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ルソーの教育観

はじめまして。 よろしくお願い致します。 私は今、大学でルソーの「エミール」について研究しています。 エミールの中では消極教育や、母親が直接母乳をあげる家庭教育などを掲げているにもかかわらず、彼自身の子どもは5人とも孤児院に預けています。 当時は孤児院に預けることがおかしくない時代だったという背景もありますが、なぜルソーは自分の手元で子どもを育てなかったのでしょうか? 育てなかったのは何かの意図があったのか、それとも仕方のなかったことなのか、よくわかりません。 もし少しでもわかる方がいれば教えていただきたいと思っております。 よろしくお願いします。

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回答No.1

なかなかルソーというのは複雑な、一筋縄ではいかない人物のようです。 まず、ルソーは誕生してから数日後に産褥熱で母を失っています。 「こうしてわたしの誕生はわたしの最初の不幸であった」(『告白』第一巻 岩波文庫) にもかかわらず、ルソーは幸福といっていい幼年時代を過ごしたようです。日常の面倒は叔母さんがみてくれ、さらに父親は彼と通常とは異なるやりかたで密着していきます。 「父はわたしを母の身がわりと考えていた。しかもわたしが彼女を彼からうばったことを忘れなかった。彼が溜息をつき、身をふるわせてわたしをかたく抱擁するとき、にがい後悔が彼の愛撫にまじっていることを感じぬことはなかった。だから父の愛撫はよけいにやさしくもあった。『ジャン=ジャック、母さんの話をしよう』と父がいうと、『ええ、お父さん、またいっしょに泣くんでしょう』とわたしは答えたものだ。これをきくだけで、父の眼には涙があふれた。『ああ』と、せつなそうにいう。『母さんをかえしてくれないか。お父さんをなぐさめておくれ。母さんがわたしの心につくって行った穴をふさいでおくれ。おまえがただわたしの子だというだけだったら、こんなに可愛いだろうかしら?』」 この父親のなかに息子に対する愛情と、妻を奪った要因ともなった存在に対する憎悪のアンビヴァレンスを見て取ることはたやすいことですし、同時に幼いルソーはそれを理解できなくても、のちのいつかの段階では完全に理解していたはずです。だからこのようなことを書くことができたのです。 ところがこの父親は、ルソーが十歳のとき、名門の司法官ゴーチエとの喧嘩がもとでジュネーヴを追放されることになります。一家は離散し、ジャン=ジャックは見捨てられます。『告白』ではこの部分はほとんどふれられていません。わたしたちにわかることは、父親が子供を連れて行かなかったというだけです。 ただ、ルソーはこのことを決して忘れなかったし(あたりまえです)、自分自身の子供に対する行為に反復されている、とも考えられます。 さて、『告白』のなかでも「最大の懺悔」とされている、五人の子供をつぎつぎに孤児院に入れていった件ですが、まず、当時、これは特別に異常な事態ではなかったようです(ルソーの批判者たちはこのことを攻撃していますから、決して褒められたことではなかったのでしょうが)。 『告白』のなかにもこのような記述が見られます。 「ひどい目にあわされたまじめな人間、あざむかれた夫、誘惑された妻、公にできない出産、そうした事柄がここでのもっとも普通な話題であり、孤児院に子供をいちばん多くいれている者が、いつもいちばんほめられるのである。そうした考えがわたしをとらえた。いとも愛すべき人たち、その根本は非常にまじめな、れっきとした人たち、そうした人たちのあいだにおこなわれている考えかたにもとづいて、私は自分の考えかたをきめた。そして自分にいった、「それがこの国のならわしなんだから、そこに住む以上、それに従ってもいいわけだ」これが、わたしの求めている善後策なのであった」 『告白』でのルソーはふりかえって、自分の行為を「誤り」であったと言います。 「わたしは、自分の子供たちを自分でそだてることができないために、これを公教育(孤児院)に託し、放浪者や山師よりも、労働者や農民になるようにしておけば、それで公民として父親としての行為にそむいてはいないと信じ、自分をプラトンの共和国の一員だと考えたのだ。それ以来、一度ならず、わたしの心にわいた後悔は、わたしのあやまちをおしえてくれた。だが、わたしの理性はそのような警告を発しなかった。それどころか、かえってわたしは、あのようにしたことによって、子供たちをその父の運命からまもり、またわたしが彼らを捨てなければならなくなったとたんにおそいかかるであろう運命から彼らをまもることになったのを、しばしば天に感謝したのである」 当時のルソーが貧困のうちにあったこと、社会的にも定まった地位も関係も持っていなかったことは考慮に入れておくべきでしょう。それだけでなく「子供たちをその父の運命からまもり、またわたしが彼らを捨てなければならなくなったとたんにおそいかかるであろう運命から彼らをまもることになった」という言葉の裏に、やはり自分自身の体験が二重写しにされているように思えます。 そのほかにも『告白』は非常におもしろい本ですから、ぜひ、この機会に質問者さんもご自身でお読みになることをおすすめします。