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神風特攻隊

神風特攻隊で亡くなられた方々は、お国のために勇敢に戦ったということで、敬意が払われているのでしょうか。 あるいは、単なる戦争の犠牲者として、憐れまれているのでしょうか。 一般的には、どのように受け止められているのでしょう?

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回答No.10

個人的には、ただただ、憐れむのみです。 国のためっていうけど、それは、強制的に思い込まされてい たわけですよね。 そこからして、憐れ以外の何物でもないです。 敬意を払う払わないは個人の自由でしょうけど、自爆テロの ようなものですからね。 私は、どんな理由があろうとも、自爆テロのようなものをする 人には、敬意を払えません。 北朝鮮等もそうですが、強要された愛国心・自己犠牲の精神 は、不気味さ・憐れみを感じるだけです。 民間人・軍人を含めて、戦死者を「憐れむ気持ち」からは、同 じことを繰り返してはいけないという意識が、芽生えると思い ます。 が、「敬意」からは、また同様の状況を引き起こしかねない下 地を、感じてしまいます。

Chihuahua_
質問者

お礼

ありがとうございました。 #私は、どんな理由があろうとも、自爆テロのようなものをする #人には、敬意を払えません。 私も同じです。 #北朝鮮等もそうですが、強要された愛国心・自己犠牲の精神 #は、不気味さ・憐れみを感じるだけです。 そうですね。強要されたものは、本来の自分の思いとは全く違うでしょうからね。 #が、「敬意」からは、また同様の状況を引き起こしかねない下地を、感じてしまいます。 そういうことが言えるのかも知れませんね。 強要された「愛国心」「自己犠牲の精神」に対して敬意を払うことは、それをさせている体制についても敬意を払うことにつながりかねないですからね。

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  • nubewo
  • ベストアンサー率24% (14/57)
回答No.11

特攻が自爆テロと同じだという考えには賛成です。ですから、現状の日本に特攻精神を再現しようとするのはよくないことだと思います。 自分の祖先が代々愛した自分の国(国家でなく、地方の国)をアメリカの占領下に置かれることはやはり我慢ならんのではないでしょうか。その愛国心は真っ当だと思いますし、お国のために自分犠牲をかえりみなかった人はすごいと思います。そこには敬意を払うべきだと思います。ただ、そうでもしないと自国の尊厳を守れない時代は悲しい。繰り返さない努力をするのは義務だと思います。 戦後の日本の教育は、特攻できる自己犠牲精神を恐怖したアメリカが歪めた側面を持ちます。確かに「国のために死ね」と強制した悪い過去もありますが、最近では「とにかく特攻はだめ」という価値観を強制的に植えつけられた事実があります。 「英霊に敬意を払う」「愛国心」といった単語は軍国主義と容易に結びついて悪用されがちです。本当はいい言葉なのに、素直に認められないような背景を作った人がいますね。右翼の方なんか。 同時に、必要以上に哀れむ、嫌悪する人がいます。はっきりいてアメリカの思惑に汚染された気持ち悪い人々です。右翼は自分が一般人じゃない自覚があると思いますが、こういった人は自分が普通だと信じて歌わがわないだけに気持ちが悪い。 結論として、無関心なせいで浅薄な知識しか持たず、結局として特攻という行為を薄く哀れむ人が大半なんじゃないかと思っています。

Chihuahua_
質問者

お礼

ありがとうございました。 #その愛国心は真っ当だと思いますし、お国のために自分犠牲をかえりみなかった人はすごいと思います。 あらゆる情報が開示され自由な選択が可能な状況でそう思えていたのならいいのですが。 しかし実際は、操作された情報しか与えられてない中で、占領下に置かれることを希望することなどできない状態であり、愛国心を持たないことが許されない状態だったことは明白ではないでしょうか。  今の北朝鮮の人達が、国のために命を投げ出す覚悟を持つことを強要されているのと全く同じではないでしょうか? 将軍様のためなら命を惜しまないと思っている人に、私は微塵も敬意を払う気にはなれません。 #戦後の日本の教育は、特攻できる自己犠牲精神を恐怖したアメリカが歪めた側面を持ちます。 #最近では「とにかく特攻はだめ」という価値観を強制的に植えつけられた事実があります。 「アメリカが歪めた」「強制的に植えつけられた事実」というのは、私には、貴方がそのように思い込まされていると思えないこともないですが。 #必要以上に哀れむ、嫌悪する人がいます。はっきりいてアメリカの思惑に汚染された気持ち悪い人々です。 必要以上とか必要以下とかの基準を自分はわかっている、と思われているご自分への自信に敬服しております(笑) 「必要以上」とか「アメリカの思惑に汚染された」等、全て憶測の域を出てないことと思えますが。 憶測を元に他者に対して「気持ち悪い」等と言われていることについては、私は少なからず疑問を感じておりますが。 過去の歴史を振り返ると、憶測や偏見を元に他者を嫌悪することから、様々な悲劇が生じています。 #こういった人は自分が普通だと信じて歌わがわないだけに気持ちが悪い。 どのくらいの「こういった人」から話を聞いておられるのでしょうか? 1万人くらいのサンプルデータはお調べになっているのでしょうか?  断定されることが多い方だなあと感じておりますが、ようするに、「信じて疑わない」ことが多いということなんでしょうかね。 #結論として、無関心なせいで浅薄な知識しか持たず、結局として特攻という行為を薄く哀れむ人が大半なんじゃないかと思っています。 かなり深い知識を有している学者・ジャーナリストの中でも、「憐れむのみ」という方は多いみたいですね。

  • shinopyon
  • ベストアンサー率19% (41/211)
回答No.9

こんばんわ。 gon1234さんの言うように、敬意を払う方達が多いと思います。  父方の縁戚に、神風特攻隊ではありませんが、一式陸攻と言う飛行機に抱えられた、桜花と言う人間爆弾で出撃した人がいます。結局戦死し、位牌しかないそうです。  私は、日本がアメリカと戦争をしたことが、よく理解できませんが、戦争を体験した祖父は、神風、桜花、回天を操縦する人間を消耗品のようにしたことを、よく思っていないのも事実です。

Chihuahua_
質問者

お礼

ありがとうございました。 #戦争を体験した祖父は、神風、桜花、回天を操縦する人間を消耗品のようにしたことを、よく思っていないのも事実です。 そういう気持ちが大切だと思います。

  • gon1234
  • ベストアンサー率14% (42/293)
回答No.8

敬意を払う方が多いのではないでしょうか。東南アジアでも日本のカミカゼは英雄として扱っていただいている国がありますよ。 「一般的」というのは難しいとらえ方ですが、カミカゼ特攻は日本が世界に誇るべき戦闘行為と言えるのではないでしょうか。 生命軽視などの「偽善」をうそぶく輩がいますが、現実世界において自己犠牲の上に成り立つ行為は美しいと思います。

Chihuahua_
質問者

お礼

ありがとうございました。 #東南アジアでも日本のカミカゼは英雄として扱っていただいている国がありますよ。 それと正反対の受け止め方の国の方が大多数のようにも思えますが。 #生命軽視などの「偽善」をうそぶく輩がいますが、実世界において自己犠牲の上に成り立つ行為は美しいと思います。 貿易センタービルへの自爆テロ等、私は自爆攻撃の類には少しも美しさを感じませんが。 そのような行為が少しでも評価されるようなことがあるとしたら、由々しいことのように思えてなりません。

回答No.7

一般的というのが当てはまらない問題でしょう。戦争の犠牲者があって今日の日本があるわけですが、現実に靖国参拝反対とか種々多様な捉え方が戦争にはあります。 一般的という事をあえて無視してお答えします。単なる戦争の犠牲者として、憐れまれているという事以外に敬意が絶対あると思います。自分の人生を意のままに生きる事も無く国の為に結果が死であっても従って生きた人達。勇敢とか壮絶とかの想い以外に彼らの存在は戦争と平和をを考えてこれからを生きていく私達、残されて命を繋げて行ける私達に人間社会の尊さと平和の大切さを考える為に感謝の気持ちを持って忘れてはならない存在だと私は考えています。

Chihuahua_
質問者

お礼

ありがとうございました。 #戦争の犠牲者があって今日の日本があるわけですが、 戦争を回避する道を選択していても日本は存在していて、その場合は、多くの犠牲者は存在していなかったようにも思えますが。 #彼らの存在は戦争と平和をを考えてこれからを生きていく私達、残されて命を繋げて行ける私達に人間社会の尊さと平和の大切さを考える為に感謝の気持ちを持って忘れてはならない存在だと私は考えています。 確かに、平和の大切さを考えるために、忘れてはならない存在だと思います。 憐れみが大きければ大きいほど、同様の状況には向かいづらいようにも思えます。

noname#5808
noname#5808
回答No.6

家族に予科練の生き残りがいます。 特攻に出撃する前に終戦を迎えました。ですが、本人はそれを悔やんでいます・・・自分だけが生き残ってしまったと。半世紀以上苦しんでいます。 誰も死にたくは無い。しかし、自分の家族や祖国が失われてしまう。 いざ戦争となり、交戦国同士がお互いに冷静でいられない・・・外交の手段が途切れてしまった状態で、いかにして自国民、家族を守るか・・・。 兵器が無い、物資が無い、その最終手段・・・自分の命を犠牲にする・・・辛いお話ですよね。 私自身、また家族は特攻隊員の御霊に敬意をはらっています。 戦後、当時の政情を冷静に客観視できるようになったから、「敬意をはらう」、「はらわない」二つの考え方になったのだけで。 私自身、「特攻」行為を賛美する意図はありません。二度とあってはならない事だと確信しています。

参考URL:
http://www.st.rim.or.jp/~k-kawano/
Chihuahua_
質問者

お礼

ありがとうございました。 #いかにして自国民、家族を守るか・・・。 #兵器が無い、物資が無い、その最終手段・・・自分の命を犠牲にする・・・辛いお話ですよね。 確かに、辛いお話ですね。 そういう状況を二度と招かないためにも、少しでも正当化するようなことがあってはならないと思っています。

  • reikomama
  • ベストアンサー率37% (260/694)
回答No.5

戦争は知りませんが、わたくし自身の気持ちとしては「敬意」ですね。 なかには死にたくないと思っていた人もいるでしょうが、純粋に愛国心から笑って死んでいった人が多かったのではないでしょうか。 「なんでオレが」とか「オレひとりぐらい死ななくても」と思うような身勝手な考えを自ずと戒めていた若者がたくさんいたと思います。 日本は戦争に負けましたが、だからといって彼らの死が犬死と思ったことは一度もありません。 ただ一般的に、ということでしたら20代から下の世代、いやひょっとしたら30代も含めて受け止め方以前に「無関心」かもしれません。

Chihuahua_
質問者

お礼

ありがとうございました。 #純粋に愛国心から笑って死んでいった人が多かったのではないでしょうか。 強要された愛国心。強要された自爆攻撃。そんな中で笑って死ねた人などいたのでしょうか? 私は疑問に感じます。 #日本は戦争に負けましたが、だからといって彼らの死が犬死と思ったことは一度もありません。 犬死にだと思う気持ちが強ければ強いほど、悲惨だと思う人が多ければ多いほど、あのような狂った状況に再び陥ってしまう可能性は少なくなると思うのですが。

  • mujinkun
  • ベストアンサー率16% (336/1986)
回答No.4

私自身は可哀想に思います。 でも、日本国としては、神国に命を捧げたことを褒め称え、理想の国民としていますね。 それは当時も今も変わっていないようです。

Chihuahua_
質問者

お礼

ありがとうございました。 #私自身は可哀想に思います。 そういう気持ちの人が多ければ多いほど、あのような狂った状況には向かいにくくなるような気がしています。 #でも、日本国としては、神国に命を捧げたことを褒め称え、理想の国民としていますね。 #それは当時も今も変わっていないようです。 今も変わってないとしたら、由々しいことだと思います。 あのような状況が受け入れられてしまう恐さを感じます。

回答No.3

人間誰しも死にたくはありません。 この世に生を受けて生まれてきたからには死にたくはありません。 しかしあの時代は親兄弟をまた国を守るために自分一人くらいはと言って特攻隊に志願して行ったのです。 国全体がそう言う雰囲気だったのです。 ですから自分は死にたく無いと言うのは通用しなかったのです。 特に農家の次男、三男等が行ったと聞きました。 いわば戦争の犠牲者だと、私は思います。

Chihuahua_
質問者

お礼

ありがとうございました。 #国全体がそう言う雰囲気だったのです。 #ですから自分は死にたく無いと言うのは通用しなかったのです。 狂気の時代だったのですね。 #いわば戦争の犠牲者だと、私は思います。 犠牲者だと思う気持ちが多ければ多いほど、あのような狂った状況に進んでいく可能性が少なくなるように思えます。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.2

一般的ということ自体が成り立たないでしょう。 敬意を払う人もいますし、そうでない人もいます。 一番多いのは、知らないとか、無関心でしょう。それが今の日本です。

Chihuahua_
質問者

お礼

ありがとうございました。 #一般的ということ自体が成り立たないでしょう。 思想的に著しい偏りのない人という意味で、「一般的」という表現を使いました。

  • kmor
  • ベストアンサー率27% (225/825)
回答No.1

私はやはり国の犠牲になったと気の毒に思います。 特攻の前に家族に宛てた手紙などは涙なくしては見れません。

Chihuahua_
質問者

お礼

ありがとうございました。 #私はやはり国の犠牲になったと気の毒に思います。 そのような思いがほとんどであるなら、再びあのような状況を招いてしまう可能性は少ないと思えます。 が、彼らに敬意を払う人が大多数ということなら、歴史が繰り返されてしまうことを危惧せずにはいられません。 敬意が払われるということは、そういう状況がある意味肯定されていると思えるからです。

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