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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:吉良上野介の義理の息子・吉良左兵衛義周について。)
吉良左兵衛義周についての詳細なお話や資料
このQ&Aのポイント
- 赤穂浪士討入後、信州諏訪の高島藩のお預かりになった吉良上野介の義理の息子・吉良左兵衛義周について詳しく知りたいです。
- 吉良左兵衛義周の亡くなった年齢や墓地のあるお寺などはわかっていますが、高島藩での彼への対応について詳細を知りたいです。
- 『吉良さま御味方』には高島藩の対応は悪かったと書かれており、『吉良の言い分・外伝』には悪くなかったと書かれています。さらに詳しい資料やお話を教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
下記のHPに吉良義周受け入れ時の高島藩の対応が古文書で示されています。それによりますと、吉良家の当主らしく丁寧に扱われています。当時、城主格の人物が流罪になるときには、将来、再興されることがありますで、あまりおかしな真似はできません。同じ綱吉の治世、高田藩、松平光長・綱国父子が松山や福山に流されましたが後、津山10万石として再興されました。
お礼
shoyosi様、有り難う御座居ました。 参考URL、非常に勉強になりました。 また、 >将来、再興されることがありますで、あまりおかしな真似はできません。という御説明文で、高島藩の対応にも納得がいきました。 御丁寧に有り難う御座居ました。