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織田信長は何故関所を廃止したのでしょうか(?_?)。確かに、物の流通は
織田信長は何故関所を廃止したのでしょうか(?_?)。確かに、物の流通はしやすくなると思いますが、関所による収益がなくなると思います。
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自国の中間搾取構造の破棄による直接統治。 実態経済を知るには、当然生産力の調査がいりますよね 後日検地等はそれです 戦国領主は大体が合力体 いくつかの地頭、豪族の集まりで そのなかから、代表者を選ぶという構造です 信長のおやじの信秀も、それで苦労しました。 いちいち合議制では、力も銭もある意味、国の中で分散しています。 めいめいが、関所を立てて関銭を取っていたのでは いつまでたっても、覇権を立てられない 盟友ではなく家来化することでの決定権の集中が図れ 他国がいつまでもそうであるなら、その弱点をつけることにも なります。 中間問屋(関所)の数だけ物の値段も上がり、ひいては 領民の可処分所得の低下を生みます。 微々たる銭より、集中の力と富の方がいいと 商売人の信長は考えたんでしょう
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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皆さんのお答えの他に、或いは重複する所もありますが、治外法権みたい割拠勢力を廃止する効果にもなったのでしょうね。 そして全国統一の条件でもあったと存じます。
- jamiru
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割拠してしまうと各自が勝手に関所乱立のような真似をするから、 廃止してほしいと願った商人が織田信長を支援したに過ぎない。 織田信長の生命線は回転力。 経済も、物流も、人員もすべてどれほど織田が損害を出しても、回転力が高い織田軍は「回復力」が他の大名とは桁違いだった。
- rurubonpp
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人の出入りが容易なので、人が集まり安く、他国の情報が得やすくなるという戦略上の利点があります。
- to9311mu
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当時の多くの関所は神社や寺や各地の領主が勝手に設けたものがほとんどで、通行税をとって私腹を肥やしていました。あちこちに関所がある(京都~大阪間には600以上の関所が乱立していたらしいです)ことで物流を妨げ、運送費がかさみ、物価が上昇して庶民を困らせることになります。関所を廃止することによって経済が発展し、結果的には国が豊かになりました。
- Willyt
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関所の上がりなんて大した額ではありません。それより関所をなくして人と物の往来を多くし、そこから上がって来る冥加金と名付けられた取引高税の方が莫大な額に昇ることを信長はよく知っていたのです。