>「古代の聖書には、輪廻思想があった」という結論だけが
「古代の聖書」には輪廻思想が記されていた、というような事実はありません。何故断言できるかと言えば、『新約聖書』の正典文書であって、輪廻思想を記している文書は「ない」からです。
参考URLのページには、「外典」には記されていたというような記述があるでしょう。「外典」というのは二種類の意味が主にあり、一つは、カトリックや東方教会が認めている「正典」であって、プロテスタント諸派は「正典」と認めない文書です。カトリックではこれを、「第二正典」とも呼んでいます。
この意味の「外典」以外に、キリスト教の「正統教会」がかつて一度も正典と認めなかった、イエズスの福音やキリストの救済などについて記された文書が多数あり、これらが一般的な意味で「外典(アポクリファ)」と呼ばれます。しかし、この意味のアポクリファは、『新約聖書』の文書ではなく、従って『聖書』の文書ではないのです。
『新約聖書』というのは、紀元1世紀後半から2世紀にかけて、色々な人やグループが編集し記録した文書を、紀元3世紀から4世紀頃にかけて、原始教会(初期キリスト教集団)が「正典」として承認した文書の全体を意味しています。「正典の選択と編纂」という作業があったのです。
またキリスト教という宗教も、325年のニカイア公会議における「三位一体教義」の基礎公認と、381年のコンスタンティノープル公会議における、三位一体教義の追認等を通じて、事実的には、3世紀から4世紀にかけて、「或る教義を備える、まとまりのある宗教」として構成されたのであって、この4世紀頃に確定した教会の教えに合うような信仰を述べていた過去の集団などが、時間を逆にして、「原始キリスト教集団」として、後から認定されているのです。
以上のことが正しいと、どうして分かるかと言うと、初期キリスト教の歴史について記された、新約聖書学に基づく学問的なキリスト教の歴史本を見れば、このように説明されています。(カトリックなどの教団が編纂しているキリスト教の歴史だと、「神話」と「歴史」が学術的に区別されていないことが多々あり、分かりにくい可能性があります)。
キリスト教の『正典=新約聖書』には、輪廻思想は出てきません。「復活の思想」はありますが、「復活」と「輪廻」は別のことです。
しかし、上で述べたように、紀元1世紀後半から2世紀、3世紀、4世紀と、イエズスやキリストの福音や救済を語る、様々な文書が存在しました。これらは「外典」であり、「新約文書」とも言います。
「新約文書」のなかの「外典」文書には、プラトンのイデアー論などが強く出ていて、魂のイデアー的永遠性や、肉体をまとっての幾度もの地上世界への誕生(つまり輪廻)などを、思想的に含む文書はあったと言えます。また、ギリシアのオルペウス教やピュタゴラス教なども、「輪廻」を認めており、こういう思想の影響が濃い新約文書には、「輪廻」の思想が入っているとも言えます。
しかし、このような思想を含む文書は、キリスト教の教えに合わないので、正典編纂において、除外され、『新約聖書』(また『旧約聖書』)には含まれていないのです。
>削除されたという事実があったのか、その削除された部分がなぜ削除されたのかという、歴史的考察あるいは、史料を抜きになさらないようにお願いしたします。
削除したのではなく、上で述べているように、そういう輪廻思想などを含む文書は、正典として認めなかったので、『聖書』には入っていないのです。
正統キリスト教の教えには「輪廻思想」は含まれないのです。しかし、例えば、有名なのは、12世紀から13世紀にかけて、南フランスで興隆した「カタリ派」という「異端分派」では、輪廻思想が、教えの一部として含まれていました。
(『聖書』というのは、最初からそういうまとまりのある一冊の本があったのではなく、異なる時代に異なる人やグループが書いた複数の文書を、後で編纂して一冊の本にまとめたのです)。
参考書(予備知識がないと何が書かれているのかも分かりません)
>『誰が新約聖書を書いたのか』バートン・L・マック 青土社
お礼
回答ありがとうございます。 >削除したのではなく、上で述べているように、そういう輪廻思想などを含む文書は、正典として認めなかったので、『聖書』には入っていないのです。 編纂途上で、輪廻を説くものは除外されて、外典にいれられたということなのですね。が、そうすると、結局『聖書』として編纂された書物には、輪廻思想はないといことになりますが、その編纂途上で、輪廻思想を説いたある書物なり文書を捨て去ったという事実はあったわけですね。削除ではないけれど、取捨選択されて、外典に回されたわけですね。それはキリストの思想ではない、とキリスト教会は考えたわけですね。 よく言われる「削除」というのは、少し勇み足で言葉が飛躍していますね。 ちなみに、その外典に回された輪廻思想ですが、それはギリシャ起源のものであり、イエスには縁もゆかりもないというのは、断言できることなのですか? 現在の『聖書』にあるかどうかキリスト教の公認であるかないかではなく、学問的に見て、です。神秘家につながるような学者?は、イエス由来と考えているのでしょう(本気かどうかは知りませんが)。 一体何が捨てられたのか、その部分についても知識がありましたら、お教え下さいますと幸いです。