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上士と郷士の具体的な差別とは?
上士と郷士の身分差別が特にひどいといわれる土佐藩の事を調べています。 すると上士が優遇されている具体例をいくつか見かけました。正しい情報かは分かりませんが… ・雨の日に傘をさしていい ・下駄を履いていい ・郷士を斬っても罪に問われない ・郷士は上士に片膝をついて道を譲らねばならない この他にご存知の方いらっしゃいましたら是非ご助力ください。
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郷土=長宗我部氏の家臣(関が原 西軍) 上士=山内の家臣(関が原 東軍) もともと、土佐藩は長宗我部氏の土地でしたが、ご存知のとおり 関が原で破れた結果、お家没収、後に土佐藩は山内氏のものと なりました。 山内氏の家来は、もちろん扱いはいいのですが、戦に破れて他に 行く宛のない長宗我部氏の家来たちが郷土という身分になりました。 もちろん、郷土たちは自分の殿様を追いやって城に居座っている 山内家が憎くてしょうがないので、態度も反抗的で命令も聞かなかった みたいです。 そこで、山内一豊は、一計を案じました。 相撲大会を開催するといいつつ、郷土を呼び集め、郷土が揃った ところで、一斉に砲撃したのです。 ここから、郷土と上士の遺恨がより深くなってきました。 具体的な差別は、bomkoさんの書いた通りですが、(日傘もダメという 資料を読んだことあります)基本的に郷土は金を積まない限り、役職に 付けなかったのです。 どんなに頭がよくても、剣が強くても、藩はそれなりの地位を与える ことはしません。ようは出世ができない=いつまで経っても貧しいまま。 ってことです。 懐柔策として、白札郷土という制度を設け、上士待遇になった郷土もいます。 (武市瑞山など) 質問の答えとはズレてしまいましたが、土佐藩の事情ってことで。
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- ahen70
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ちょっと質問とはずれますので参考までに。 藩にもよるのでしょうが、江戸幕府の郷士とは武士ではなく、 たてまえとしては農民です。実際普段は農民として暮らしながら 武術の鍛錬もし、一朝事あれば幕府の兵として戦うという身分だった そうです。 しかし江戸時代の武士はほとんどが役人。武術に長けた者などほとんど いない、というか武術だけではメシが喰えない。そういうわけで戦国時代 の武士の気風を一番受け継いでいたのが実は郷士だったとも言われていま す。 例えば新撰組の創設に係った人物たちも実は郷士が多いです。
お礼
郷士の詳細ありがとうございます。 戦国の武士の気風…、そう言われるとかっこいいですね郷士…!
お礼
土佐の事情までありがとうございます! 郷士は役職にもつけなかったのですか。徹底してますね…。 これは不満をもって立ち上がってもしょうがない。