靖国神社参拝と東京裁判
「世界がさばく東京裁判」(佐藤和男監修、明成社)は、本格的な東京裁判批判の本です。
「インドのパール判事が、東京裁判で、日本を擁護した」と言われていますが、この本を読むと、パール判事は、国際法の常識を説いただけで、日本の味方をしたわけではないことがわかります。
(東京裁判の判事11人の内、国際法の知識があったのは、パール判事のみで、オランダのレーリンク博士は、オランダの刑法が専門でした。あとの9人は、素人でした。)
”戦争を起こしたことが犯罪になる(平和に対する罪)”という東京裁判史観は、いまだに国際法上の定説となっていません。
だから、世界では、戦後、数十回の戦争が起きたけれど、ひとりも、戦争犯罪人として、裁かれていません。
あのイラクのサダム・フセインですら、戦争犯罪人として裁くことは、国際法上不可能だったんです。
そもそも、「戦争には、善も悪もない」というのが、国際法の定説です。
国際法上の”戦争犯罪”というのは、民間人殺戮、捕虜の虐待、軍事目標以外を攻撃すること等です。
これら戦争犯罪は、日本でなく、アメリカ・ソ連をはじめとする、連合国のほうが、激しかったわけです。(日本中の都市へ無差別空爆、広島・長崎への原爆投下、日本兵捕虜虐殺等。これらは、すべて、れっきとした国際法上の”戦争犯罪”です。)
東京裁判以前の国際法上の慣行は、「和睦とともに、双方の戦争犯罪を相殺し、免責し合う」というものでした。
和睦条約の条文になくても、免責し合うのが、慣例となっていました。
第二次世界大戦後、行われた、東京裁判とニュールンベルク裁判は、敗戦国のみを裁いたもので、その手続きも、内容も、”裁判”とは呼べない不当なものでした。
そもそも、日本が受諾したポツダム宣言は、無条件降伏ではなく、有条件降伏です。
無条件降伏したのは、”日本政府”ではなく、”日本軍”です。
日本政府が、合意したのは、日本軍の武装解除です。
なのに、マッカーサーは、日本軍に武装解除させると、日本に上陸し、ポツダム宣言を反古(ほご)にして、「日本は無条件降伏した」とデマを流して、やりたい放題やったんです。
すでに、国連国際法委員会も、「ニュールンベルク裁判・東京裁判は、不当であった」と認めています。
東京裁判が、不当なものであったとなると、天皇・首相の靖国神社参拝は、何の問題もないことになります。
それに対する中国・韓国の反発は、根拠がないことになります。
日本の天皇・首相は、なぜ、靖国神社に参拝して、国連でも認められた東京裁判の不当性を主張しないんですか?
日本のために、命をささげた同胞を祭ってある靖国神社に、天皇や首相が参拝しないのは、大問題です。
民族的罪です。