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東京裁判、ニュルンベルク裁判

東京裁判やニュルンベルク裁判について、これらを不当なものではないかとする議論があります。 しかしながら、古来敗軍の将が勝者の裁きに服するのは歴史の常ではないでしょうか? 我が国においても、源平の合戦であれ関ヶ原の戦いであれ、敗軍の将のうち主要な者にあってはことごとく 打ち首の沙汰をもってこれに臨み、一分の武士の情けを施してもなお切腹が申しつけられるのが常でありました。 また死一等を減じられた者にあっても流罪また官位・知行の剥奪等の裁きが下されました。 これらを不当なものとするならば、我々は石田三成の処刑の不当性を論議せねばいけない事となります。 幕末から維新にかけても逆らった者敗れた者は賊軍であると定められ、戦に勝利した官軍によって 建てられた国家が最後は大戦に敗れたというのが実情であります。 また大戦にもしも枢軸国が勝利していれば、ルーズベルト、チャーチル、スターリンが 絞首台あるいは銃殺台の露と消えたであろうことは想像に難くない事を思えば 全ては世の常、諸行無常・盛者必衰というものではありますまいか?

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  • kodon
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回答No.3

東京裁判は20世紀の出来事であり、日本の戦国時代の出来事と比較することのが如何に異常であるかにまず気ずくべきです。日本だけでなく世界は18世紀まで軍事力の強いものが支配するのが当然でありその者たちに反抗すれば殺害される世の中であり、後の世になってもそのことを非難されることはないでしょう。そのことで最も非難される国はアメリカだと思います、先住民族のアメリカインデアンを虐殺して彼らから土地を取り上げ今の国があるわけです。勝者が敗軍の将をいか様に処分しようが勝者の権利だと勝者が嘯くことはできるが、敗軍に属していた 国民を納得させることは出来ないだろう。日米戦争はアメリカ軍は日本軍だけを攻撃したのではなく一般住民を殺害の対象にして空襲してきたのです、原爆まで使い一瞬にして30万人以上を殺害してその行為を正当化しています。この第二次大戦前までに日本は世界を相手に日清、日露戦争、第一次大戦を戦っていますがいずれの戦争でも戦勝国が敗戦国 を裁判にかけることは行っていません。裁判にかけるには罪状が無ければ裁判が開けません、東京裁判を開くために急遽作った罪状が平和に対する罪などとゆう訳の分らぬ罪状を創作して始めた裁判です。もし戦勝国が敗戦国の将軍を恨みを晴らすために処刑したいならそのように宣言して処刑はできたはずですが何故そのようにせずに裁判にしたのでしょうか。裁判のほうがアメリカ人を文明人と世界が判断してくれるだろう と期待したにすぎません。しかしこの裁判を開いたためにその後の戦争は終息のつかない戦争ばかりをアメリカは始めなければならないことになっています。朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争、いずれの戦争も終結せずに武力衝突だけを避けた状態で終わっている状態です。戦勝国が敗戦国に要求できることは賠償金と領土の要求程度であり、敗戦国に将軍の命まで要求して終結させたのが東京裁判であり、この裁判以後の戦争は終結出来ない戦争になってしまった。アメリカはこの裁判と原爆のため世界の戦争をどのように処理しようとするのだろうか全く見当がつかない。

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  • Heavyhand
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回答No.2

補足ですけど、日本史における近代とは大体明治維新以降を指すようなので、戊辰戦争は微妙でしょうね。 まあ、日本国内で罪刑法定主義が確認できるのは明治13年のいわゆる旧刑法が最初みたいなんで、 近代かどうかに関係なく、日本国内で裁かれた戊辰戦争に罪刑法定主義が適用されなくても仕方ないとは思いますが。 >枢軸国が勝っていたら、ルーズベルト、チャーチル、スターリンに対して罪刑法定主義を持って臨んだのでしょうか? 分りませんが、枢軸国が罪刑法定主義を無視していればワシントン裁判(仮)とかロンドン裁判(仮)とかモスクワ裁判(仮)について、同じような批判がされただけでしょう。 歴史にIFを持ち込んでもきりがありませんし、仮に枢軸国が罪刑法定主義を無視することが予測できるとしても、 それは実際に連合国側が罪刑法定主義を無視したことを正当化はしないと考えます。

  • Heavyhand
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回答No.1

近代刑法の大原則として、「罪刑法定主義」「法の不遡及の原則」というものがあります。 すなわち、何が犯罪でどれだけの刑を科せられるかは法律で決めておかねばならず、問題の行為がなされた後に制定ないし改正された法律を適用して裁いてはならないというのが原則です。 例えば、2010年1月1日に「飲酒したら死刑」という法律が施行されたとして、その法律が存在していない2009年10月5日の飲酒を理由に死刑にされるようなことはこれら原則に反することになります。 そして、ニュルンベルク裁判、東京裁判共にこの原則に違反していると考えられます。 少なくとも、これら裁判の前に「平和に対する罪」やら「人道に対する罪」について法律でも条約でもいいですが個人に対する罰則規定が存在したという話を私は聞いた覚えがありません。 事実、東京裁判の裁判官の一人であるパール判事は 「裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、国際法上、日本を有罪であるとする根拠自体が成立しない」(ウィキペディア、パール判事の項より引用) と述べています。 また、それ以外にも裁判の公平性について種々の研究がなされ、公平性にかけたという批判がされています。 まがりなりにも「裁判」という形式をとっている以上、その歴史的意義や勝者と敗者の力関係などとは関係なく、法学的視点から批判されうるのはある意味当然です。 そもそも石田三成は現代的な意味での裁判にかけられたわけではないですし、そのときの日本には近代刑法の諸原則は存在してないわけで、東京裁判やニュルンベルク裁判と同視するのは困難でしょう。

tukihana
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 いつから近代なのでしょうか? 戊辰戦争は近代の論理は通用せず、その戊辰戦争を経て成立した維新は近代なのでしょうか? また枢軸国が勝っていたら、ルーズベルト、チャーチル、スターリンに対して罪刑法定主義を持って臨んだのでしょうか?