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異端にあらず
パナウェーブのように宗教の設立の初期段階というのは,なぜあんなに批判されるのでしょうか? 歴史的にも,ほとんどと言っていいほど,どの宗教でも発生初期には,激しい差別を受けている気がします。 原始宗教も,初めは異端だったのでしょうか? そもそも自分(の宗教こそ)が正当であるという根拠とは,どういう思想(心理)に基づいたものなんでしょうか?
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何か自分と違った信仰を持っている集団というのは、よく分からず、不安に見えると思います。異色なんです。 ですから、排斥されるのは、ある意味当然ともいえると思います。 また、宗教は、政治的な色彩を持つこともあります。当然、この場合も拒否感を持って迎えられるでしょう。 たとえば、キリスト教の始まりなどが当てはまるでしょう。 「自分が正当である」かどうかと、信仰とは、本来は別だと思いますが、人が集団になると、また別の論理が生まれるのだと思います。
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- kyuukeityu
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宗教の定義のひとつとして、あるものを聖なるものとして、世俗の世界にあるものとは違う特別な扱いをする行動という考えがあります。 これを元に考えると、差別を受けることである意味特別な扱いをされ、そこで存在感を得ているとも考えられるでしょう。 敵を作ることで、己の存在感を確かめているわけです。 その社会との緊張感が、教団や教義を鍛え上げて深みのあるものにし、成長させる要素になるのだと思います。 自分の宗教こそが正当であると言う根拠は、主に教団の仲間意識がベースにあるのではないでしょうか。 その仲間を支える思いが、形になると教義となっていくのでしょうし、またあるときには仲間意識の排他性が、異質な感じを生み出しているように思います。
お礼
有難うございます。 確かに、共同体意識は、差別や排外主義の根釧の様な気がします。 戦争の言い分も、両陣営で違います。方や、自由のための戦い、一方で侵略戦争、と平行線をたどります。不毛な水掛け論をやっている教団や国家もあります。 近代の高度に管理された社会システムがもたらす閉塞間の中では、自分を歯車の一部としか認識できない。そこから、歯車を操る神や権力者の存在を欲しているのかもしれない。大衆社会における正当性を主張する新興宗教も、独特の共同体意識を持っているのかもしれません。 都市部で新興宗教が隆盛なのも、希薄な村意識のためでしょうか。
- cse_ri2
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問いの一部にだけ回答します。 >歴史的にも,ほとんどと言っていいほど,どの宗教でも >発生初期には,激しい差別を受けている気がします。 > >原始宗教も,初めは異端だったのでしょうか? 現在の大宗教のほとんどが、歴史的に見れば異端扱いされる 歴史を経てきました。 仏教はお釈迦様が布教をはじめると、既存の宗教であった バラモンたちから猛反対を受けます。 キリスト教はイスラエルではユダヤ教から迫害され、後に ローマへと布教の拠点を移すと今度は国家から弾圧を受けます。 イスラム教もムハンマド(モハメット)が布教をはじめる と、既存の多神教を信じていた人たちから猛反対され、一時 はメッカを離れざるを得ませんでした。 儒教は積極的に布教しなかったので反対も積極的にはなかった のですが、なかなか世に受け入れられず孔子も孟子も流浪 の旅をせざるを得ませんでしたし、後に法家思想の実践者 である始皇帝が中国全土を統一すると、思想的に法家思想を 否定する儒者たちは、大弾圧を受けました(いわゆる焚書坑儒) 結局、世の中に革新的な考え方(宗教や思想など)が現れると、 既存の考え方に反対したり否定する立場になりますので、 古い考え方をする勢力からはどうしても反対されてしまう んですね。 しかし反対を受ける中でもその教えがより真実であれば、 その教えは死に絶えることなく生き続け、やがて時がくれば 発展するものと(私は)捉えています。 もっともいかがわしい宗教や哲学も歴史上多く現れました。 しかしそれらの宗教・哲学は、たとえ一時大発展しても、 継続せずにやがてしぼみ、歴史の流れの中で消え去っています。 本物は生き残り偽者は死に絶える。私はそう思っています。
お礼
有難うございます。 どの教えも発展する過程において,時の偽政者と結びつき少なからずの弾圧を行っている気がします。 今の新興宗教に価値があるか分かりませんが,アイヌやインディアン、またはパプアニューギニアなどにかろうじて残っている原始的な信仰も大切なものだと思います。
お礼
夜分、ありがとうございます。 異端であることを認識、もしくは認定するための諸判断の中には、絶対的にこちらの方が正しいという信念のようなものがあると私は思います。 パレスチナとイスラエルが和解するためのヒントが,異端に対する人々の心理の理解にあると思いたったしだいです。