- ベストアンサー
頑固過ぎな人
私の身内ですが、初老期に差し掛かった頃、精神的な病を急激に発病した者がいました。引き金になったのは、直接的には経済的なことが大きかったようですが、仕事や異性関係のことなども絡んで、本人にとっては、将来に対する不安に耐えかねたようです。(はっきりした病名は確認していませんでしたが、症状からして多分、統合失調症)、思い返すに、その者が若い頃から口癖のように、そして自慢げに言っていたのが 「私は我がままで、意志が強い」でした。 実は、親しい者からすれば、我がままとか意志が強いというよりは、周囲が手こずるくらいに頑固で思い込みが強かったのですが、同時に、非常に思考の幅が狭く柔軟性に欠け(教育レベルとかの問題ではないように思う)、先入観と本人独特のステレオタイプな見方が強固で、何か注意をして改めさせるにも一苦労なほどに理解力等が低かったです。 もちろん反面では○○が付くほどの一途なマジメさとか、思い込んだら命がけというほど頑張る部分もあって、それなりに良いところもあったのですが、実際、発病した前後からは、身内のみならず他人様まで巻き込み多大な迷惑と破壊行為をもたらしてしまいました。 だいぶ以前に心理学か精神分析関係の本でチラッと読んだ記憶があるのですが、なんでも、異様に頑固な気質の人は精神病を発病し易いのだとか。やはり脳の問題が大きいのでしょうか。 最近、似た性向の人を見かけることがあり、その周囲の人の態度など観察していて、たいへん疑問に思うことがありました。 身内でしたら知らん顔はしておれませんが、他人である場合、とくに仲間内などでしたら、どのような対処が望ましいのでしょうか。 こうした性向の人というのは、しょせん注意したところで、理解力や学習能力に徹底して乏しく、かえって無闇に反発させるばかりでムダや徒労にしかならないのだから腫れ物に触るように迎合しておく、のがいいのでしょうか。(正直なところ、いまの実感ですが、やはりそれでは済まないとも思います) 似たような御経験お持ちのかたがとられた対処の実際なども教えていただけたらと思います。 あるいはメンヘルカテかとも思いましたが、とりあえず、お願いします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
No.2です。 お話を聞いていると、その方、認知症が入っていると思えるんですね。 私いろいろなところでボランティアやっていたことがあります。 知的障害の人、身体障害の人、認知症の人とか。 今回のケースは、認知症になった人の行動パターンに似ていると思いました。 見当識がズレていたり、今言ったことが全く言われたという記憶を維持できなかったり、過去の記憶を現在だと認識したり、顕著に出てくる人もいます。 家族の話から推測すると、突如なったのではなく、ずっと若いうち50代頃から既に、徐々に認知症は起こっていたのではないかと思える人もいます。 「年を取ってだんだん頑固になってきた」と言っているが、恐らくですが、認知する能力が落ちていき、複雑な思考パターンができなくなり、以前はA、B,C、D,Eくらいの思考をできたのに、認知症で世界が狭くなり、AかBかくらいしか分類できなくなり、二つにうちのAだと判断するしか無くなったのではないかと。 正解はDでもAかBしかない世界に住んでいたら、Dだと判断できっこありませんから。 Dという概念を喪失しているので、「Dですよ」と言われても、一体何を相手が言っているのかわからない。 「だってそうでしょ」とわかりやすく説明しようとすると、それが仇となり、「ええい うるさい!」となってしまう。 ほら 例えば、宗教の勧誘とか、セールスの勧誘の人が、べらべら説明されると、イライラしてきませんか? 興味の無いもの、自分の持っている概念以外の世界を、べらべら説明されても、外国語をまくしたてられているみたいで、イライラしますよね。 イライラを与える相手を排除したくなりますよね。 認知症になると、他人の言うことが、どんどんチンプンカンプンになっていく。 世界がだんだん狭くなっていく。 「Aなのにわからんことを言う、コイツは馬鹿だ」と思うしか無い。 理解できない対象=馬鹿 これは認知症でなくても、そう思考しますよね。 例えば<馬鹿の壁>を書いた人も、違う世界にお互い住んでいて、その間を馬鹿という大きな壁が立ちふさがっている、みたいなことを書いていた。 ABCDEの世界に住む人がABしかない世界に住む人を馬鹿だと言い、ABしか無い世界に住む人がDだと言うと、「あいつはわけのわからんことを言うから馬鹿だ」となる。 馬鹿の壁を書いた人の説だと、知能が関係すると言う。 知能が10違うと、会話が成立しないのだとか。 で、各大学はそれぞれ、似たような知能指数の人が集まるそうなので、講義して理解する生徒半数、理解できない生徒半数が存在する とはならないそうです。 認知症になると知能も低下する。 生まれながらの知的障害の人と、中途知的障害になった人は違う。 今まで理解できていたという認識があり、今も持続しているという認識なので、まさか自分の知能が劣化したため、自分の認識が他人とズレていると思わない。 私だって、どうみても「みかんだ」と思うものを、「いえ これはノートです」と言われたら、「はぁ?」だし、他の人に「この人これをノートだって言うのよ」と言うと、「そうですよ 字を書くノートですよ」と言われたら、困っちゃいます。 私の場合、まず疑うのが自分の認識です。 自分がなにかしら勘違いして、ノートを食べるみかんだと思ってしまったのだと自分を疑う。 ある方、他に人にはやらないのに、私にだけ事あるごとに「あんた ばっかじゃないの」と言っていた。 そのとき やはり 私は自分の勘違いだとまず私の認識を疑った。 相手が正解を言ってるが、私が何か勘違いをして別なものだと捉えているのだろうと思った。 だがある時気づいた。 この人、日常使える語彙が極端に少なすぎる。 そして、勘違いが多すぎる。 妄想と現実を区別できていない。 さんざん「あなた馬鹿じゃねーの。 馬鹿 馬鹿 また馬鹿言ってるよ けっ」と言っていたその人、、、知的に問題があり、妄想を現実起こったと誤認識する人だった・・・・・。 これがズレの原因で、本人は自分の誤認識を正しい認識だと信じて疑わなかった。 で、侮辱に耐えかねて口を利かないでいたら、やっと私が怒っていると気づいて、「私あなたに何か怒らせるようなことした?」と聞いてきた。 「はぁ????」です。 「自分が一体何をやっているのかわからないんでしょ もういいです」と怒りをこらえた声で言うと、「実は、、、」と小さい頃から親にさんざん現実と妄想を混同し、認識が他の人とずれていると言われてきたと告白してくれた。 他に人には侮辱せず、私にのみ暴言を吐いていた理由は、 甘え。 言い返さないので、どんどん図に乗って、普段馬鹿にされているので、その鬱憤を私に晴らして、自尊心を保とうとしていた と推測します。 この人の場合、先天性な脳の障害だと思えます。 で、私が激怒をあらわにしてから、それ以降、私に「馬鹿だ また勘違いしてやがんよ けっ」など暴言を私に対して言わなくなった。 いつも私が引いていたため、優劣の関係ができあがってしまって、それも異常な優劣の関係に成長してしまったわけです。 怒りを今にも爆発させそうな対応をした以降、その方 おとなしくなり、私に暴言をはかなくなり、丁寧な話し方になった。 予想だにしない展開です。 我慢に我慢をかさねて、とうとう限界に達して、「えー 私の勘違いなの ごめん」ともうこっちが折れることを一切せず、相手が認識ミスして面倒を起こしても 一切干渉せず、その尻拭いも手伝わず一人でさせ、かつ会話を一切しない。 必要最低限のことをニコリともせずに言うにとどめて、私の世界から相手を排除するというか、その態度を改めない限りは、同じ世界に住まないという態度を強く出したところで、やっと相手は態度を改めてくれた。 やってみます? その方と同じレベルの認知力だと思えます。 障害だから、認知のズレ、勘違い、間違えた思い込みの激しさは、どんなに努力をしたところで、無いものは能力を伸ばせない。 でも、障害を持ちながらも、その人は、心の中では今まで通り「けっ」と人を馬鹿にしているでしょうが、表面は「やってもらえる?」という普通の依頼の仕方ができるうようになったんですよ。 ちょっとした怒りじゃ 下手すると関係が悪化しますよ。 かといって、相手と同じように暴言を吐いても何も生まれないし、やりたくないでしょ? じゃあ 「怒りを 限界ギリギリまで わたくし 今 おさえておりますのよ! あなた わたくしに 今触ると 痛い目に合いますわよ!」というオーラを出す。 相手があなたの怒りをこらえていることに気づいたとき 関係改善のチャンスです。 相手は短絡的に怒って暴れたりmあなたを召使として服従させようとは もはやしなくなるのではないか と。 頼んでもやってくれないと、今までなら、怒ってやらせていたでしょうけど、ただならぬ雰囲気だとさすがに気づいて、「あの・・・ ちょっとこれ やってもらえるかな」とオズオズと言ってくると思う。 そこで「はーい」とにっこりしちゃ駄目。 じっと相手の目を見て、黙ってやる。 「なんだ その態度は」と言わせない迫力で怒りを堪えたままやる。 すると「俺 なにか怒らせることした?」と言うかも。 「自分が何をやったのか わからないんでしょ! じゃあ 言っても無駄ってことよね!」と吐き捨てるように言う。 相手が言葉を失うことに威厳と迫力でやるのがコツ。 で 相手が今までの態度を改めたら、つまり わからないとすぐブチ切れることをやらなくなって、わからないかとき「悪いんだけどやってもらる すまないねぇ」と依頼してきたら、何事も無かったように快くやってあげる。 これも対人関係で共存するためのコツの一つです。 私最悪 大喧嘩になると思ったのですが、あまりにも私の怒りのオーラがすさまじかったのか、相手は喧嘩をふっかけてこなかったですね。 障害を持っている人が、健常者をこきつかう世界では、両者共存できないし、ブチきれて他人を服従させる人と、一方的に暴れられて馬鹿にされている人も共存できないです。 あったとしても 歪んだいびつな世界で、不幸な世界です。 しいて言えば金銭が絡むときは、両者同じ世界に共存できますが、そういう利害関係が無い平等な社会では、暴力をした方が勝ちってのは通じないし、我々はそんな不幸な世界をいつまでも、「仕方ないか」 と存続させるべきじゃないと、ボランティア体験から思いました。
その他の回答 (2)
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
>身内でしたら知らん顔はしておれませんが、他人である場合、 >とくに仲間内などでしたら、どのような対処が望ましいのでしょうか。 >こうした性向の人というのは、しょせん注意したところで、理解力や >学習能力に徹底して乏しく、かえって無闇に反発させるばかりでムダや徒労に >しかならないのだから腫れ物に触るように迎合しておく、のがいいのでしょうか。 >(正直なところ、いまの実感ですが、やはりそれでは済まないとも思います) 私の見解も、あなたの体験から導き出されたものと一致します。 専門家じゃありませんが、統合失調症とは違うように感じます。 統合失調症の特徴に、妄想・幻覚・幻聴がありますが、文章を読む限りにおいては、その方にはそれが見受けられません。 頑固すぎるというのは、まず、思い込みからAだと100%思う。 確信した状態の後、狭くて見えなかった情報が見えてきて、自分の確信は、間違えていた・勘違いから起こったと理解したとします。 ところが、自尊心が高いと、自分の間違いを認めることができない。 他人から間違いだと指摘されると、プライドで立っていた人は、プライドを傷つけられたと感じ、保身に全力投球して、斜めの状態でそのままだと倒れそうなのに、「まっすぐに立っている」と言って譲れない。 あげくに倒れたら、かんしゃく起こす。 「お前らのせいだ 俺のせいじゃない すべてお前らが悪いんだ」と、まるで3歳児のかんしゃくと同じ状態になる。 3歳児頃は、自分の感情をコントロールする神経が、まだ発達していないので、かんしゃくを起こしてしまい、物を投げて、自分の失敗を回りに当り散らすしかありませんが、成長とともに、柔軟さが出てきて、感情が爆発する前に、コントロールできるようになり、噴火を未然に防げるまでになる。 ところが、祖先の中にかんしゃく持ちがいると、その気質を譲り受けた子供は、他の子供と比べて、頑固でキレやすくなり、自分の間違いを素直に認められない個性だったりする。 すると、成長して神経が発達しても、経験を通して学んでいっても、本質のキレやすい というのは、強いので、変わらないわけです。 そういう本体を持った人が、生き抜くには、自己防衛機構として、起こって暴れれば、周りが譲歩してくれるということを学習するので、他人から間違いを指摘される前に、物を言わせないように、キレておく。 そうすることで、周りがあえて間違いに触れないので、自分のプライドも傷つかないですむ。 キレやすい子供に対して、親は譲歩しつづけるほうが、楽なわけですから、子供の欲望を満たすことで、かんしゃくを起こさないよう、あるいは起こした場合、「はいはい あなたの望むとおりにしますよ」とやって、さっさと片付けてしまおうとする。 家庭裁判所の調停員は、無茶苦茶な主張で吼えている人と、話せば理解を示す人を調停する場合、後者の方を説得しようと懸命になる。 話が通じるから、その方が解決が早いから。 「相手が全部かぶれというのは無理ですが、あなたもちょっとは過失があると言えなくもなく、ここはあなたが9割相手が1割でどうでしょう」 そう言われても後者は、あきらかに相手のミスなわけで、納得できないが、なんせこんこんと調停員に言われ、「このままじゃ 収まらないでしょ。もうこんなことで何度も呼び出しくらって無駄な時間を費やしたくないでしょ。お金でかたがつくのなら、もう済ませちゃったほうが、あなたにとって楽じゃないですか」と調停員は説得を続ける。 話が通じ、会話が成立する相手を、おとそうとするわけです。 前者は、全く話し合いが通じず、動物を相手に会話をしようとするようなものだから。 人間と会話しないと、会話による解決はできないので、人間に折れるように説得をするわけです。 >腫れ物に触るように迎合しておく、のがいいのでしょうか 表現の仕方は悪いですが、「象」と言っても通じない相手に、必死に「象」とはなにかを説明したところで、ゾウという言葉が意味をもって言えると認識しない動物に対して、象を理解させようとしても徒労に終わるじゃないですか。 相手の能力を見極め、相手に理解する能力が無いとなれば、諦めるしかない。 例えば「メシはまだか」と食べ終わった人が言ったとします。 「今食べ終わったばかりですよ」と言っても、相手は「今朝ごはんを食べ終わったところだ」という記憶が無いのでしたら、「俺にメシを食わせない気か! うそつきめ!」と相手に怒りを買うことになる。 ある方の私正直に「あら 今食べ終わったとこですよ。足らなかったですか」と言ったところ、拳骨で顔を殴られた。 その後、足でおなかを強く蹴られて、ぶっとびました。 さらにのしかかってきて、腕を捻じ曲げられた。 負傷しましたが・・・・ 思うに、「あら、今食べ終わったところですよ」と言ったことが、相手のプライドを傷つけてたと思ったことと、相手の方は「ご飯を出してもらえると思ったのに」と期待とは違う反応だったことに、怒りが突如として湧き起こり、殴る蹴るの暴行になったのではないかと思えます。 「駄目ですよ 暴力をふるっては」と言うと、さらにこぶしで顔面を殴打してきました。 周りが気づき、「まあまあ」とその人を引き離し、「こうなったときは、その人に近づかず、放っておけばいい」と教えてくれました。 距離を保ち観察していると、怒りは見えず、食べ物も要求せず、普通に戻っていました。 ということで、暴走した場合、物理的な距離を取ること。 そういう援助をするしかない。 近くに甘えられる人がいると、暴走がひどくなり、甘えられる対象をボコボコに殴り暴れてしまう。 甘えの心理が、暴力となり表れるわけで、甘えたい、干渉したい相手が不在なら、暴走は起こらない。 で、表情を見ると、険しくなっていくと、暴走がいつ起こってもおかしくないわけで、そういう時は、距離をとって視界に入らないようにすることで、発火しない。 またはこのままでは発火すると思った場合、別のことに興味を向けさせる。 持ち上げて褒め殺しにする。 すると相手の脳に快楽物質が出て、噴火要素の物質が静まり、表情が穏やかになっていく。 ですが、脳というより身体の部分に異常が出ている場合、言葉は無効です。 例えば、高齢になると、血圧が高くなる、心臓や肺の機能がうかく働かない→苦しい→不快→イライラする→一触即発。 または便秘していたりしても、イライラするし、女性は更年期障害で、周りに当り散らしてわけのわからないことをもっともだと暴れ狂う人がいますが、男性でも更年期障害により、モルモンのバランスが壊れ、暴走するのだそうです。 特に現役時代に、肩書きを持っていた人ほど、ちやほやされるのに慣れているので、肩書きを失い普通の人になったとき、魔法が解けたことが受け入れられず、回りに特別扱いするように要求し続ける。 現実を拒絶して、肩書ゆえにちやほやされていたという幻の世界を見続けたがる。 魔法の喪失が精神的な危機なわけですが、うまく喪失を受け入れられないと、自己確立に失敗し、自己防衛により、暴れることで、幻の世界を取り戻そうとする。 で、その人の幻の世界を取り戻すために、周りが奔走しようとするか? 架空のもので現実ではないし、幻の世界を一緒に演じるほど暇でもないし、その人を愛してもいないので、やろうとしないわけです。 すると非協力的な自分を崇めない周りに怒って暴れて、自分に服従させようとする。 で、もうこうなると、結局説得も説明も無理で、「本人は魔法の世界を今すぐ出しやがれってんだ 奴隷どもめが。俺は王様であらせられるんだぞ とっととやれ 殴るぞ 痛いめに合いたくなかったら さっさとやれ!」なわけで、周りの披露は激しくなるわけです。 で、これは障害というより、、、まあ 一種の人格障害みたいなものですが、人格障害は病気ではないので、認定は下りないと思います。 ですが、痴呆によるものだと医師が診断し、施設の入所基準を満たして施設側が受け入れるとなると、施設に預けることも可能になると思います。 他の初老ということですから、介護予防としてサービスがあるので、施設が提供する予防サービスに日中行ってもらい、そこで楽しんでもらう(疲れてもらう)というのを利用してもいいかもしれないです。 基本的な性格、核の部分の性格は、一生変わらないそうです。 それじゃ 家族も共倒れにり、市民が不幸になってしまうので、それを救済するために、市はそういう家族を持った家庭の人に休息を与えるために、施設のサービスを割安で利用できるよう、金銭的援助をするわけです。 65歳以上の場合、認定審査の対象になりますが、性格ゆえに問題行動を起こす場合は、、、難しいですね。 予防サービスは受けられると思いますよ。
お礼
(補足から続く) ずっと以前に何かの本で読んだのですが ボケちゃったお年寄りが、今食べたのに、じき食事を催促するようになったとき、お嫁さんは一計を案じ、煮込みうどんなど用意して、催促されるたび、お椀に軽くよそってあげたら、お年寄りの胃袋ですから、すぐ満足して、おとなしくなったのだそうです。 またすぐ催促するわけですが、煮込みうどんですから消化もいいし食べさせるほうも気軽だし、ということで、なるほど一石二鳥、わが親もボケて「ご飯はまだか」などと言い出すようになったときツカエル、と思った話なのですが、このスレ御覧のかたのなかには役立つかもしれませんので紹介してみました。 >暴走した場合、物理的な距離を取る >甘えの心理が暴力となり表れるわけで、甘えたい、干渉したい相手が不在なら暴走は起こらない。 ですが、こちらが距離をとろうとしても向こうが執拗に追って来るんですよ。そもそもシツコイ性格してます。こちらの注意を向けさせるためには手段を選びませんので仕方なく向き合うハメになってしまうんです。たとえれば、子を人質にとられた親みたいな。 >現実を拒絶して、肩書ゆえにちやほやされていたという幻の世界を見続けたがる。 ああ、「バブルの夢よ」とか、しきりに言ってました(笑 >その人の幻の世界を取り戻すために周りが奔走しようとするか? しました、私が(爆 >施設が提供する予防サービスに日中行ってもらい、そこで楽しんでもらう(疲れてもらう)というのを利用してもいいかもしれない 向こうは楽しんだそうですが、私は疲労しました(笑)タダ働き(爆 >架空のもので現実ではないし、幻の世界を一緒に演じるほど暇でもないし、その人を愛してもいないので、やろうとしない >自分を崇めない周りに怒って暴れて、自分に服従させようとする。 そうなんです。私としては「仲間として情がある」と言った人に「幻の世界を一緒に演じ」てやってほしかったですが。私は、そこまでの暇も愛もないので(笑 でも「服従」も情のうちなんだそうで。やっとれSM(笑 なんで私が「予防サービス」をしてやらにゃならんのか(爆 >基本的な性格、核の部分の性格は一生変わらない だそうですねぇ。だったら、かかわるだけムダ。問題は、卑劣な手段で付きまとわれたとき。 先日も御丁寧な回答をいただき、今回また有難うございます。参考になりました。
補足
今回も、お世話になります。 >統合失調症とは違うように感じます。 統合失調症の特徴に妄想・幻覚・幻聴がありますが、文章を読む限りにおいては、その方にはそれが見受けられません。 そうですね、私の身内の場合は妄想、幻覚、幻聴の類が激しかったので統合失調症で間違いないだろうと思いますが、「その方」は違うと思います。何かあるとしたら、仰るように一種の人格障害、もしくは何らか或る種の発達障害を抱えているように見受けられます。パニック障害があるとは言ってました。 人格障害は病気でない、というのは私も身内を通して聞き及んでいますが、やはり脳内の偏りが過ぎるということでしたら、その過ぎる部分が病気と言ってもいいのでは?とも思います。分泌の問題とか。身近の者を観察していると、とにかく物事の受け止め方、解釈の極端さ(往々にしてステレオタイプ)と、軌道修正の困難さがみられます。より大きな問題は、軌道修正の極度の困難さのほうですね。 >他人から間違いだと指摘されると、プライドで立っていた人はプライドを傷つけられたと感じ、保身に全力投球して、斜めの状態でそのままだと倒れそうなのに「まっすぐに立っている」と言って譲れない。 あげくに倒れたら、かんしゃく起こす。 「お前らのせいだ 俺のせいじゃない すべてお前らが悪いんだ」と、まるで3歳児のかんしゃくと同じ状態になる。 ええ。。。いずれ「倒れる」だろうと思うからこそ事前に配慮したつもりだったんですが。。。どうやっても他者を悪いほうにしたいみたいですね。 実は「その方」だけの問題じゃなく、観察してると、どうやら、最低限の注意を怠った傍の人にも同じような傾向がみられます。 結局、何かの目論見が外れたから「俺のせいじゃない すべてお前らが悪いんだ」プラス「オマエがバカだからだ」と、こういうことです。 他人の「かんしゃく」を利用して何事か目論んだ(高尚な理論構築だとか)ところが、自分の思惑通り行かなかったというので、自分もまた「かんしゃく」を起こしてらっしゃいます。「バカ」「バカ」「バカ」と連呼してらっしゃいます。なんですか「足の裏のご飯粒」(=博士号)をお持ちなんだそうで、大学も出てないバカを操縦できなくて、よくよくプライドが傷ついたんでしょうか(笑) >そういう本体を持った人が生き抜くには、自己防衛機構として、起こって暴れれば、周りが譲歩してくれるということを学習するので、他人から間違いを指摘される前に、物を言わせないようにキレておく。 確かに、そういうスポイル的なことからの学習があるみたいです。少くとも、これまでは、それでまぁまぁうまく回ってたらしい。で、回らなくなったというので私が責められました(苦笑) 間違いを指摘されたくなければ、ふつうは「キレておく」以外の方法をとるもんだろうと思うのですが(笑) >無茶苦茶な主張で吼えている人と、話せば理解を示す人を調停する場合、後者の方を説得しようと懸命になる。話が通じるから、その方が解決が早いから。 >前者は全く話し合いが通じず、動物を相手に会話をしようとするようなものだから。 人間と会話しないと会話による解決はできないので、人間に折れるように説得をするわけです。 「無茶苦茶な主張で吼えている人」から私が「人間以前」と呼ばれたことありますけど。。。(苦笑) いや、そうですね。私も学生時代、フシギに思ったことあります。 同じ校則違反をしたとして、ハンパなワルだと先生たちはガミガミ言うんですが、どーしようもないワルだと、ェヘラェヘラ迎合してました。まぁ早い話が見離されてるわけですけど(笑) >拳骨で顔を殴られた。… まあ、!! お身内ですか、ボランティアか何かですか? 大変でしたね。 私も似たような事は、さんざん経験しましたが、相手がいきり立ってるときって、どうしようもないんですよね。何かしら本人なりの理由があって、潜在的な被害者意識を抱え込んでることがあるみたいです。 それは自分自身に対する怒りに繋がってて、だから自分より弱いと見做す相手に投影して暴力を振るう。つまり自分自身を殴る蹴る、しているんでしょう。そして、ますます自分を信じられなくなる。 親或いは子を暴行死させてしまうという事件も目につきますが、これも自分を投影している面が大きいだろうと思います。 特に、高齢の親あるいは女親を暴行して死なせてしまうという場合、もとは弱者の立場にあった子が、一転、体力腕力、経済の面で強者と成り変わったとき、一触即発的に爆発するのかもしれません。 (お礼欄へ続く)
- Matu1123
- ベストアンサー率50% (1/2)
私の個人的な意見では、頑固な人はあまり腫れ物のように迎合するとそのストレスでさらに気性が荒くなっていくので、普通に接するのが一番かと。 まぁ、普通の人以上にその人の意見を尊重した上で話をするということも大事だと思います。 注意は時と場合によりけりですかね・・・その人がはずれすぎていてどうしようもないときには注意は必要ですが、最低限の注意以外は避けたほうが自分のためにも本人のためにもいいと思います。 頑固な人相手の注意は利他行動にもなりませんから。
お礼
お礼が遅れ失礼しました。 早速のアドバイス、有難うございます。 >頑固な人はあまり腫れ物のように迎合するとそのストレスでさらに気性が荒くなっていく そうですか。。。難しいもんですね。 それにしても「普通に接する」という基準が、これまた難しい。。。 確かに「普通以上に尊重する」ことは要求されますね。実力が伴っていようといまいと。むしろ実力が伴っていないからこそゴリ押しで踏ん張ろうとするみたいで。 それでいて、根拠もなく尊重されたって、有難がってなんかやらないぞ、というか或いは、根拠がないからこそ、尊重される自分にはフシギな力が備わっているんだ!と自惚れに浸るか。 ほんとに始末悪いです。 >はずれすぎていてどうしようもないときには注意は必要ですが、最低限の注意 それすら、周囲(仲間)は避けてたんですよね。 「な~にが、情がある、じゃ!」と内心、呆れました。 それにも、どうやら隠れた理由があって、その人の「はずれすぎ」自体を利用してやろうという傍の者の目論見があったらしいです。たとえば「イジメ」に利用するとか。 >頑固な人相手の注意は利他行動にもなりませんから。 まったくですねぇ。「利他」どころか、こっちの損害が嵩むばかりで。 身内は否応ないですが、アカの他人は、どうしたって限界ありますから。。。 こうやって、そういう人は皆から見離されていくんでしょうか。
補足
No.2のかたにも御覧いただきたいのですが 哲学カテゴリーのスレで 『人間にとって物語って何なのでしょう?』 というのが紹介されていました。No.8御回答からの抜粋です。 「二、三歳くらいの女の子が電車に乗っています。初めて電車に乗りました。「電車」という言葉も初めてです。だからこの子は「デンシャ、デンシャ」と嬉しそうにつぶやきながら外を眺めています。ところが突然妙なことを言い出しました。 「ママ、デンシャってにんげん?そえとも、おにんぎょう?」 …… この子の内面では、それまで以下のような「世界の分節化」(世界の整理棚)があり、それで何ら不都合なく生きていられたのです。すなわち 「柔らかくて、暖かくて、動くもの=人間」 「固くて、冷たくて、動かないもの=人形」 です。 ところがこの日、初めて電車に乗った。「固くて、冷たいけど、動くもの」に遭遇したのです。それで「どっち?」ということになったわけです。 …… この女の子が上記二項からなる整理棚に拘泥しつづけるかぎり「電車」は未知のものでありつづけます。実際にはそうではないでしょう。いずれ彼女なりの「物語」を経て 「固くて、冷たいけど、動くもの=機械」 という第三の棚を「析出」させることでしょう。彼女に与えられた世界そのものには何の変化もありませんが、彼女の中で、この世界を整理する仕切りが一歩、細かくなるのです。すると…「電車」なるものは彼女の言語体系の中に「安らかに収まる」ことになります。 ここで言えることは、彼女は世界に新しい区切りを投げかけている(分節化している)と同時に自分自身の内的言語体系の中にも新たな区切りを刻んでいる(分節化している)ということです。世界の分節と言語体系の分節は同時的なのです。 …… 「真理」と「方法」とは単純に並置されているのではありません。 …… つまり「方法」なるものによっては「真理」は見えない、ということです。 「方法 method」という言葉は語源を遡るとギリシャ語の「meta hodos」になります。「道(hodos) に沿って(meta)」ということです。 …… 先入観は、テクスト理解に必要な「解釈者自身の持つ意味連関」として積極的に評価されます。「なければならないものである」ということです。 …… テクストそのものは元々解釈者のそれとは異なる意味連関(歴史的背景)に支えられて成立しているわけですから当然、解釈者が自分の意味連関に、言い換えれば「先入観」に閉じこもるかぎりは理解に限界が生じます。この限界は「テクストの側から」解釈者に投げつけられます。「わからない」という事態です。「意味が通じない」「一貫しない、矛盾する」などなどです。この事態に立ち至り、解釈者は「問」を立て、その答をテクストの中に模索し、答を見出すという形で自分の先入観から歩み出すことを余儀なくされます。 …… ここでは「先入観」という言い方をしていますが、これは「自分の持っている言語体系」と同じものと考えて差し支えないでしょう。すると、ここでは「別の物語」との出会いの中で「自身の言語体系を乗り越える作業」が進行すると同時に「自身の言語体系を自覚化する作業」もまた、行われていることになると言えます。」 「乗り越える」「自覚化」このあたりにも能力的な大きな問題が潜んでいそうです。
お礼
(補足欄から続きます) いますね、こういう人。 この種の人って、ふつう言う知的能力等かかわらず、他人をよく見て区別してると思います。甘えられる人いけない人、舐めていい人いけない人、自分より強そう弱そう…知性の最も低いレベルの現れなのかもしれませんが、比較してる。それも瞬時に。殆ど、こういう能力に特化してるかと思うくらい(笑 >その方と同じレベルの認知力 障害だから認知のズレ、勘違い、間違えた思い込みの激しさは、どんなに努力をしたところで、無いものは能力を伸ばせない うん~むしろ自分の認知、勘違い、思い込みに周囲のほうが合わすべきということに精力注いでる感じで。つまり「金輪際、認めない!!」というところにこそ頑固過ぎが出てるわけで。だから周囲の人を操作しようとするし逆らうなら根競べ持久戦になり、その分こっちが消耗する。しかも、この手合いは頭から下は頑健そのものだったり(苦笑 >ちょっとした怒りじゃ下手すると関係が悪化しますよ。 ~「自分が何をやったのか わからないんでしょ!じゃあ 言っても無駄ってことよね!」と吐き捨てるように言う 本当、自分が何をしでかしたか分からないみたいです。やったことが悪質だと余計に認めたくないんでしょうけど。 オーラといってもコトバのやりとりのみですから顎ダルくなるほど言ってみたこともありますが結局、私一人バカ者になってますわ自分たちは棚上げして(--X) その理由付けの一つが、回答者さまに前回お相手いただいた、例の「アスペルガーだから」って始末(苦笑 >障害を持っている人が健常者をこきつかう世界では両者共存できないし、ブチきれて他人を服従させる人と、一方的に暴れられて馬鹿にされている人も共存できない あったとしても歪んだいびつな世界で、不幸な世界です >~そういう利害関係が無い平等な社会では暴力をした方が勝ちってのは通じないし、我々はそんな不幸な世界をいつまでも「仕方ないか」と存続させるべきじゃない そのとおりだと思います。現に「共存できない、似た者どうし固まって歪んだいびつな不幸な世界」になってます。こうなると新陳代謝できず腐りはてていく。。。 存続させる値うちが微塵もないことってあるのかもしれません。 「暴力」を通じさせない一つの方法として、利害関係を持たないということは鍵になりそうです。 再度の御回答を有難うございます
補足
認知症ってアルツハイマーや所謂ボケ老人とか思い浮かべますが脳血管障害や脳外傷、変性疾患、アルコール中毒など高齢でなくてもあるんですね 「その人」の場合は見かけそんなふうに見えるのも確かですが先天的気質や能力の問題が大きいように思います。先回、話題に出た人格障害あるいは発達障害など。。。 劣等感の反面で野心的気質だったりすると補償欲求の方も強くなり、例えば、時に見かけますが、天才扱いされたがって殊更奇矯な言動をとったり。特別な存在と思われたいみたいな。 元々思考全般、ピントが絞れないという感じ(そして最も多いタイプ)ですから、どうしても横滑りしがちな(そして、それを逆手にとろうとする)のも仕方ない面があるのでしょうが、過去の記憶については、それは過去の記憶として、強い愛着を持ってるようです。(過去に執着し易い?すると根に持つタイプか)ですから時間経過等をとっ違えてるようで、それはワザとやってるみたいです >以前はA、B,C、D,Eくらいの思考をできたのに認知症で世界が狭くなりAかBかくらいしか分類できなくなり、二つにうちのAだと判断するしか無くなった >Dという概念を喪失しているので「Dですよ」と言われても一体何を相手が言っているのかわからない なるほど。要するにNo.1さま補足欄で挙げた、哲カテでの御回答例に出てくる「棚」数が減ってる。増やすでなく、減る一方 >勧誘の人が、べらべら説明されるとイライラしてきませんか? そうですよね自分にとって興味ない話を延々聞かされるって一種の拷問(笑 「その人」も、べらべらよくしゃべる人で。拒否ると「食え!!」って凄む(苦笑 店員さんだか販売員なさってるそうで、お仕事柄かな?どこでも「営活」せずにおれないほどの執念、それこそが頑固過ぎる気質の現れか、とも思います >理解できない対象=馬鹿 >ABCDEの世界に住む人がABしかない世界に住む人を馬鹿だと言い、ABしか無い世界に住む人がDだと言うと「あいつはわけのわからんことを言うから馬鹿だ」 私も、先方にすれば理解不能対象だったらしくて大バカ扱いされました。 こっちが怒るべきところ逆に先方が「だれも怒ってへん!」ですって。マジ、こいつアホ?と思いました。 単に先方の視野が狭いだけなら視野広げる努力をしていただきたいが、まぁ博士号が後ろ盾ともなると私が先方の視野に合わせるべきなんでしょうか調子狂います(苦笑 「知能が10違うと会話成立しない」というのは当サイトの質疑応答閲覧してても分かります。俗に「アホはアホどうし」と言いますけど、知能指数同レベルの人どうし激しく共感寄せ合ったりしてるの見かけます。これは要するに理解し易いからで、自分が理解し易い相手は即ちイイ人という、そういうところにも自然と自己愛的視点の判断習性みたいなものが出るのでしょうか。 すると「認知症」が疑われかねない人と博士号の「会話成立」しかもコトバを超え、ってのは…何でしょう、いろいろ考えられます(笑 >生まれながらの知的障害の人と、中途知的障害になった人は違う 私も一部身体障害を持ってますが、あかちゃんの頃の薬害なので殆ど生まれつきみたいな感覚です。あるていど大きくなって、とくに成人してからの場合は精神的ショックが大きいだろうと思います。 まして知能とかだと自分で自覚できない、し難いものだろうし、そういうことにかかわらず自然に備わってる自尊心は変わらないでしょうから、それまで人並み或いは、それ以上有能だった人の戸惑い、苦しみは尚更でしょう。所謂ボケ老人とされる人も、もと一個のオトナ、リッパに社会人やってきた歴史がありますから本人の違和感、もどかしさは傍から見てる以上かと思います >まず疑うのが自分の認識 なかなか困難ですね。謙虚さがないと。私の場合そういうの、ある意味、障害で鍛えられた面は認めざるを得ないですが、回答者さまが、これという強制力なく自発的にできてらっしゃるなら、とても立派なことと思います。 >語彙が極端に少なすぎる。そして勘違いが多すぎる。妄想と現実を区別できていない 本当の病状なら周囲のサポートが必要ですし、だからといって尊厳に変わりはないと思いますが、「その人」の場合、演じてる面が大きいようで。 >小さい頃から親にさんざん現実と妄想を混同し、認識が他の人とずれていると言われてきた こうした、もともとの弱点があるにしても わざわざ演じることで周囲に甘え、迷惑行為をはたらき、自分のツマラン妄想だのヘンな野心だの承認欲求だの満たそうとしてるなら、とんでもないことと思う。 なにより、本当に障害抱えてる人たちの足を引っ張ることだと思う。二重三重に罪なことです >どんどん図に乗って、普段馬鹿にされているので、その鬱憤を私に晴らして自尊心を保とうとしていた