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ドーバー海峡にも吹いた”神風”
1588年、スペイン国王フェリペ2世は反抗的なイングランド懲罰のためアルマダ艦隊をドーバー海峡に派遣しました。 スペイン・イングランド双方幾つかの海戦にて干戈を交えましたが、両国とも戦闘での決定打を欠き膠着状態となりました。アルマダの壊滅は戦闘ではなくブリテン島を迂回しての帰路における暴風雨によるものでした。 なぜこの時、英国では日本における神風信仰のようなものが起こらなかったのでしょうか?
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- pri_tama
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キリスト教は日本の多神教の様なご利益宗教では有りませんから、キリスト教の神が特定の国家や人に味方することはそもそも有りません。 イエス・キリストでさえ、処刑された時に「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや)」と絶叫して死ぬくらいですし…。 神の子とも呼ばれるイエス・キリストを見捨てた神が、それ以下の人間を助けていたら、キリスト教としての整合性が立たなくなります。 そもそも、イギリスもスペインも同じキリスト教国ですし、どちらかの国に味方したら「神の下に人は平等」という基本原則が崩れてしまいます。 キリスト教的に言うと「信心深き者が、より高みに到れるように試練を課すのが神の所業」とされますから、より過酷な道を歩む事になるスペインの方が神の御心に沿っていた事になります。 (勝利が神の御業だとすると、イギリスが神の試練を課される価値の無い国と見られてしまった事になりますから…。) ちなみに、日本と同じような多神教国家だった古代ローマ帝国だと、主神ユピテルが雷神だった事に関連して、戦闘中に強烈な雷雨が発生し、そのお陰で勝利できたなんて話は有ります。
- k16399638
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スペインの英国侵攻計画は、大げさに言えばカトリック対英国国教会の戦争でもありました。メアリ・スチュワートを女王にして、エリザベスの宮廷を滅ぼす、というのが最終目的だったわけです。艦隊が英国に向けてスペインをでた時点で、英国人も相当狼狽して、盛んにミサをして神頼みしています。 この時点での英国の水上兵力は、中央による統制と、女王に任命された司令官が全権をもって軍制を船舶の集団に取り入れ、船の集団が海軍となっており、中央に報告するための記録を取った、という点で、それまでの戦とちがう、はっきり記録の残った物になりました。 また、この海戦はネーデルランド叛乱の副産物で、叛乱勢力を援助している英国をつぶせば、ネーデルラント、英国とも屈伏する、というのがスペインの考えでした。陸兵輸送、上陸が主目的だったので、艦隊といっても、実質は武装した輸送船団でした。 しかも、艦隊編成途中に英国側の妨害耕作に度々あい、その責任をフェリペ2世から追求された有能提督のサンタ・クルス侯爵は、体壊して風邪で死んでしまい、その後任のメディナ・シドニア公爵は、海戦をしたことないという。 事前にこれだけのイヤガラセによる大成果を英国人は自らの手で上げていました。それらを仕切ったフランシス・ドレイクが海軍司令官となったので、英国側の士気は非常に高かったのです。 1588年7月21日から、両者は海峡で激突しますが、29日までの戦いで、スペイン側はなそうとしたこと全てを阻止されました。30日に英国側は、もう驚異は去ったとして、追撃をやめています。 そのあとの敗残艦隊が嵐で沈んだとしても、それ以前に人の力で壊滅に追い込んでいたのですから、結果的に神に感謝したくらいはあったでしょうが、神風信仰には至らなかったようです。 ただし、どの戦争でも、大きな戦いを乗り切ったあとで英国(に限らず、共産主義国以外の欧州)ではミサをあげる習慣があるので、ちがった形で、神に感謝はしていると思います。キリスト教があまねく広まっていたことも、無関係ではないでしょう。大日本帝国陸軍には宗教関係者が従軍することはあまりありませんが(従軍僧侶というのは存在しました)、欧州の国では従軍牧師が大きな存在なので、別の意味で信心深いと言えるでしょう。
- tanuki4u
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神国思想 幕末直前の、松平定信あたりから、日本は神国であるという意識が生まれてきた。 なぜ鎖国しているのか? 神国だから。 なんかあったらどうするの? 神風がふくかも という必要に応じて生まれた思想のようです。 イギリスも必要があれば生まれただろうし、必要がなかったから神風思想が生まれなかった。 歴史的経験は必要条件かもしれないが、歴史的解釈はまた別の話。
- nacam
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スペインの艦隊が、暴風により壊滅したのは、イギリス艦隊により、イギリス攻略をあきらめさせられた後におります。 イギリス艦隊は、スペイン艦隊に、決定的な打撃は与えられませんでしたが、スペイン艦隊は、イギリス艦隊によりバラバラになってしまい、とてもイギリス攻略どころの状態ではありませんでした。 これは、スペイン艦隊の司令官が海戦に不慣れであった事、スペイン艦隊が地中海艦隊と大西洋艦隊、さらにはポルトガル艦隊との連合艦隊でありながら、統一的な艦隊練習を全く行っていなかったために、イギリス艦隊の攻撃に、統一した行動がとれなかったことに原因があります。 さらに、スペイン艦隊は、アントワープでイギリス攻略の陸軍を乗せるはずでしたが、攻略軍を乗せる前にイギリス艦隊との交戦となり、攻略軍を乗せていないために、イギリスへの上陸ができないため、バラバラになった時点で帰国を決断しました。 つまり、スペイン艦隊が、グレートブリテン島の北を迂回して帰国しようとした段階で、既にイギリス艦隊は、スペイン艦隊の野望を打ち砕いてしまっており、スペイン艦隊が暴風雨により壊滅的打撃を受けたのは、余技にすぎませんでした。 ですから、神風信仰など、起こりたくても生まれるはずがありませんでした。
- Pinhole-09
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元寇ののち、フビライの第一次ベトナム侵攻に際しても、暴風により元の船団は壊滅しました。 神風の話は起きませんでした。 日本の場合は衰えかけた鎌倉幕府が、引き締めの為に神風神話を作ったのでしょう。 それを信じた後世の日本人は愚かでした。
- tanuki4u
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%A2%A8 さらっと書いてありますが「従来は『大日本史』の記述の影響などもあり」(引用) 何百年も後に書かれた歴史書を元に、負けが込んできた第二次世界大戦に神風信仰がメジャーになったということです。 西欧ではだいたいみんな「神のご加護によって」となり、自分のところが一番神様に愛されていることになっております。 で、神にもすがるときに、歴史上の何かを引っ張ってきます。 アマルダの後、イギリスで歴史上の伝説を引っ張ってくる機会がなかっただけのことでしょう。 神風信仰があるから、あーなった、こーなったではなく。 あーなった、こーなったなので神風信仰が生まれて大きくなったという因果関係が逆だと思います。
- kagakusuki
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すみません、その話は知らなかったのですが、御質問文を読んだ限りでは、アルマダ艦隊が壊滅したのは帰路においての事ですよね。 という事はイングランド軍は、アルマダ艦隊を打ち破る事までは出来なかったものの、少なくとも自国の防衛は自らの力で果たして、アルマダ艦隊を引き上げさせる事には成功していたと考えられます。 戦闘前や戦闘中に敵軍が自然の脅威や偶然で壊滅したのであれば兎も角、自力で一応の勝利を収めたのですから、極普通の勝ち方に過ぎず、神風信仰が生まれる余地は無い様に思えるのですが、、、、、
お礼
早速のご回答有難う御座います。 確かにご指摘のようにスペインの戦争意図を挫いたと言う意味では自国防衛に自力で成功したと言えるのかもしれません。 しかし、日本の元寇においてもそれは言えるのではないでしょうか? 文永の役(一回目の来襲)では日本武士団の活躍により博多に一度上陸した蒙古軍を船に帰還させています。これは"日本軍手強し"の証明であり決して神がかり的な勝利ではなかった証です。 にも拘わらず日本では神風信仰が巻き起こり、後々の日本史にまで大きな影響を及ぼしています。同じ島国の英国はと言うと、他国に先駆けて産業革命を成功させモンゴルやスペインに代わり世界を制覇しました。