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赤穂浪士
そもそも浅野内匠頭の刃傷沙汰が吉良への遺恨では無く 精神を煩っていたが為の単なる「乱心」であったなら 赤穂浪士の吉良低討ち入りはただの強盗殺人だと思うんですが? 幕府が浪士に切腹を命じたのはその為だったと思うのです
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浅野長矩(ながのり=内匠頭)が怒りに支配され、禁忌を破る行動に出たものの、それは単なる乱心ではなかったと思われます。 吉良義央(上野介)による大名いじめの常習や、かなり悪い性格については、否定しがたい(『陽和院書状』を含む)諸史料があり、吉良の悪行のことは激しく事実ですので。。。 また、討ち入り時、大石良雄(内蔵助)が発した宣言、『浅野内匠家来口上』は、 「(わが主君は)、上野介殿に意趣があって避けがたい事があったのか、刃傷に及ぶ(中略)。ただただ、ひたすら亡主・内匠(たくみ)の願いである吉良への恨み、を晴らしてやりたい気持ちで、我々家来・四十七人は、本日、吉良邸へ討入った」 と言っています。 つまり、あなたの言う「強盗」どころではなく、仕える主君への、武士の当たり前の忠義を実践した、これが吉良邸討ち入りの真相です(この史料を否定する他の史料がありません)。 史料などの証拠に基づかない、推測・想像は自由にできますけど。。。
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- staratras
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No.3です。少し補足させてください。 まず誤記の訂正です。失礼いたしました。 誤:義央が長矩に賄賂を贈らなかったから意地悪をされた 正:長矩が義央に賄賂を贈らなかったから意地悪をされた >吉良は何もしてないのにただ浅野に斬られてそれで死ななかったからそのあと浅野の家臣に討たれるって…端から見れば理不尽極まりないと思いません? 吉良が「何もしていない」かどうかは不明ですが、少なくとも浅野との間で具体的に「これこれのトラブルがあったので浅野が吉良を恨んでいた」ということを示す当時の確実な史料は見つかっていません。ただし討ち入り後四十六(のちには四十七)人がヒーローとして称賛されるようになるにつれて、その敵役である吉良義央については大変な悪者であったと書かれるようになりました。「仮名手本忠臣蔵」が大ヒットして、「忠臣蔵」人気は現代の大河ドラマまで続いていることはご存知の通りです。 もっとも赤穂の家臣たちは主君が吉良義央に切りつけた理由を知ったうえで、その理由に共感したから(あるいは義央が悪いと考えて)討ち入りを行ったのではないのです。理由が何であれ、主君が殺そうとした相手が、ほとんど何のお咎めもなく生き延びていることに異議を唱えて、「討ち入り」を実行したものです。 吉良家の立場から見れば、もちろん話は逆です。急迫不正な暴力にも場所柄をわきまえてあえて抜刀して反撃しなかった一方的な被害者であり、その時は幕府からその行動を評価されたはずなのに、なぜその後さらに襲撃されて命を奪われなければならないのかと考えるでしょう。現代の日本人から見ればこれは確かに「理不尽」です。いくら当時の武士が自分が直接仕えている主君への忠誠を最優先にしたとはいえ、そのことが、幕府の元高官の屋敷を、夜間集団で襲撃して多数を殺傷したことを正当化するとまでは現代人には理解困難です。 討ち入り当時にもそのような考えを持つ人はいました。「自分が直接仕えている主君への忠誠」(義)は大切だが、所詮は「私」のことである。長矩が殿中もはばからずに抜刀して罪に処されたのに対して、義央を仇とし公の許しも得ずに「討ち入り」を行ったことは、当時の法秩序(「公」)に明らかに反している行為であり、相応の処罰を免れることはできない、とする考え方です。幕府の処分理由もこの考え方に基づいています。一方では彼らを英雄視する当時の多くの人々の感情にも配慮し、切腹を命じるという武士の名誉をぎりぎりのところで守る形で決着させたものです。 なおこの赤穂事件に限りませんが、歴史では当時の人々がどう考えていたかということを同時代の確実な史料に基づいて考えることが大事なので、この事件のように一方の当事者がその後人気を集めて英雄視されたような事例では、「フィクション」と「史実」を区別して考えることがいっそう重要になると考えます。この事件に関連して吉良側も含めて多数の著作がある三田村鳶魚は次のように述べています。(以下引用) …『忠臣蔵』の勢力は実に偉大なもので、赤穂浪士復讐に関係のある人物及び事柄の批評観察は、一切ここから打算される。自分が吉良義央の事跡を稽査するについても、世人は芝居の『忠臣蔵』から観察して、予断的に吉良義央を品騭するのを遺憾とする。…(「『忠臣蔵』の師直」)
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ありがとうございました
- misa-on28
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そうですね。ある意味では浅野浪人の狼藉は理不尽なものでした。 そもそも松の廊下事件も「喧嘩」にはあたりません。浅野の一方的な狼藉で吉良は応戦のために刀に手をかけてもいないのです。 今の感覚で言えば通り魔に斬りつけられたが被害者は命を取り留め、犯人は処刑されたようなもの。 ところがその犯人の身内が被害者に逆恨みしついに大勢で家に押し入って老人をなぶり殺したと言うのが一面の実体です。 民衆の支持があり、また武士道鼓吹のためには赤穂浪士を斬首にはできない。さりとて放免もならず、武士としての名誉刑である切腹ということに収まったものです。 まあ現在なら浅野に対して精神鑑定が命じられ、心神喪失で無罪又は減刑ですんでしまう可能性が高いので、こんな「仇討ち」事件が起こる事はないでしょうね。
お礼
ありがとうございました
- staratras
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この刃傷沙汰については、現在に至るまで動機がよくわかっていません。義央が長矩に賄賂を贈らなかったから意地悪をされたなどというのは想像で作られた話らしく、当時の確実な史料にはなく、大石らもそのようなことは主張していません。ご質問のように「乱心」であった可能性も否定できません。 ただし重要なことは、当時の武士は自分が直接仕えている主君に対する忠誠を何より重んじていたということです。 この立場からは、理由のいかんを問わず主君浅野長矩が吉良義央に切りつけて殺そうとしたが果たせなかったことが重要であって、その主君が「果たせなかったこと」を家臣が代わって実行したのが討ち入りです。 これはいわゆる「敵討ち」というにはあたらず、むしろ「喧嘩の継続」というべきですが、幕府内でも在野の学者の間でも浪士の評価が分かれたことはご存知のとおりです。結局切腹を命じることになったのは、吉良家の断絶とあわせて遅まきながら(当初の刃傷沙汰の際には実行されなかった)「喧嘩両成敗」の慣習法を尊重する態度を示したものと考えることができます。
お礼
吉良は何もしてないのにただ浅野に斬られて それで死ななかったからそのあと浅野の家臣に討たれるって… 端から見れば理不尽極まりないと思いません?
- hekiyu
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”赤穂浪士の吉良低討ち入りはただの強盗殺人だと思うんですが?” ↑ 強盗てのはおかしいですね。 赤穂浪士は何が、盗ったのですか。 吉良上野介の首はとっていますが、人体は 物ではない、というのが判例です。 従って首をとっても、強盗にはなりません。 ”幕府が浪士に切腹を命じたのはその為だったと思うのです ” ↑ 切腹というのは「名誉刑」です。 タダの殺人や強盗なら名誉刑である切腹には なりません。 打ち首です。 尚、討ち入りの動機ですが私は次のように考えています。 大石内蔵助の儒学の師匠である「山鹿素行」が 次のような主張をしています。 「百姓は米を作り、職人は鋤鍬を造り、商人はモノを 動かし、それぞれ社会に貢献している。 しかし武士は何もしていない。 そんな武士の存在意義は、百姓町人の模範になる ことである」 当時の武士はインテリです。 戦争が無くなった平和な時代の武士は何の為に あるのか。 武士の存在意義、ありかたに悩んでいたと思われます。 大石内蔵助は、これぞチャンスだと思ったのでは ないでしょうか。
お礼
ありがとうございした
- onbase koubou(@onbase)
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討ち入りのきっかけは喧嘩両成敗にならなかったため。 浅野内匠頭が切腹させられたのは殿中で刃傷に及んだから。
お礼
ありがとごさ゜いますた
お礼
ありがとうございます