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時間って直線構造をなしている。
アプリオリに認めてしまっていいの?
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もし仮に、直線構造を取っていたとしても、モノの変化という概念から湧き出てくるところの時間概念は、そのモノの変化の速度によって、部分的に密度(濃度)がことなることでしょう。 時間は別に直線構造でなくても可能でしょう。 大きな球体の上に張り付いているような線、地平線のような曲がった線でも「大丈夫だとおもいます」。 この「大丈夫だとおもいます」というのは、「時間概念を取り扱う様々な物理学的な法則にとって、問題をきたさない」という意味です。 たとえば、この宇宙全体を時空連続体として取り扱うとき宇宙全体が球の表面に張り付いたような構造を取っているとするならば、時間軸は、その中心から球の表面を貫く方向(変化の方向)を向くでしょう。 しかしながら、時間軸自体が「ネーターの定理を満たすように」、すなわち、球体の表面のような曲がりを有していたとして、それに直交する3次元空間を想定可能ならば、(広義の哲学の一分野としての)物理学的な要請に対し「大丈夫」と言えるだろうと思います。 たとえば、時間軸が巨大な円(ないし螺旋)であり、宇宙全体は、「その円に直交する構造」を有していたとすれば、宇宙全体が時間軸に沿って動くとき、トーラス(ドーナッツ)(ないし螺旋状のチューブ)のようになるでしょう。 ただし、「その円(ないし螺旋)に直交する構造」について、具体的にどのような「構造」であればいいのかについては、私の貧弱な頭では無理です。 同様に、たとえば原子時計といった概念では、原子の周期的な変化を捉えているので、3次元空間に対して直交する円(虚数軸を含む)を想定しその円周上を一定速度で回転する時間というものを想定するならば、原子の周期的な変動はその円の(3次元空間への、直線往復運動としての)影として捉えることも可能でしょう。 参照: http://ja.wikipedia.org/wiki/時間 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E9%96%93)
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- mmky
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時間って直線構造をなしている。 これをアプリオリに認めてしまっていいの? ということですね。 時間軸の変化は目に見えないですから人間の直感だけでは直線構造になってしまっても致し方ない点がありますね。 真実はおおむね螺旋構造ですね。その螺旋の一部は直線ですから直線構造といっても間違いはないですね。 各銀河で螺旋構造も違っているのですね。 まだまだ遠い先ですがタイムマシンが出来れば時間構造はもっと明白になるでしょうが現代の科学では限界ですね。 時間が螺旋構造をしているという事実は遠い過去・現在・遠い未来が直線的遠さの感覚ではなく階段一段分しかはなれていないことから明らかになるはずですからね。 知りえた者が事実を語っても信用されないから哲学というより予言でしょうね。 まあ、直感的前提を疑うところから新たな世界が広がるわけですから疑うことはいいことですね。
- otasuke009
- ベストアンサー率38% (234/601)
時間の直線構造がアプリオリなものであれば、認める認めないは問題になりません。すなわち、それが前提ということになります。だから、この質問文自体は意味をなさないと思うのですが、それはさておき。 時間というものは、暦などに規定されるある文化の共通認識だといえるでしょう。 書かれた歴史を持たない文化にあっては、おそらく、歴史の一点に起源を置く何年何月何日何時何分何秒といった時刻は意味を持たないものでしょう。だから、すべての文化で直線的な時間認識が存在すると仮定するのは間違いだと言って良いでしょう。 1年・1月・1日といった太陽と月の周期的(一直線的でない)運行を基準にして周期的な時間を認識するからこそ1時間・1分・1秒という時間単位の認識も生まれうるのであって、1秒という単位時間の認識が先にあって、それが直線的に延長されたものが時間であるというとらえ方は間違いです。 ただ、現在、全部でないにしても世界的に共通の時間認識が必要とされるようになり、原子時計によって時間が定義されるようになりました。 定義の根源には周期的な時間があるとはいえ、想定される起源ゼロ年の1月1日0時0分0秒を起点とした時間によって、いわば直線構造をなす時間認識によって世界が動いているというのは間違いない現実です。
お礼
アプリオリに認めてしまっていいの? つまりこういうことです。 例えばt1,t2,t3,という三つの時間があるとして、t1がt2より前であり、t2がt3より前であるという条件を与えられると、ふつう我々t1はt2より前であると推論いたします。 またt1がt2より前であるならば、t2がt1より前であるはずはないと推論しますが、これらの推論の正しさは時間が直線構造をなし、しかもその直線上を振動したりすることなく一方向に進んでいるという仮定によるものであって、経験的には裏切られたことはありませんが、自明としてアプリオリに認めてしまってもよいのかという議論です。
補足
訂正します。 つまりこういうことです。 例えばt1,t2,t3,という三つの時間があるとして、t1がt2より前であり、t2がt3より前であるという条件を与えられると、ふつう我々t1はt3より前であると推論いたします。 またt1がt2より前であるならば、t2がt1より前であるはずはないと推論しますが、これらの推論の正しさは時間が直線構造をなし、しかもその直線上を振動したりすることなく一方向に進んでいるという仮定によるものであって、経験的には裏切られたことはありませんが、自明としてアプリオリに認めてしまってもよいのかという議論です。