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戦場のオートマチック化
「戦争」と言う行為について、少し考えてみますと、結局は武器を用いて相手国の人員あるいは資源、とくに武器、戦力などに打撃を与えること、ということになろうかと思われます。 歴史上戦争でやってきたことは、マンパワーでもって武器を携帯し、あるいは操縦し、運搬し、そこから刃、弾丸、ロケット、核弾頭などを相手に向かって発射する、あるいは切りつけ突き刺す、と言う行為です。 その行為は常にマンパワーでした。マンパワーゆえに、その武器の扱い手である人間を養う(補給)と言う問題が常にあった。もし、これが自動化できれば、マンパワーなど戦場には不要であるはずです。 つまり、人の変わりに何万丁もの銃が自動的に射撃され、相手を打ちのめさば良いし、戦艦(戦艦もまさに大砲を携帯するという運搬手段でっしかない)の変わりになにかのオートマチックな方法で大砲を海上で移動させて、相手国の資源国土に打ち込めばよい。 そうできないために、わざわざマンパワーなどと言う、標的にもなり金もかかり病気にもなると言う厄介なものを維持する必要がある。 いまの戦争感というのは、人員でなく、いかに小兵力で最大の攻撃を上げることができるかという思想になっているのでしょうか?
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方向性としては当然そうなると思います。戦闘機、偵察機はすでに作られています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/UCAV 人がいないなら、加速度の制約もないし、人間を守る設備も必要ない、休息も必要ない、必要に応じて自爆も可能、いくらでも大量生産できる、などのメリットがあります。 占領するには現在は人間の歩兵が欠かせませんが、今世紀の終り頃にはスターウォーズのドロイドのようなものになるかもしれません。
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- bismarks05
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>いまの戦争感というのは、人員でなく、いかに小兵力で最大の攻撃を上げることができるかという思想になっているのでしょうか? 妥当な認識だと思いますが、私は以下のように修正を求めます。 「マンパワーではなく、いかに合理的に相手戦力の無効化を行えるか」 というのも、やはり戦争の究極は、ロジスティクス(後方支援)の遮断だと思います。 ロジスティクスを遮断できれば、巨大な戦力を保持していても無効化できますから・・・・ 戦場の自動化・無人化というのは、ベトナム戦争以後の反戦運動にあるヒューマニズム視点の批判を回避する目的であり、軍事費に占める人件費の削減の意味もあります。 政治的に人道問題が取りざたされ、戦時国際法という戦争法の想定しない軍事行動という意味では、自動化兵器はやりたい放題なのです。 マンパワーによる戦争は、戦時国際法で大きく制限がありますが、自動化された兵器には、戦時国際法は無力に近いことも要素でしょう。 アンリ・ジョミニ当たりならば、戦争の合理性で妥当な回答を出してくれるでしょうが、私の見解はこの程度です。
- dogday
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戦争の全ては陣取り合戦であって、人が占領しない戦争は虐殺であって、 国家の威信だけを満足させる戦争にスポーツがありオリンピックがあります。
お礼
人のことを考えないで、攻撃機能だけを考えればよい!とは、なんと効率的なのでしょう!あるいは、今までの戦争とはいったいなんという無駄だったのかということにもなろうかと思われます。