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元寇のとき神風は起こりましたか?

元寇のとき神風が起こって元軍を撃退したと習いましたが、 実は神風(台風)は来なかったという説もあることを知りました。 歴史的事実として、元寇のとき台風が起こって元軍を撃退しましたか? よろしくお願いします。

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  • pyon1956
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回答No.3

元寇という言い方にも問題があるのですが(一種の中華思想日本版。外国による侵略を寇(こそどろ)よばわりする)、いわゆる文永の役と弘安の役、2度の日本侵攻の事ですね。文永の役においては緒戦は日本側善戦するも後退を余儀なくされたが、ここでなぜかモンゴル側もいったん海上に退いた。もともとモンゴル側の意図が一回の決戦で日本側をやぶるものではなかったようです。つまり強大な軍事力を見せつける事が目的であり、事実失われた将兵はほとんどが付庸国である高麗の士卒。水手だったらしいので、モンゴル側の意識としては敗戦ではなくとりあえず目的を達したので帰る、というものでした。 これは第2回、弘安の役においても主力というか中心は旧南宋のしかも選抜されなかった弱兵です。当時モンゴルの海上戦力はいまだ整っていなくて、主力は騎兵でした。事実モンゴル貴族はすべて騎士であったわけです。このため、第2回についてもモンゴル側には敗戦の意識はありません。要するに日本に圧力をかければそれでよく、また南宋の弱兵は使い物にならないから、海外棄民でもできればもうけもの、まあ人員整理になって良い、という戦略だったようですね。この場合日本側も十分な準備ができていて、そもそも上陸して戦うのが困難だったようです。 その上巨大な兵力が拠点にする場所も無く、結局船上にとどまったため、風が吹いたかどうかはともかくこれまたモンゴル側の勝利にはならなかった。 で、3回目は明らかに企画されるもモンゴルの内乱、つまり王家内部の戦争がおこり頓挫しました。それどころではない問題であったからです。

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  • 6dou_rinne
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回答No.2

蒙古の襲来は第一次は旧暦の10月でもう台風の季節ではありませんでした。ただ、多数の兵士が水死したと言う史料があるので何らかの形で海が荒れた可能性はありますが、日本の支流には神風のことは出てこないので撤退途中の出来事だとも、神風は吹かなかったともいわれます。 第二次の襲来は旧暦の7月ですので台風シーズンのまっただなかで、史料にも神風(暴風雨)で元軍が壊滅したと記されていますのでこちらは間違いないでしょう。

  • b0024
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回答No.1

僕が学生時代に聞いた話では、元は計三回侵攻してきたと。一回目、二回目は武力でもって撃退して、三回目に神風が吹いたと聞きました。 いろいろな説があるようですね。

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