- ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:QA131)
Superfluous Incidents in Alexandrian Arrangement of Poems
このQ&Aのポイント
- This and other superfluous incidents may have disappeared after the Alexandrian arrangement of the poems in the Cycle, either as the result of some later recension or merely through disuse.
- Proclus may have deemed it unnecessary to include the accounts by Lesches and Arctinus of the same incident in his work.
- The phrase 'either as the result of some later recension, or merely through disuse' suggests that the superfluous incidents vanished due to either a later revision or simply because they were no longer used.
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
(1) to give the accounts by Lesches and Arctinus of the same incident について 「同じ挿話に対してレスケスとアルクティネスによる説明を取り上げる」と訳されたのは、分る気がします。ただ、account を「説明」と訳してしまうのはどうかなぁと思いました。 この部分は、 to give the accounts ( by Lesches and Arctinus ) of the same incident という構造ですから、the accounts ... of the same incident が核になる部分です。最後の文を私流に訳すなら、 同じ出来事を扱った記述が、レスケスの作品にもアルクティネスの作品にもあるので、その部分は割愛しても構わないとプロクルスは考えたのかもしれない。 (2) the result について 私は as the result of some later recension と merely through disuse は、それぞれが独立していると見ます。 従って、私なら「後世の者が手を入れた結果か、あるいは単に廃棄されたかして」とします。 全体として、訳文がこなれている印象を受けました。 これくらいなら読みやすいです。
お礼
recension,disuseの意味が難しかった。 アレクサンドリア学派が何をしたかということも 予備知識として要求されました。 回答を読んで、「あ、そうか」と思いました。 ありがとうございました。