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占いと哲学

占いには、歴史や伝統的な側面、歴史上の要人が重要視していたり、統計学・地理などの学問に通じるもの、当たるも八卦当たらぬも八卦のように娯楽・気休めに至るまで多種多様ですが、哲学的には、どのような考えが出来るものなのでしょうか? 神と人との間の(神寄りか・人寄りか・ちょうど中間ぐらいなのか・または、他の位置か)どの範囲の位置づけが妥当な事象なのでしょうか?

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  • lv4u
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回答No.2

>>哲学的には、どのような考えが出来るものなのでしょうか? 私が学生時代に初めて読んだ「哲学」という文字の入った書籍には、以下のようなことが書かれていた気がします。 「『哲学』とは、たとえれば、銃弾飛び交う突撃と撤退と混乱の渦巻く、戦いの最前線である。その場所で勝利し、多数の味方の部隊と、民間人が戦いを気にすることなく暮らせる安全地帯になれば『科学』という文字が与えられる。」 つまりは、研究・分析に明け暮れている「時代の最先端」と思える「科学」よりも、さらに先の未知なることを考えるのが「哲学」っていうような意味だと思います。特に、昔の「科学」が発達していない時代には、哲学が科学の領域さえも含んでいて、それが全てだともいえたのではないでしょうか? ただ、現在では、哲学は単なる論理学、倫理学のように、狭い分野のことだけを守備範囲にしているような感じもしますね。 で、質問に戻ると、本来の哲学からいえば、白紙の視点で、「占いは、神寄りか、人寄りか、ちょうど中間ぐらいなのか?」を研究していくことが、哲学的な態度ではないでしょうか? 地球に住む私たちは、ニコラ・テスラによる交流理論の発明の恩恵を受け、電気のある便利な生活を享受しています。が、同時に、彼の発明したフリー・エネルギーや反重力装置、地震兵器等は、闇に葬られ、地震兵器が時々、「今回の○○地震はハープが使われた。その証拠に米軍関係者だけは警告を受けて逃げていた!」というニュースで触れるぐらいです。そして、無公害で無尽蔵に使えるエネルギー技術があるにもかかわらず、一部の権力者たちによって潰され、いまだに石油・天然ガス等に頼る生活です。 アメリカにおいては、数百万人から一千万人に拡大しているといわれる宇宙人による人類へのアブダクション問題もあるようですし、現実の宇宙人をネタとして作成された映画「アバター」からその先の、人類と宇宙人との共存地区とその地区のスラム化、居住者の強制収容所への収容問題などをリアルな視点で描く「第9地区」という映画も4月に公開されるそうです。 占いもですが、霊界、UFO、宇宙人など、一般の人々が「トンデモ」として分類する分野も「哲学」が頑張ることが要請されている時では?なんて思います。

naoagu
質問者

お礼

科学が発達していなかった昔に、それに変わる未知の部分が哲学としてカバーされていた…科学のように不思議を数値としてデータとして証明・解明できなかった時代に生活の・人生の指針として編み出されたものの一つが占いである、そう考えると占いが哲学の一部であることが良く分かります。 神を崇め、信じ、そこから見出される人の道を未来に託したり、運命として受け止めたり、科学とは別の予測力を持ったものが占いとして根付いたのかも知れませんね。 その頃よりは、はるかに科学が発展した現在でも未知の部分はありますが、古代の人が神の力を必然と考えていたより、科学(人)寄りの見方に変わってきたことが、占いを不可解なものにしているのでしょう。 何となく、占いの見方・考え方が変わってきました。。。 ありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.4

 こんにちは。  占いはその姿勢がおろかの極みです。  占いの中には 当たるものもあるのです。占った人間がいちばんおどろくことでしょう。    哲学の場合には その《うら(=裏=こころ)なひ》について つねに推論を述べます。推論も いかんせん人間にとっては たえず部分観でしか為し得ません。したがって 見落としが出て来ます。  したがってさらに その哲学のうらなひが当たろうと当たるまいと 問題は その結論をみちびいた推論にあります。  この推論の仕方や事例を じんるいは歴史とともに磨いて来ています。(ということは 自然科学をも哲学に含めて言っていることになりますが)。  いわゆる占いは この哲学の姿勢に真っ向から挑むこころの持ち主によってしか為されないし楽しまれません。けれども ではどうして現代になってもなくならないか?   部分的には少しづつ哲学の成果を盗んでおり自分もその哲学の営為をおこなっていて 多少は常識も含まれている。このゆえです。  ですが このような商売のやり方は 人間が人間でなくなろうとする意志行為だと考えます。つまりホモ・サピエンスにそなわった知解の能力において死にたいという人びとが これを楽しみにするのであり――このとき 或る種のあそびが持てると言ってよろこぶようです―― これにかこつけて商売をする人びともいる。  こういう事態であり 実態だと考えます。

naoagu
質問者

お礼

そうですね。誰も未来を知る事は出来ないし、どんなに卓越された技術や最先端科学を駄使しようと、未来を語ることは、推論の域を出ません。 未来に対する期待・依存・欲は、現在を生きる上である程度必要なことなのでしょう。。。推論であろうと、人に憶測する力や希望に対する憧れ、夢見ることなどが、未来を知ってみたい、運命だと思いたい、などの現実離れした部分に意識を向かわせ、現実のむなしさや、満足ならない部分から引き離してくれるのでしょうね。 人間の弱さ・儚さをカバーするための占いと思うと、神の業から受けた恩恵と言うよりはるかに人寄りの事象ですね。。。 (占い自体、神の創造物でなく、人の考えであることは確かですが…) ありがとうございました。

回答No.3

実用的に有害なものは、歴史の中で淘汰されます。 一見非科学的に見えるものも、伝統的なものには利点が 潜在していると考えるべきです。 それが風水のように物理的に理にかなったもの(南に 台所をおいてはいけない=冷蔵庫のなかった時代には 日がさして物が腐りやすい)、便所は鬼門(北東)におけ =汲み取り式だった時代に暖かい時期の南風で臭気が 屋内に入って来るのを防ぐ)もあれば、一見根拠がなくとも 心理的に、人智が及ばず悩んでも仕方のないものについて ムダに悩まないで済むようにするものかは別にして。

naoagu
質問者

お礼

風水に関しては(詳しくないですが…)何よりも重視されているのが、気の流れなのだと思います。目に見えないエネルギーを実生活に生かし・利用することで、同じように自然界の一部である人・人体に良い影響(または、悪影響)を与えるなどの生活と自然が与えてくれた恩恵なのかも知れません。科学的と言うより、気の流れから感じる精神性を重視した精神鍛錬・気づきの意味も含んでいるようです。。。 伝統として培われた揺ぎ無い真実が、目に見えない疑わしい事実を乗り越えた、今日までの歴史が築いてきた部分の大きい占いですね。 ありがとうございました。

  • cowstep
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回答No.1

占いの中には、占星術のように、元来は非科学的なものですが、後に自然科学(天文学)の母胎となったものもあり、真理探究という哲学的要素があるものもあります。天気占いも、当たる確率の高い天気予報の域に達すれば、自然科学(気象学)に近づくでしょう。

naoagu
質問者

お礼

確かに西洋占星術は、生まれた日時を星の位置に計算・換算して導き出したりしますね。惑星の位置を当てはめた占いもあります。天文学の知恵がなければ、発展しなかったでしょう。 同じ様に星座を主にした占いもありますが、こちらは、星座にまつわる神話などがベースになっていて、思想的な部分も垣間見られます。 天気予報もある意味占いと同じ、その範囲が気象学にまで及んでいるとは、気づきませんでした。。。 ありがとうございます。

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