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浅野内匠頭の辞世の解釈

こんばんは。今日は義士祭でしたが、歴史でお尋ねするよりも文学がいいと思い、こちらでお尋ねします。 私はずっと浅野内匠頭の辞世は 「風さそふ 花よりもなお われはまた   春の名残を いかにとかせむ」 と思っていました。 ところが最後の句が  「いかにとやせむ」 という辞世もあると知り、さらに漢字だと 「いかに解かせむ」と「いかに問やせむ」 らしいのですが、こうなると意味は全く違ってくるのでしょうか。 ※私はなんとなく「散っていく花よりも、自分は春の名残をどうしようか」という意味かなあと思っていたんです。 (馬鹿ですみません!) できればこのような馬鹿な私に、大意を教えていただければありがたいです。

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  • toko0503
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回答No.1

こんにちは。奇しくも赤穂浪士の討ち入りの日、捕まったのは、吉良ならぬフセインでしたね。(^^: 私は、「……いかにとやせむ」だと思っていました。 (「いかにせむ」=どうしようか) 「風に吹かれて散ってしまう花も名残惜しいけれど、私の気持ちは、もっと名残惜しい、無念だ、この思いをどうしようか、どう伝えようか……」と(半ば大石内蔵助らに宛てて)言ったところではないのでしょうか? 違ってたら、ごめんなさいね。

poke1
質問者

お礼

>「風に吹かれて散ってしまう花も名残惜しいけれど、私の気持ちは、もっと名残惜しい、無念だ、この思いをどうしようか、どう伝えようか……」 なるほど。わかりました。 句の大意を教えていただきありがとうございました。 意味をきちんと知りたかったんです。 ところで、やっぱり「いかにとかせむ」と「いかにとやせむ」が、あるようですね。 (伝わるうちに変わっていったのか、不思議なところです。) 「か」でも「や」でも、意味はほとんど同じなのでしょうか?

その他の回答 (1)

  • naomi2002
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回答No.2

私も忠臣蔵は大好きです。 忠臣蔵に関する本はたくさん出ていますが、その中で、青春出版社の「『忠臣蔵』の謎学」という文庫本は、よくまとまっていて、面白いです。一読されてみてはいかがでしょうか。監修者の中島康夫氏は全国義士会連合会事務局長をされている方ですから、史料に基づいた内容であると信じてよいと思います。 この本によると、内匠頭の辞世は、「・・・いかにとかせむ」となっています。これは幕府の目付であった多門(おかど)伝八郎のメモ「多門筆記」という史料に出てくるもので、内匠頭自身の直筆が残っているわけではないようです。「『忠臣蔵』の謎学」には多門筆記からのコピーらしい筆跡が載っていますが、たしかに「・・・いかにとかせむ」となっています。 多門伝八郎は目付として内匠頭を取り調べた人ですが、元々内匠頭に好意的であったようです。後に内匠頭切腹の時にも、検死役の副使を命ぜられ、正使の庄田下総守が将軍綱吉の意向通り、内匠頭を庭先で切腹させようとしたのに対し、強硬に反対したようです。(結局、庭先で切腹させられてしまうのですが、このことはさすがに後に問題になり、正使の庄田下総守は罷免されています。都合の悪いことは中間幹部を悪者にして一件落着、という、現代でもよくある話ですね。) 私の個人的な考えですが、「いかに解かせむ」と「いかに問やせむ」は、あまりにもうがち過ぎかと思います。 内匠頭の辞世以外にも、忠臣蔵には後世の創作と疑われるような話が多数ありますね。 私は大高源五の作と言われる 「年の瀬や水の流れと人の身は あした待たるるその宝舟」 が好きなのですが、これもあまりにでき過ぎているという話もあるようです。 真実が明らかになるのも良いのですが、いろいろなことがみんな創作だということになってしまうのも寂しいですね。

poke1
質問者

お礼

>この本によると、内匠頭の辞世は、「・・・いかにとかせむ」となっています。 うーん、やっぱりそうですか。私も「いかにとかせむ」で覚えていたんですけどね。 >私の個人的な考えですが、「いかに解かせむ」と「いかに問やせむ」は、あまりにもうがち過ぎかと思います。 そうかもしれませんね。 古文・詩歌への造詣が全くない私なので、全然わからなくて、ただ違いを聞いてみたいなと考えてしまって。 >「年の瀬や水の流れと人の身は あした待たるるその宝舟」 上の句を先生(すみません!)が詠まれて「あした~」で受けたとされるものですね? 忠臣蔵のこのシーンは私も大好きです。 >真実が明らかになるのも良いのですが、いろいろなことがみんな創作だということになってしまうのも寂しいですね。 忠臣蔵は、フィクションが多いことは知っています。 でもそのフィクション部分があってこそ、忠臣蔵だとも思うんです。 「徳利の別れ」や「恋の絵図面取り」や「天野屋利平は男でござる」がないと寂しいかもしれません(笑)。 そもそもこの「風さそふ~」さえも、あまりに良くできすぎていて、内匠頭本人の作ではないのではないかという説さえあるようですが、さすがにそれはいくらなんでも、と思っています。

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