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第三者や他者

人間関係は自分の判断でしょうか。

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回答No.4

自他の等根源性を強調するとき他者の他者性は見失われるように見え、他者の他者性を強調するとき自他の等根源性は見失われるように見えるが二つの論点は対立しない。つまり、自他の等根源性という名で考えられていた、自他が共に構成する者として機能する場面と、自他の差異と非対称性から帰結する、他者の他者性の場面とを排斥し合うものとして考えようとはしない。「我」の根源性から他者の他者性を説きながら、これを否定することによってではなく、その上に立つことによって初めて可能になるものとして、自他の共同性・間主観性が成り立つ。むしろ、一つの理性を固定したものと考えないで、あくまでも無限の彼方にある理念として捉え、そこへの無限の運動として捉えるものを普遍主義と呼ぶならば、複数の理性はそれぞれ真理の一面を見ているに過ぎないとして、それらの根底にある一つの普遍的なものを探究しようとするこの普遍主義の方にこそ、かえって、自分の理性が陥る恐れのある一面性を反省し異他なる理性へと眼を開いて行くことが可能となるとも言える。

wcppg
質問者

お礼

「我」の根源性から他者の他者性を説きながら、これを否定することによってではなく、その上に立つことによって初めて可能になるものとして自他の共同性・間主観性が成り立つという事で。

その他の回答 (5)

noname#130082
noname#130082
回答No.6

質問者様は、主語や目的語などがあいまいな、意味をはかりかねる質問を多数なされています(とはいっても、頭は良さそうな気がしますので、日本語がうまく書けないとも思えません)。特に「第三者や他者」というタイトルが多いですね。 回答者たちとの人間関係をどのように自分で判断しているのでしょうか。 たとえば、回答者たちと知恵比べをしたいのでしょうか。 ここは、そのようなことをする場ではありませんので「質問ではない」という規約違反になる恐れがあります。

wcppg
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.5

自分の判断と、他人の判断の両方が関係しているのかと。 自分での判断というのは恐らくは 「自分と相手のことに対してどう想うか」になると想われますが ここだけではなくて その上で「相手も何かしら想うところがある」以上、 自分での判断というよりは「お互いが関係する判断になるかと」

wcppg
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • 6750-sa
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回答No.3

第三者の視点では良好に見える関係も、人の間で火花が散っている場合もある。 他者との関わり合いにおいて、一方的に理不尽な態度で攻撃されようと、 自分の許容レベルを超えない限り「良好」とも判断できる。 更に、他者への要求レベルに適度な制限を設けないと「対立」を生む。 関係が悪化して不快な思いをするのを避けるためには、早めに距離を置く判断が必要。

wcppg
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#101110
noname#101110
回答No.2

違います。 長い付き合いの女。「よし!彼女とは切ろう!」と貴方が判断したとして、切れますか? 成功率は半々以下ではないでしょうか。 一と目でみそめた女。「よし、彼女と付き合おう!」と貴方が判断したとして、成功するでしょうか? 成功率は惨さんたるものではないでしょうか。 一般論として言っています。

wcppg
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#96222
noname#96222
回答No.1

判断ではなく、相手への思いやりと、あなた自身の謙虚さが、潤滑にします。 貴方がいかに相手と、良い関係の人間関係を築きたいとしても、相手が貴方を警戒するような関係では進展はありません。 貴方の判断だけで、相手が貴方の意のままと成るのは、貴方が生殺与奪の権利を相手に対して持ったときだけです。しかし、それは、力に拠る屈服ですから相手は心服した訳じゃありませんから、機会があれば反発は間違いないでしょう。

wcppg
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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