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ラッセルの姿勢の推移の説明が納得できないのですが
http://russell.cool.ne.jp/YOSIDA4.HTMの記述の中で 1912年に出た「哲学の諸問題」(The Problems of Philosophy)を一つの頂点として、彼の実在論は、唯名論に近いものに変って行く、とありますが、『プリンキピア・マテマティカ』は1910年から1913年に出版ですから、そのような推移関係にない、両書では同じ場にいる、ということにならないでしょうか?
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- old_sho
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何を納得できないと言われているのかが、よく分らないです。 吉田夏彦論文第三節「プラトン主義」の中で、 1)「1912年に出た「哲学の諸問題」を一つの頂点として、彼の実在論は、次第に、唯名論に近いものに変って行く。」 2)「ラッセル自身は、次第に、集合の存在に疑いをいだくようになり、プリンキピア・マテマティカ(特に二版)では、集合概念を除去した論理学をたて」 とあるこの二点の整合性が、納得できないという意味でしょうか。 その場合問題となるのは、「プリンキピア・マテマティカ」第一版が「集合概念」をどう扱っているかですね。いくつかの批判に応えて、命題関数の扱いを変えた第二版は10数年後に出ています。しかし、その本は普通に読むような代物ではないので、専門家のご意見を伺う事しか出来ないですね。 素人的に見れば、算術を記号論理のいくつかの規則から導いて見せるという恐ろしい作業は、出発点を決めたら何年掛ろうが、作業が完了するまで立場は変わらないと言えるでしょう。おまけにホワイトヘッドとの共著であったわけですし、その出発点が、「実在論的」・「唯名論的」傾向のどっちに比重が在るかとなると、更に微妙な意見ですね。傾向があると言えるかどうかも難しげです。その点で、第2版で改訂が行われたのは「集合概念を除去」する方向に向いたと、吉田夏彦氏は認定されているわけですね。 ラッセルの実在論的傾向の頂点は、もう少し前の著作にあるという見解もありますね。「を一つの頂点として」という表現は、鋭い頂天として折り返したという意味ではないですね。ですから、吉田夏彦氏記述はとくに問題となるほどの事ではなく、一つの見解であると、そのように思えます。