• 締切済み

自分に対して不当なことを やった相手には

よろしく お願いします。 たまたまですが、ある人が 自分に対して、なにか不当なことを やった者は、あとで病気になったり事故ったりすることが多い、 というような発言を しているのを目撃し、いささかギョッと しました。 こんなこと言ってるようじゃなあ、、、ともチラッと思いましたが、それは さて置き、実は、私の身内にも、これと同じことを言ってた者が いるんです。 自他共に、言わゆる「霊感」とか、その類の特殊能力の持ち主、と認めていたんですけど、実際私も、その身内を めぐって、不思議と言えば不思議なことを見てきたことが ないわけじゃないです。でも、私個人は、こういう方面は、たまに おもしろがったりすることは あっても、あまり興味は ないほうです。というか、持たないようにしているかも しれません。 だって、くだんの身内を みていて、つくづく思ったのですが、 その「霊感」とか特殊な能力とやらが、誰か一人でも幸せにしたことが あるのか?と問えば、なんだかんだスッタモンダを起こしは するものの、そのあげく、結果的には、 ない、 どころか、かえって、その発言傾向も含め、いろいろ問題のほうが多かったのではないかと思います。 その本人に対して「不当」な行為というものが、どのような判断で、そう区分けされるのか、といったことなども含め、いろいろツッコミどころは ありそうですが、実際には、案外と、抗議するべきこともガマンして呑みこむしかない立場の弱さ、みたいなものを感じないでも ないのです。 自分に不当なことを やった相手はトラブルに見舞われるのだ、このような発言をする人の心理的な傾向としては、どんなものが考えられますでしょうか?

みんなの回答

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.3

そんなに不思議な話とは思えないです。 「自分に不当な」を「人に不当な」と置き換えれば、その人(加害側)がトラブルに巻き込まれるのは当たり前といえば当たり前じゃないでしょうか。 病気も事故も心理的な要因が原因となることは非科学的なことではないと思います。

noname002
質問者

お礼

>「自分に不当な」を「人に不当な」と置き換えれば、その人(加害側)がトラブルに巻き込まれるのは当たり前といえば当たり前じゃないでしょうか。 質問に挙げたような思考タイプの人物が、はたして、「自分に不当な」を、客観的に人全体に押し広げて「人に不当な」と考えられるのかどうか、私は甚だ疑問に思っています。 さきの回答者さまにも申しましたが、まずは、何をもって「不当」と判断するのかが問われますし、実際問題、傍の者が見ていても明らかに不当なことを している側が、結局なんら お咎めなし、という事例など、よく見かけることです。単にバレなかったから、ということも現実には たくさん埋もれているのでは ないでしょうか。 >病気も事故も心理的な要因が原因となることは非科学的なことではないと思います。 ですから、心理的な要因が絡んでいたとしても、実際に起きる問題としては、それは、ごく一部のことであろうと思います。 極端な話、誰かを騙した者が、同じように騙されたのであれば、まさにバチが当たったかと思いたくなるところですが、実際は どうでしょう。自分は人を騙して恥じぬ者が、自分以外の人間は、そんなことを しないものだと楽観しているものでしょうか。 また、たとえば車で轢き逃げした者が、捜査の手に かからないまま、どのくらいの時間の経過の後に、ある時、転んで大ケガをした、これをバチと呼ぶのでしょうか。 誰かの頭を叩いた直後に、その者の頭上に何かが落っこちてきた、これをバチと呼ぶのでしょうか。 感情的な面からという意味で、心理的要因と おっしゃるのは、わからないでもないですが、あらためて申し上げますが、質問に挙げましたのは >自分に対して、なにか不当なことを やった者は、あとで病気になったり事故ったりする こういう思考の人の心理傾向です。 自らの手で相手を病気にさせたり事故に遭わせたりするのでしょうか? アドバイス、ありがとうございました。

  • 6750-sa
  • ベストアンサー率26% (438/1656)
回答No.2

自分は正当な立場にあり、神、もしくは霊に保護されている、そう考えたいのでしょう。 自分の能力と考える人はあまりいない気がします。 わたしに危害を加えた人間が、いわゆるバチが当たった時に、似たような発想をすることがありますが 積極的にそんなことを考えていると、逆に自分に降りかかってくるような傾向があるようです。

noname002
質問者

お礼

>自分は正当な立場にあり、神、もしくは霊に保護されている、そう考えたい 要は願望に過ぎないということでしょうか。 「保護されている」ということ自体が、自分は それに見合うだけの一種の能力、資格を有しているからなのだ、と心底で信じているのかも しれませんし、(つまり、論理的か否かなどには かかわらず、盲目的に正当か不当かの区分けを している) 「神」だの「霊」だのを、たやすく持ち出す人であれば なおさらかも しれませんが、 「正当」な立場に自分が立っているか どうなのか、そのへんのところは、実は それほど考えていないのでは ないかという感じが します。 なぜなら、自分は「正当」な立場に立っていないということが明らかになれば、当然「神、もしくは霊に保護されている」と信じることが できなくなりましょうから。 >わたしに危害を加えた人間が、いわゆるバチが当たった時に、似たような発想をすることがありますが ですから、「危害を加えた」という、本人にとっての その「危害」とは何なのか、「バチ」とは、どういう理由で「バチ」たり得るのか、そのへんのところは棚上げにしている発想タイプかと思われます。 >積極的にそんなことを考えていると、逆に自分に降りかかってくるような傾向があるようです。 そうかも しれません。 そもそも「正当」とは「危害」とは「バチ」とは何であるかを、しっかりと考えようと しないのであれば、その傾向は強まると考えられそうです。 御回答、ありがとうございました。

  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.1

 壷とか買わされそうですね。  少なくとも、確率論を知らないことは間違いないでしょう。  自分に対して、なにか不当なことを やった者で、あとで病気になったり事故ったりした人が何人いて、しない人が何人いるか。本来、話はそのデータが出てからです。  占いだって、30%程度当たったら「当たってる」思わせることは可能ですし、でたらめを言い続けても100人中30人には信じさせられることが期待できるわけですよ。  オレオレ詐欺が、何人空振りすると思います?  1%以下の成功率でも、何十万か振り込ませればペイします。  結論として、自称「~ことが多い」という発言をする人は、自分がたまたまそういう偶然に出会ったことがあり、それを統計学的に検討したことが無いと言えるでしょう。  ビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言いました。このカテゴリで言えば、愚者ですね。

noname002
質問者

お礼

>オレオレ詐欺が、何人空振りすると思います?  1%以下の成功率でも、何十万か振り込ませればペイします。 なるほど、そうですよね。それだからこそ、空振り続きでも、執拗にメゲないのでしょう。 「経験」とは「歴史」とは、実のところ何なのか、ということから追及するとなれば、いろいろ難しいことを考えなければ ならなくなりそうですが、 私としては、「確率論」や「データ」「統計学」以前の問題を、心理の面で、お尋ねした つもりです。 ですが、参考にさせていただきます。 強いて言えば「壺とか買わされそう」の あたりでしょうか。 早速の御回答、ありがとうございました。

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