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浅野内匠頭の乱心の原因

江戸城、松の廊下の浅野内匠頭の刃傷事件。あの事件の真相はなんなんでしょう。結局いまだにわかっていないらしいですが将来確かな証拠がでてきて解明される可能性はあるのでしょうか。それとも永遠に霧の中ですか。真相解明ができる可能性の有無だけでも教えて下さい。赤穂浪士の吉良邸討ち入りの真の動機についてもいろいろ言われますがやはりあの浅野内匠頭の刃傷事件が気になります。

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  • oska2
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回答No.3

>松の廊下の浅野内匠頭の刃傷事件。あの事件の真相はなんなんでしょう。 浅野内匠頭の取り調べ調書には「私は持病に痞があり、物事を取り鎮めることが出来ない」との記述があります。 つまり、感情の制御が出来ないのですね。 今で言う「突然、キレル」のです。 同時に、持病の神経性胃炎も患っています。 神経性胃炎は、天候が悪いと(むち打ちと同じで)気分を害するのです。 まぁ、これらの古文書記録が正確なら「神経性胃炎・統合失調症」が原因でしようね。 >赤穂浪士の吉良邸討ち入りの真の動機についてもいろいろ言われますが その通りで、討ち入りの方々は「再就職が出来なかった浪人衆」ですよね。 赤穂事件(ノンフィクション)と忠臣蔵(フィクション)は、全く別物です。 忠臣蔵では、多くの浪士が「切腹」していますよね。 が、実際には「間新六」ただ一人が作法に従って切腹したのです。 大石さんも、切腹をしないで首を刎ねられています。 >やはりあの浅野内匠頭の刃傷事件が気になります。 忠臣蔵ファンには申し訳ありませんが・・・。 「キレタ」のが、原因だと思いますね。 余談ですが・・・。 悔やまれるのが、47番目の浪士。寺坂吉右衛門。 吉田忠左衛門家扶でしたが、(武士でないと蔑まれながら)主人と共に討ち入りに参加。 事件後は、吉田忠左衛門の息女が姫路藩士に嫁いだ時に下男として勤めます。 その後、江戸へ出て旗本山内家に奉公した後で寺男として天寿を全う。 この間に、真相を記録していればね!

katakana1956
質問者

お礼

oska2さんは病気説ですか。この浅野内匠頭の「証言」は初めて目にしました。ご紹介ありがとうございます。とはいえ当時のことだからこの証言などは重視されなかったんでしょうね。それにどんな証言をしようと切腹は免れなかった。幕府にとっては浅野さんに切腹させることが第一だったんでしょう。真相解明などどうでもいい、と。逆に動機が最後まではっきりしなかったからこそいろいろな「伝説」が生まれたのでしょう。それが現代まで続いていて物語も生き続けるといったところでしょうか。いっぽう寺坂吉右衛門という人は幕府に遠慮して真相を知っていても書き記さなかったのだと思います。ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • eroero4649
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回答No.2

>綱吉さんもう少しばかり余裕もってもよかったですね。 綱吉さんもなかなかどうして浅野内匠頭なみのエキセントリックなお方ですからね・笑。生類憐みの令がどんどんエスカレートしたのはご存知でございましょ? 彼もカッとしたんでしょうね。

katakana1956
質問者

お礼

なるほど、綱吉さんの性格まではおもいいたりませんでした。確かにそれも重要です。綱吉さんの言動に注意してあの話もう一回読んでみますか。ご回答ありがとうございました。

  • eroero4649
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回答No.1

永遠に闇の中ですね。なにしろ即日に切腹を命じられて切腹していますから。「裁判資料」は存在しないんですよ。 浅野内匠頭は当時の記録では「癇癪持ち」とあり、かなりエキセントリックな性格だったようです。彼の性格をまとめると ・癇癪持ち ・あまり物事を深く考えるのは苦手(「短慮」という評価があるようです) ・文官としての能力はあまりない(お勉強が苦手だった?) ・人に頭を下げるのが大嫌い というところがあがってくるので、「思い込みが強くて思慮に欠ける若者が、カッとなって自分をコントロールできなくなってしまった」と考えるのが一番腑に落ちるところなのかなと思います。

katakana1956
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。そうですか、永遠に霧の中ですか、なんとも残念です。人物評価は残っていても裁判資料は残っていない。綱吉さんもう少しばかり余裕もってもよかったですね。勅使の手前急ぎすぎたかな。

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