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浅野内匠頭は腑抜けなのか?
吉良に致命傷を負わせられない、突きで攻めなかったと言うことは、すなわち腑抜けだったのでしょうか? それから、もしあの場で討ち果たしていたとすれば、自身が切腹となって赤穂藩は取り潰しになってだけで話は終わったのでしょうか?
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- isaa535
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1です。 3さんの言われる様に乱心状態で失敗したと思われます。 浴びせた一太刀で深手を負わせる事が出来ていません。 まあ、それでも梶川に押さえられなければ本懐を遂げられたと思います。 江戸城内での人情で相手に浴びせた傷でもっとも軽いのが 内匠守であったと言う武士としては不名誉な記録が残ってしまいました。 結果論だと腑抜けと言っても良いかと思います。 江戸城内での人情事件は7件あったようです。http://homepage1.nifty.com/SEISYO/ikon.htm#inaba また、城外ですが前田が織田を殺害した事件というのもあります。 この事件赤穂の事件が斬り付けて失敗した事から前田利昌が織田秀親を切りつけず刺し殺したとの事です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%88%A9%E6%98%8C_(%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%AF%BA%E6%96%B0%E7%94%B0%E8%97%A9%E4%B8%BB) ちなみに この事件のその後の討ち入りですが日本三大仇討ちの一つとされていますが、厳密にはあだ討ちではありません。 内匠守が吉良に殺害され内匠守の弟又は子が果し合いにて吉良を殺してあだ討ちです。 家臣が敵を討っても江戸時代の法律で言うあだ討ちにはなりません。 この家臣は殺人罪で死罪です。 あだ討ちは父母又は兄の敵を子又は兄が討ち果たすのが正式なあだ討ちで罪に問われませんでした。 この事件、人情的にはあだ討ちですが法律上は暴挙で切腹は当然でした。 幕府が内匠守の弟に赤穂藩を相続させていれば幕府の不名誉な記録と なっていたでしょう。
- k16399638
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漫談です。 私は剣道の段もちですが、ときどきいる、気合とイキオイだけの人は、強くありません。大声あげたりして、ちょっと驚きはしますが、正攻法で攻めればどうとでもなります。 で、浅野さんですが、この人の家系はカッとなる家系で、母方の叔父も刃傷をやって(この人は相手を討ち果たしました)、切腹となっています。 吉良義央に対する恨み、で刃傷に及んだのは確実です。 このとき「殿中でござるぞ」と浅野を取り押さえた梶川頼照の記録が、この事件については詳しいですが、 間合いが非常に狭い(近づきすぎ)状態で、 大声あげて切りかかってきて(冷静じゃない)、 押さえつけられてもなお大声で叫んだ精神状態、 だったので、腑抜けというよりはご乱心、というのが真実ではないでしょうか。討ち果たしていたら、結果は1番さんの言われているとおりだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます 確かに、殺戮に及ぶと言うよりは、乱心といったほうがいいでしょうね。それでも武士なのかと。
- tanuki4u
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%91%89%E6%AD%A3%E4%BC%91 腑抜けというか、ヘタクソでしょう。 ひと世代前の大名なら、確実に仕留めています。
お礼
ご回答ありがとうございます
- isaa535
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浅野内匠守が小刀を振り下ろしたのは武士が嗜んでいた 剣術が大刀を上から(斜め上含め)振り下ろす方式の 為かっとなり、習慣上、上から振り下ろしたのではないでしょうか? そして普段使わない小刀であった為、距離が足りなかった不運な結果です。 戦闘時、小刀は振り下ろさず、相手の腹を刺す使い方の方が有効ですが 大名ともなると小刀をその様に使う事はまずありえないので腹を切るものとしてしか頭に無く思わず振り下ろした思います。 怒鳴らず、後ろから背中を突き刺せばよかったんですけどね。 もしあの場で討ち果たしていたとすれば、内匠守が切腹となって赤穂藩は取り潰しで終わったはずです。 あだ討ちの相手は死亡で存在しませんので。
お礼
ご回答ありがとうございます 小刀を使った練習をしてこなかったと言うところが大きいでしょうかね。実は結構こっちのほうが殺戮用には実践的なのにね。
お礼
ご回答ありがとうございます 大変納得いきましたです。 やはり腑抜けな殿に家臣が犠牲になったという歴史だった気がしますね。