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カーチス・ルメイ
私も近年耳にするのは、カーチス・ルメイを日本国が叙勲したのは「無差別空襲や原爆投下を主張し、指揮し、実行したからだ」というものでした。 仰せになる方とともにとても悔しく思っておりました。 1. カーチス・ルメイが受勲したおは本当に、「無差別空襲や原爆投下を主張し、指揮し、実行したから」なのでしょうか? 2. それとも自衛隊の訓練に功績があったからなのでしょうか? 3. 或いはまた、大東亜戦争における日米関係の清算と再出発の一つの契機とするための、選択だったのでしょうか? どうかお教えをください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4
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回答No.1
wikiの内容のとおりの説以上にはないのではないでしょうか。 個人的には東京大空襲の功績というのはないと思います。 ルメイが嫌いな人が、東京大空襲を指揮したルメイに勲章を与えるのは嫌だということや、勲章を返還させるためにルメイを落としめるためのウワサだと思います。 答えは単純に、自衛隊の指導をしたことと、源田実がアメリカから勲章をもらったお返しに、源田が格好をつけるために勲章をやっただけだと思います。
お礼
ありがとう御座います。 たまたまというか、一定の無意図の意図(未必の故意みたいな)でルメイが戦後の訓練の大きな一端を担ったのですね。 戦後処理の一環と考えれば、源田さん問題とのバランスも、一定の無意図の意図で(未必の故意みたいな)でしょうね。 しかし源田さんはあくまでも、日本の素晴らしい青年たちの未来を犠牲にする大きな影響があっただけで、無差別空襲や原爆投下の如き犠牲は向こうに与えてはいませんからね。 歴史の後的読みで言えば、両人とも私たち日本人は認容できかねますね。 当時の、その人としては当時は、論理が通るでしょうが。
補足
ありがとう御座いました。日本人としてはルメイを受け入れることはとても出来ませんね。特に浅草、蒲田の空襲で逃げ惑い、目前に50過ぎの女性のご老人が孫を胸に抱きしめ、地べたに座り込んで背中から燃えていってしまった状況は忘れる事はできません。 しかしカーチス・ルメイの判断と決意は、当時としては戦争という事の中では存立するかもしれません。 お気づきのことで、お教えいただけることがあればカーチス・ルメイ2を開いておりますので、どうかお願い申しあげます。