったく傾向を異にするものです。 『告白』は、単なる自叙伝ではありません。 まず、告白、というからには、「昨日晩ご飯に魚を食べた」ことは告白にはなりません。 けれども、仮に魚を食べることが禁じられていれば、「昨日晩ご飯に魚を食べたこと」も告白になりえます。 つまり、「告白」は「隠したい」という気持ち、恥の意識がまずあって、それを押し切ってなされるものであることを押さえておかなければならないでしょう。ですから、何か良いことをしたことであれば、「報告」であり、「自慢」とはなっても、「告白」とはならないのです。 さらに、自分は人を殺したけれど、それはその場面では正しいことだった、あるいは、やむを得ない事情があった、と言う場合も、「言い訳」にはなっても「告白」とはならないでしょう。 従って、『告白』というタイトルでなされた著書は、かならず、自分が過去にした悪いこと、罪の意識を感じ、あるいは恥ずかしく思っていることが書かれています。 確かにルソーは一家離散という悲劇的な出自をもち、そこから成り上がっていったわけですから、事実、大変カラフルな生涯を送っています。「告白」したいようなことがどっさりあっても不思議はありません。 けれども、「告白」がなされるということは、それを恥じ、罪の意識を覚えているからであり、同時にそれを衆目にさらすことで、その罪を負おうとすることにほかなりません。 そういうことを考えていくなら、「理想の教育」を論じる人が、同時に「自分の過去の過ち」を「告白」し、悔いることは、決して不可能ではないと思うのですが、どうでしょうか。
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- sheep67
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こんばんは、僕も素人です。 多分、想像ですが、告白にあるように極限まで行ったから、戻ってきた、と言うことだと思います。 懺悔や反省は、過去したことと決別して、新しい拠り所を見つけた人だけが可能で、対象化するからこそできますし。 でも別人って気持ち分かります。 でも別人ではなく、無茶苦茶やって学んで、右から左に振り子が振れるというのは、珍しいわけじゃないです。世間では。 人間には二面性があるのを認めるのは辛い作業だと思います。 それは、普遍的で、ルソーさんだけが例外、と言うわけではない、ということの認知につながるから、と自分のことでは思います。 哲学書は、僕は哲学の人ではないので知りません。
お礼
ありがとうございました。。。。