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嫡男の結婚
江戸期九州あたりの武士のお家のことです。 たとえば、仮に、http://okwave.jp/qa5256748.htmlのお家など。 嫡男が何らかの事情で、子を孕ませたが結婚できないという事情や例などはありうるのでしょうか? 例えばきちんとした武士で、大庄屋の娘さんに子どもができたが、結婚できない事情とはどんなことがありえましょうか? そしてその方を父親の後妻として、まぁ本当の父は長男で、後妻のお子さんが次男するようなやりかたは、あったのでしょうか? すみませんどうかお教えください。
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すいません、すでに正妻と跡継ぎがいる話でしたか。 リンクを見ておかしな勘違いをしてしまいました。 経済的に裕福で無い限り、後妻をとり次男を引き受けるようなことは無いかと思います。江戸時代も50年もたてば、家禄は完全に限られているものなので下手に分家するとまさに田分け者です。 そのうえそんな余力の無いものが大半です。 実際に分家する余裕も無いのに次男なんかいても、一生家長の厄介になるしかなく、独立もできなければ嫁も取れません。 それでは子供の将来を考えれば、裕福な農民の息子のほうが幸せです。 戦国時代は、あちらこちらから嫁を取り子供をたくさん抱えたり、分家するのも一般的でした。 正妻の年下の嫡男を長男として育て、お手付けの年上の子供を次男として育てたなんていう言い伝えもたくさんあります。(あえて記録には残さないのではっきりしませんが。)ただこれは、戦国の世でどんどん禄や所領を増やしていける時代の話です。江戸時代になり領地が固定化される時代を迎えると、下手な分家は慎むべきことだし(細分化する一方)、下手に嫁や子を増やすのも控えるべきことです。 こういった背景によるものではないでしょうか?
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- jkpawapuro
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きちんとした武士と言われても、色々ランクがありますよ。 藩主の小僧になる家柄となるとそれなりの家格ですから、やはり嫁をとるにしても、それなりの家格の武家からとるのが通例でしょう。 一介のお目見え程度だと、許婚でもいない限り、大庄屋の娘ならいいでしょうが。 逆に家老クラスの大物やよほど経済的に裕福だと、側室扱いでお手付けを嫁にとることもあるでしょう。
お礼
ありがとうございました。 勉強になりました。
補足
ありがとう御座います。 鍋島論語と段々に呼称された、葉隠の口述者、山本常朝のご実家のことが念頭にありました。 ですからご嫡男、家系図的には常朝の兄となるかたのことです。 常朝は父、山本神右衛門重澄の70歳のときの子どもであると、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%B8%B8%E6%9C%9Dにもあります。 そして20歳年長の常朝の甥、山本常治の薫陶を得たとのことです。 記述内容と常朝を中心として続柄はその通りだとしなければ、真に不遜であり、失礼になると存じております。 このこととは別に、ご身分やお家柄などをそのまま借用し、仮に常朝にあたる人を甲とし、甥、常治の父たる常朝の兄に当たる人を乙とし、常朝の母となる人を丙と置き換えて、全く架空のお家を考えて、質問させていただきました。 この架空のお家において、甲の兄乙が何かの事情で丙に子どもを宿したとしたら、乙の正妻が存命であれば、宿った子と丙の将来をみんなで真剣に考えるでしょうね。 或いは正妻がもう他界していても、事情があって、後妻にできない。 と言う場合の、その事情を推量したかったのです。 乙の父、つまり、甲のおじいさんの子どもとする場合、将来のためにいいという配慮と、妻に迎えられない何かの事情があるのだろうか、いろいろ考えての質問でした。 どうかよろしくお願い申しあげます。
お礼
本当に度々ありがとう御座いました。 限られてきている家禄を考えれば分家に繋がる、母と子の引き受けはありえませんですね。 まぁ分家以外に身の立つ道が探れるかも知れないと思ったにですが、江戸期の事情諸般を考えると必ずしもそうとはいえませんね。 長男の手つき女性とそのお腹の子のことを考えるなどということで、長男との長男である甥との関係を自分なりの納得をしようと思った事は、無用かもしれませんね。 ありがとう御座いました。