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太平洋戦争の有名な戦いを教えてください
太平洋戦争について真珠湾攻撃から順番に勉強中です。 Wikipediaの年表を見ても、いまいちどの戦場や海戦が重要だったのか、よくわかりません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8 戦局を左右した有名な戦いや知っておいたほうがいい重要な出来事を教えてください。 今はまだ、真珠湾攻撃、沖縄戦、東京大空襲、原爆投下くらいしか知りません。 よろしくお願いします。
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やはりミッドウェーは重要ですね。連合艦隊自慢の機動部隊 大型空母を四隻も失う大敗を喫した戦いですから・・・ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6 年表より本文のほうが分かりやすいでしょう http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89 あとこんなページとか http://ww2.bufsiz.jp/
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- jkpawapuro
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>戦争をやめるタイミング これは日本側としては国体の護持がキーとなっています。平たく言えば天皇制維持です。降伏文書であるポツダム宣言にはこのことは盛り込まれていませんが、事前の外交交渉で天皇制を残せるという感触をアメリカからえることができたため、降伏にいたりました。 アメリカ側としては、巨費を投じて作った原爆を実際に使って見せることにより、戦後世界でソ連に対して優位に立つために、原爆投下までは戦争を続行する強固な意志がありました。よってこの戦争の終結のタイミングは、アメリカが原爆を投下したことによるものです。戦争終結の決定権を持っていたのは、アメリカであるという現実を見ないとしょうがありません。決めるのは勝っている側です。 負けを認めるといっても、結果としてフィリピンやチベット、バルト三国のように、国が半永久的に失われては意味がありません。また政府首脳がそんなことを認めてしまっても、進駐軍との間で激しい独立闘争がおき、太平洋戦争とは比較にならない死傷者が出たでしょう。 確かに太平洋戦争は日本史上最大の被害を出しました。ですがそれでも、第二次大戦の死傷者としては最大ではありません。ソ連やドイツのように地上戦をしたら、被害ははるかに大きいのです。しかも非戦闘員の被害が大きくなります。 なお、マッカーサーは天皇の戦争責任を問う連合国のなかで、天皇制維持に尽力しています。もちろん約束したからではなく、アメリカの占領政策を円滑に進めるためでしょうが。
お礼
ありがとうございます 原爆投下にはソ連へを牽制する意味もあったんですね。
- tande
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重要って言われても、何が重要であるとかないとかは人によって異なりそうなものなので、一概に言えないでしょう。 あえて言えば、全部重要だともいえますし、学校の教科書に載っているようなものが重要(というより有名)な戦いだと言えるでしょうね。 すでに挙がっている戦い以外で「重要な」戦いを挙げるとするなら、 42~43年のソロモン戦と44年のフィリピンの戦を挙げます。 その中でも、海戦や陸戦ではなく、航空戦を見てもらいたいです。 それはあまり「有名」ではないかもしれませんが、非常に「重要」な戦いです。
お礼
ありがとうございます。 ソロモン戦について調べてみます。 航空戦は優秀なパイロットがいたようなので興味深いです。
まず最初に、一般にはアジア太平洋戦争の始まりは「真珠湾」と言われますが、実際にはその1時間ほど前にマレー半島のコタバルに奇襲攻撃を仕掛けているので、そちらが始まりと言えます。これはイギリスを攻撃したものですが、当時、アメリカとは外交交渉を行っていたものの、イギリスとは何の交渉も行っていなかったので、完全な奇襲攻撃といえます。 これなどはNO2さんが指摘されている通り、「太平洋戦争」と言えばアメリカとの戦いばかり想像しがちな日本人の感覚が影響していると思います。もちろん、それにはアメリカの占領政策も影響しているのですが。 アジア太平洋戦争について見ていく上では、アメリカばかりに気をとられずに、もっと広い視野を持つことが重要だと思います。私が使っている「アジア太平洋戦争」という言葉も、アメリカとの戦いにばかり注意が行きがちな「太平洋戦争」と言う言葉より、もっとアジア全体で行われた戦争として捉えることが出来るということで、専門家の間では主流になっている呼称です。 そういった前提の上で、あえてターニングポイントとなった戦いを挙げるとすれば、やはり皆さんが指摘されているようにミッドウェー海戦があります。ここで、それまでの連戦連勝に奢っていた日本軍は、主力空母4隻を失い、以後坂道を転がり落ちていきます。この海戦では、アメリカ側が日本軍の作戦を暗号解読によって察知していました。情報戦に敗れたことも、日本の敗因でした。 次に重要なのはガダルカナル島の戦いです。この戦いでは、いたずらに戦闘を長期化させ、兵力を大量に浪費してしまいました。メンツやプライド、勝てるという妄信などによって無意味に兵力を消費して、挙句補給が出来ずに敗北と言う、日本軍の戦いの典型が見事に表れています。 そして、マリアナ沖の海戦での敗北と、それに伴うサイパンなどの陥落が戦局を決定的にします。「絶対国防圏」と呼び、なんとしても守らなければならないとされたこの地域を押えられたことにより、日本は制空権を失い、本土へのB29による空襲が可能になってしまいました。この敗北がとどめとなって、東条英機は首相を辞任することになりました。 後はもう、いかにして早く戦争をやめるかが問題とならなければならなかったのですが、特攻隊などまで考案して無意味に粘り続けたがために、硫黄島や沖縄、本土空襲などで多大な被害を出し、結局は原爆とソ連の参戦まで招いて、敗戦となったわけです。民間人の死者のほとんどは45年のものなので、もっと早くに戦争をやめていればはるかに被害は少なかったでしょうし、千島列島(北方領土だけでなく全部が日本領)を失うことも無かったはずです。 これは主に太平洋でのアメリカとの戦いを取り上げましたが、一つ忘れてならないのは、この間ずっと中国戦線などアジア大陸での戦いも続いていたと言うことです。大陸での戦いに多くの兵力が割かれていたことが、太平洋での敗戦につながったとも捉えることが出来るわけであり、日本は中国を含めた連合国に敗れたと言うことが出来ます。
お礼
ありがとうございます。 確かにアジア太平洋戦争と呼んだ方がいいですね。 私も大本営のメンツとプライドによって悲惨な戦争になったと思います。
- furupai
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有名どころは他の回答者さまにおまかせするとして・・ 私は「占守島の戦い」を知っておいて欲しいとおもいます。 大東亜戦争最後の戦いです。 終戦後、ソ連による北海道占領を死を賭して防いだ名誉ある戦いです。 もし応戦していなければ北海道は米ソに分割占領されていたでしょう。 http://sidenkai21.cocot.jp/m582.html
お礼
回答ありがとうございます。 占守島のような戦いは知りませんでした。 このような戦いは歴史の授業でもしっかり教えるべきだと思いました。
- eroero1919
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ミッドウェーときたら、ガダルカナルです。 1942(昭和17)年8月、ミッドウェーに勝利した米軍は日本軍が飛行場を建設中だったガダルカナル島を占領しました。 日本軍は米軍を甘く見てすぐに奪回できると一木支隊(支隊というのはちょっと難しい軍事用語なのですが一木隊長に率いられた特別編成部隊と考えてください。ちなみに、この一木支隊はあのミッドウェーに上陸する予定の部隊でした)を投入し、上陸した一木支隊は日本軍伝統の戦術である夜襲を仕掛けますが、米軍の圧倒的な火力の前に全滅します。 日本軍はその後川口支隊、第二師団と次々に兵力を投入しましたが米軍の反撃の前についに奪回を諦め、ガダルカナル島から撤退します。このとき、日本軍常勝神話を崩したくなかった大本営が「撤退」を「転進」と表示したことは有名です。 ガダルカナル島攻防戦では、日本軍(というか、日本の組織が今でも抱える)の持つ構造的な欠点があらわになった典型的な戦闘です。補給を軽視した日本軍は前線で食料がなくなり、日本兵は戦闘ではなく、飢えとそれによって体力が低下し病気にかかることによって多くの死亡者を出しました。ガ島は「餓島」となったのです。 日本軍の補給軽視の姿勢の代表例がこのガダルカナル攻防戦と、1944(昭和19)年のインパール作戦です。
お礼
回答ありがとうございます。 陸での戦いは悲惨なものが多いようですね。 強引で無茶な作戦が多く、死んでいった兵士達がかわいそうでなりません。 大本営の人たちは本物の戦場を知らなかったんでしょうか。。。
- jkpawapuro
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>戦局を左右した有名な戦い これは問答無用でミッドウェーです。それまでは、開戦時の奇襲とそれに乗じて日本軍がやりたい放題、その後ハワイ近隣めざして攻め込むも、米軍も全力で防衛に当たりこれに成功(ミッドウェー)、その後ガダルカナルで米軍の反撃が始まるといった形です。 ガダルカナルでは両軍壊滅的な被害を受ける死闘を数度繰り広げるものの、ガ島を奪い守りきった米軍が、この時期から補給能力の差、国力の差を現し、以後どんどん日本にせまる、こういった 流れです。 ”海外事情に詳しい海軍は、そもそもアメリカと戦争をした場合、長期戦になれば絶対に負けるということを最初から分かっており、「アメリカに勝つのであれば、当初の奇襲で一気に優位な状況を作り、アメリカが反撃に転ずる前に、外交的交渉で、無茶をしないうちに戦争を終結させるしかない」” こういった状況で安易に開戦に走った理由として、ドイツがヨーロッパで破竹の進撃を続けていたという状況があります。戦争立案段階では、いずれドイツがヨーロッパを席巻し、大西洋をはさんでアメリカとにらみ合うという読みがありました。いわば人の尻馬に乗って植民地(資源)確保をもくろんだが、勝ち馬にのったつもりがそれは負け馬だったという状況があります。開戦前にはドイツの躓きは始まっていましたが、外交的にももう引き返せない状況でした。
お礼
回答ありがとうございます まだわからないことが大半ですが、戦争をやめるタイミングを失ってしまったのは痛かったと思います。 本土空襲がはじまったころにはもう負けが決まっていたような気がしますし、沖縄や広島長崎の原爆投下まで粘ったのか疑問です。
- a-koshino
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流れとしては ・真珠湾攻撃→日本軍の快進撃 ・初の東京空襲→ミッドウェー海戦に大敗、多くの熟練パイロットが死ぬ 陸軍は空襲を防ぐため大陸打通作戦を決行し、ますます大陸へ深入り ・米軍の反撃開始 ガダルカナル島攻防戦(=ソロモン作戦) 長期の航空消耗戦により、海軍航空戦力が損耗→米軍の進撃 ・マリアナ沖海戦(サイパン島攻防戦)→日本の空母機動部隊、壊滅 VT信管 占領したサイパン島を基地として、B29が日本を爆撃 ・米軍のフィリピン攻撃→レイテ沖海戦 残った戦艦などによる、壊滅覚悟の殴り込み作戦 特攻の始まり ・米潜水艦の活躍、空襲と機雷封鎖により日本の産業は全滅状態 硫黄島で日本軍善戦 硫黄島占領で、戦闘機P51がB29を護衛できるようになった ・沖縄戦、ドイツ降伏、原爆投下、ソ連参戦→敗戦 主要な流れからは外れますが ・20世紀最低の作戦→インパール作戦 初めから補給も地形も無視して決行
お礼
回答ありがとうございます。 みなさんの回答から、歴史の授業ではほとんど教わらなかったことが数多くあり、とても驚いています。 インパール作戦は悲惨な戦いだったそうなので、詳しく調べたいと思います。
- harepanda
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海外事情に詳しい海軍は、そもそもアメリカと戦争をした場合、長期戦になれば絶対に負けるということを最初から分かっており、「アメリカに勝つのであれば、当初の奇襲で一気に優位な状況を作り、アメリカが反撃に転ずる前に、外交的交渉で、無茶をしないうちに戦争を終結させるしかない」と考えていました。しかし、内閣は陸軍にコントロールされており、当初の圧勝ムードに国民も酔いしれていたため、海軍の上層部が懸念していた通り、日本は、「やれば絶対に負ける」総力戦を続けるという決断をしてしまったのです。 戦局が一気に変わり、急激に日本不利の状況に転じたのは、ミッドウェイ海戦での敗北がきっかけです。戦局を左右した有名な戦いという点では、これが一番です。さらに硫黄島での敗北により、アメリカ軍は日本まで飛行機での空襲が可能な距離にまで到達しました。 国民に大きなショックを与えたのは、知米派の海軍の英雄である山本五十六が死亡したことです。このころから、いわゆる大本営発表による、虚偽の戦勝ニュースが増えてきます。戦局がまさに、山本五十六が不安視していた通り、不利な状況に入り込んで来たわけです。 他方、同盟国であるドイツも東部戦線でソ連軍相手に苦戦し始め、日本に対し、ソ連を東からも攻めてくれないかと必死で嘆願するようになります。しかし、日本は当時、日ソ不可侵条約を持っており、そもそもソ連国境近くの満州軍のうち、かなり人数を南方戦線に送り込んでいたため、ソ連との戦いを行う余裕も理由もありませんでした。 しかも、日本軍は中国でも苦戦を強いられるようになります。日本の陸軍は、非人道的な行動を中国でとり、中国人を「丸太」と称して、生物兵器や化学兵器の人体実験に使っていたのです。731部隊による人体実験、生物兵器や化学兵器の実戦での投入など、非人道的な行動がエスカレートしていきます。南京大虐殺があったのか無かったのか、大騒ぎしている人たちが多数いますが、少なくとも731部隊による人道上の犯罪は、間違いなく行われていた事実です。現在でも、時々、日本軍の化学兵器が見つかり、大騒ぎになります。 沖縄戦は、日本の国土の住民を巻き込んだ、唯一の本格的な地上戦です。この戦いに敗れた頃には、日本軍は無茶な戦争を何とか続けようとして、竹やりで本格的な装備を備えた米国軍に立ち向かうための訓練を、一般国民に行ったり、金属不足を補うために各地から寺の鐘などにいたるまで金属を回収したりするようになります。 日本史の教科書には出てこない話ですが、海外に目を向けると、非常に重大な問題が発生しています。ナチスが「ユダヤ人問題の最終的解決」と称して、ユダヤ人をガス室送りにし始めたのです。ユダヤ人を全員、民族ごと殺してしまおうという、狂気の政策です。ドイツでの状況は国外にも漏れ伝わっており、アメリカはカトリックの宗教指導者であるバチカンに対して、ドイツへの非難決議を出すよう、何度も交渉を行ったのですが、バチカンは最後まで沈黙を守り、ドイツへの批判は行いませんでした。バチカンは、「宗教とは麻薬であると言っている共産主義のソ連より、ナチスのほうがましである」と思っていたのです。これは、現在のローマ法王にいたるまで、反省と自己批判が徹底されていない大問題です。 非人道的な戦術という点では、アメリカ軍も、軍施設ではなく、一般住民の居住地域を狙った空襲を行っていますので、どっちもどっちでしょう。米国はこの頃になると、戦勝を確信し、ソ連とも裏交渉を行って、戦後の国際体制のあり方についても、議論を始めるようになります。ドイツは連合軍に完敗し、旧東プロイセン領(現ロシア領カリーニングラード)を失ったほか、首都ベルリンにまで連合軍が到達し、ヒトラーは地下室で自殺します。 アメリカは勝利を確信していたものの、日本への警戒心は簡単には解けませんでした。日本は苦し紛れの策として、風船爆弾という単なる気球を作り、ジェット気流に乗せてアメリカに到達させるという、しょぼい武器を使い始めるのですが、これが見事なまでに、アメリカにまで到達したケースが多々あるのです。アメリカ軍の懸念は、「日本は中国で生物兵器を使っている国だ。風船爆弾に生物兵器を搭載されたら、大変なことになる」というものでした。だからアメリカ軍は、日本に対して、徹底的な攻撃を行ったのです。米軍の行動は非人道的ですが、当時の日本の行動を外国人の目から見た場合、ある程度は、「身から出たサビ」状態でしょう。 日本の陸軍は冷静な判断力を完全に失っており、沖縄だけではなく、本土決戦をやるのだと、いきまいていました。陸軍はそれに備え、天皇や首都機能を安全な場所に移転する「松代大本営」というものまで用意し始めるのです。ここでアメリカ軍は、原爆を2つ投下。それでも陸軍は、まだ本土決戦をするつもりでいました。日本が敗戦を受け入れたのは、原爆を落とされたからではありません。ソ連が日ソ中立条約を破って、満州国になだれ込んできたからです。このあたり、事情を勘違いしているアメリカ人が多いので、要注意ポイントです。 一応、戦争の経緯については、ざっと語りましたが、そのほかにも知っておいて損はない、重要事項はあります。 ●戦艦大和のような巨大軍艦は、飛行機が主流化していく時代においては、完全に時代遅れの代物であり、あっけなく飛行機の攻撃で沈んでしまった ●戦後処理の一貫として、講和条約が結ばれる際、「戦勝国は戦敗国への賠償金請求を放棄する」という原則が作られた。かつて第1次世界大戦の戦後処理の時、ドイツが絶対に復活できないようにするため過大な賠償金を課したところ、ドイツ経済が破綻してドイツ人の反発を買い、ヒトラーのような危険な人物に投票する有権者が多くなって、ナチスが合法的に政権をとってしまったことへの反省から ●上記の事情により、日本国は国家としての賠償を中国や韓国などに対して行う義務から解放されている。したがって、国からの直接の賠償という行動をとることはせず、中国に対してはODAで実質的な賠償を行い、従軍慰安婦に対しては国からではなく特別な基金からの補償金の支払いを行ってきた。しかし、韓国の元従軍慰安婦は、プライドの高い国民性を反映して、日本国の国家からの支払いでないと受け入れないという立場を貫いており、第2次大戦の戦後処理の原則を理解していない。この問題については、解決しないまま従軍慰安婦の寿命が尽きてしまうことが懸念される ●第2次世界大戦の敵国としては、アメリカばかりを想定する人が多いが、オランダ、オーストラリアも、実は敵国である。あまり日本人に意識されていないが、日本に悪いイメージを持っている人が今でも多少は残っている ●台湾は日本の植民地だったが、日本に対する台湾人の感情は悪くない。ロシアでも、昨今は日本への良いイメージが強い ●戦後処理上の問題として、いわゆる「シベリア抑留」がある。戦争時に中国に残された日本人が、比較的、平和に日本への帰国を実現したのに対し、ソ連は日本人を中央アジアやシベリアに送り込み強制労働をさせた。日中国交正常化を成し遂げた田中角栄は、ソ連に対し、この点を厳しく批判している。なお、中央アジアのウズベキスタン(旧ソ連邦)には、日本人抑留者が作った建物が残っており、「地震の時、他のビルは崩壊したが、日本人が作った建物だけは、地震でも平気だった」として高く評価されている ●形式論で言えば、昭和天皇は国家元首であるから戦犯である。しかし、昨今になって昭和天皇の発言などの新資料が見つかるようになり、天皇が何を考えていたのか、分かるようになってきた。昭和天皇は陸軍の暴走を苦々しく思いつつも、「戦争は出来る限り避けるべきものであるが、どうしても必要なら、精密かつ徹底的に行わなければならない」と考えていたように思われる。植物学者のイメージが強い昭和天皇だが、かなりの現実感覚を備えた人物であったことがうかがわれる。また、昭和天皇は、病弱な大正天皇に代わって早い段階から摂政として働いていたほか、時代遅れの側室制度を廃止した功績がある。この側室制度の廃止に伴い、天皇家の血筋を残すことが難しくなり、昨今の女帝容認論が出てくる下地となった。本来であれば、小泉政権下で議論されたように、女系天皇を素直に受け入れるのが、現代社会にふさわしい倫理感覚であり、しかも、天皇家の血筋を残すという意味でも、最も現実的な対応策である。女系天皇を容認するための皇室典範改正論は、秋篠宮に男児が生まれたことで急速に勢いを失い、なし崩し的に消滅してしまったが、今回はたまたま秋篠宮に男児が生まれたという偶然があっただけで、側室制度の廃止により血統維持が困難になっているという現状は、何も変わっていない。女系天皇の容認を行わないと、今後、禍根を残す
お礼
いろいろ詳しくありがとうございます。 海軍と陸軍でだいぶ考えかたが違ったのですね。 まずは太平洋戦線のミッドウェー海戦を詳しく勉強していこうと思います。
お礼
ありがとうございます。 http://ww2.bufsiz.jp/ は初心者には丁度いい感じです。 いまgoogleで検索したら、ミッドウェー海戦とかレイテとかあとマレー沖海戦などの動画が出てきました。 意外と当時の貴重な映像って残っているんですね。