• 締切済み

太平洋戦争での日本の誤算

戦争系の質問は出尽くしてるますが、、 戦争前の 枢軸国と連合国を数字でくらべる ページをみかけますが 何故か日本はアメリカで僅差で 追い抜けるように思わせるような ホームページを見かけます。 それが、 ネットで検索ができるような時代から 見てきましたが、何故か常にあります。 20年くらい 例えば 連合国といえば、カナダやオーストラリア その他の植民地もあったはずなのに 抜けてたり。(資源の量、人員の差にも) 愛国的なのはいいと思いますが、 やはり左翼的な思想で もういちど戦争できたらしよかっ みたいに誘ってる団体がいるんでしょうか? 因みに私は全く勝てないとみてます。 もしかしたら、勝算を見込んだ一族を 養護するために、繕ってるんでしょうか? 非戦争別国の調査データとか、みてると 米VS日本だけでも 軍事費/総生産性、軍国主義か非主義 経済モデルで、手も足も出ないと思います。

みんなの回答

  • masaban
  • ベストアンサー率36% (64/177)
回答No.6

連合でなくアメリカ単独を相手にしても、日本には勝ち目がないでしょう. まったく勝ち目はなかった. そう私は分析します. 現在もやはり、アメリカには勝てないでしょう. 回答の中に開戦前の当時の時代に、日本に勝ち目がないと悟っていた人物がいたかのような答えがありますが、いたとしても政治の中枢部にはおりません. また開戦の反対を唱え、実際に反対の政治運動を継続した勢力も権力者となった政党の中には一人としていません. 言論統制、情報操作と権力政権のもと憲兵をつかって、日本中を権力者は弾圧しつくしたのです. 情報操作と弾圧、洗脳の激しさは敗戦を過ぎても、まだ日本の戦勝による終戦だと信じる同胞が大半です. そういう民族が我が同胞の事実です. 真実のとおり敗戦と主張して、戦勝派に主張が睨まれて暴力で殺されたかたは多数、国内と国外を問わずいます.  ご存じないかもしれませんが、有名な横井さんのように終戦を知ってもまだ日本に戻る機会を得られぬまま長い年月を経たほどの圧迫があったのです. 日本の愛国心を貴ぶ国民性には厭戦という心情へ向く仕組みがありません.  犬死の戦は多数あります.  たとえば犬死という戦の真実の状況を聞いて、私の周囲、友人の母などに、たけり狂う婦女子もいます. わたしはその姿を見ました. 彼女には家の敷居をまたぐなとも言われたほどでした. 因みに彼女の愛読書は皇室グラビアです. いまだによくもまあ皇室グラビアをなぜ見るのだろうと子供心に不思議でした. 嫌いな国が国民のこころに一旦うまれると開戦はもう秒読みです. 政権与党が導火線に火をつけ、国民に煽るなら、もう開戦気分は止まりません.

boywonder
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 厳しい戦争ですよね。白旗は死みたいな意気込みだと敵も見方も間違いなく悲惨な世界観になりますね。 皇室グラビアですか、、家系によっては様々かもしれませんね。昔はN○Kさんは年末助け合いなどとこの時期には寄付を募ってました。 当時は皇室≒のような放送局だったので、多くの老人達が食うものを減らして子供や孫には内緒で寄付したのでしょうね。 米国が敵に回るとカナダ、オーストラリア、サウジも結局王族血筋なので資源供給によって日本の国益の2桁は差が生まれますから勝ちようがないですよね。大英帝国連邦がいち早く気づいたロジックは、島国での補給、交易の理論と情報系理論。だといえます。 現代でも英国が支配してます、銀行家が支配してますってもわからないのが、今なおあやふやな世界観ですよね。天皇みたいに、この人の命令でこうなった、と恨みも感謝も対象人物がないので、、。 疑問なのは、日本が将棋にこだわる事なんですが、、日本は王や家来はしっかり公開し、連合らは王や家来はグレー。目的はチェスのように計画で成り立っている。日本は将棋で、王が死ななかったと考えたら永遠に続いている。 豪州は、日本に攻められてから長らく地図を日本には公開してなかったようですし、日本の執念深さは、ある部分まで成就できたのでしょうかね、、。ある陰謀論者は天皇家が、世界のトップになったとか言う人も見えます。あったとしても金儲けが上手くて金庫番の代理権が交代したくらいの可能性なのでしょうか、、、。 世界を支配してる管理人がいたとしても、冷徹で淡白な精神でないと成り立たないでしょうね。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.5

戦前の日本にも、アメリカやイギリスに留学した経験があったり、日本国内で詳しく分析したりして、日本と世界の主要国の経済力などを客観的に見ている人は、確かに存在しました。 例えば日本の対外関係が悪化しつつあったころ、戦争(総力戦)を想定した内閣直轄の「総力戦研究所」が昭和15年の勅令により設置され、各官庁・陸海軍・民間などから選抜されたエリートたちが調査研究や訓練を行いました。翌16年夏には日米戦争を想定した画期的な図上演習を行い、「日本の国力では長期戦には耐えられず敗北は必至」という結論を導き出しています。この結果は、当時の近衛総理大臣や東條陸軍大臣の前で報告されました。図上演習とはいえ、現実の開戦の数か月前にすでに「必敗」の結果が出されていたのです。 太平洋戦争の開戦当時の日本の指導部は、日本やアメリカその他の列強の経済力や軍事力についてよく理解し、日本の国力では長期戦を継続できないことは重々承知していたことは確かです。最大の問題はそのことが戦争を思いとどまらせる有効なブレーキにはならず、「乾坤一擲」の開戦に踏み切ってしまった、当時の日本のリーダーたちの心理構造や日本の政策決定のあり方にあります。 「大海軍記者」とも呼ばれた伊藤正徳という大正から昭和30年代まで活躍したジャーナリストは「大海軍を想う」という戦後に出版した著書の中で、「長く戰えば敗けることは、事前に明白なことであった。そうして戰争が長くなることも、知者は知っていたが、軍は讀み切れなかった。ここに大戰略(グランド・ストラテジー)の過誤があった。」と回想しています。 余談ですが、回答者は明治35年(1902年)に発行された旧制中学の「世界地理」の教科書(「改訂 外國新地理」三省堂)を持っています。その巻末の「附表」には「世界主要国の兵力」「世界主要国の富力」の統計が載せられていますが、「陸軍平時兵員」以外のすべての項目で日本は最下位です。(兵力は英・仏・露・独・米・日・伊の7か国、富力はこれに「オーストリア・ホンガリア」とイスパニアを加えた9か国の比較)日露戦争直前の20世紀初頭の日本の国力はこのように貧弱でしたが、将来の発展に資する人材となることが期待される当時の中学生の教科書に、そのことを堂々と掲載するだけの謙虚さを、明治の日本人は持ち合わせていたことも忘れてはならないと思います。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E5%8A%9B%E6%88%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80

boywonder
質問者

お礼

御回答、ありがとうございます。 とても、奥が深いですね。 山本五十六氏など軍人エリートは当時多くが欧米留学されてますね。最近のウイキペディアは、とても詳しく載っていてエッセイのようで、、参考になります。 当時の日本が、ナチス・ドイツを見習うことで独裁に傾いていたのは、感じ取れます。 説得力において留学経験という、見方はとても強いですね。 私は当然ながら当時生きていたわけではなく、現代のように情報もなく、過去の戦死者を踏み超えて、間違いだ正しいなどと言うようなことは、言える身分ではございませんが、、 敗戦後の刑罰もそれなりに、妥当な仕打ちになっているのでしょうかね。家の近辺は親米貿易地区と反米地区のような区域とで大人になってはっきりと差が認識できました。 当時、事実を掴んで、早い段階で米英に白旗を振ってた人達が、今の勝ち組なんでしょうね。海外経験がなくても、研究されてた方などはいち早く白旗。また、英国の情報網は、戦争中から桁外れだったようですね。複雑に見える点と線も上から見たらとてもシンプルなものなのでしょう。 家の縁戚は昭和初期に金沢へ移住しました。京都の治水事業に絡んでいたらしいですが、世の中たまたまとか運じゃない事が多いのかもしれません。 年功序列の時代に山本五十六氏のような方が当時の戦争を止められなかったという背景を思うと、、今の日本も、怖いですがあまり変わらないかもしれませんね。

  • koncha108
  • ベストアンサー率49% (1313/2666)
回答No.4

なんで戦争が起こったのか、これだけたくさん資料や証言、報道があるのに釈然としません。日中戦争や太平洋戦争を止めるチャンスは無かったのかと回顧し続ける人も多いと思います。簡単な決着は、軍国主義の陸軍が暴走して政府や議会がコントロールできなくなったと言うものでしょうが、歴史を振り返ってみるとずるずると戦争に引き摺り込まれていった外的要因もある様に見えます。明治維新後日本は日清戦争で犠牲を払いながら確保した遼東半島と朝鮮半島での利権を三国干渉で失い、日露戦争で多くの戦死者と多額の借金による国の困窮と引き換えに手に入れた満州での利権を、列強と中華民国の干渉で失う圧力を受け続けました。中華民国による挑発と陸軍の暴走で日中戦争へと発展して行きますが、推しとどまるチャンスはあったものの、犠牲と引き換えの利権(中国や列強から見れば侵略ですが)を放棄する事を当時の国民ですら素直に納得したとは思えない。そしてその延長でインドシナへの展開ととうとう日米開戦。 日米開戦は今からすれば愚の骨頂で判断した人物やグループは頭がおかしくて悪人です。何故ならば誰がどう見ても勝てる見込みは無く、犠牲が大きすぎるとされているから。でも開戦をしないと言う判断をするとしたら、それまで日本が多大な犠牲や投資をしつつ確保して来た利権、それを脅かす国との戦いを無にして、感情的におさまらない国民を説得しきると言う大英断も必要だったんじゃないかと思うんです。 私は、戦後教育と報道に染まっていますから、日米開戦は愚の骨頂で、判断した人間は頭が悪く悪者と思っているのですが、決定的な根拠はなく、その愚行と、戦争をやめる実際には無かった大英断の間には大きなギャップがある気がします。そのギャップを説明するのに、一番単純なのは誰もが納得する圧倒的な経済力、軍事力の差で軍隊が見ても政治家が見ても、当時の国民が見ても「勝てっこない」と言うもの。でも、世の中そう単純明快じゃなく、実際には日米開戦は避けられなかったと思う人がいて当然だし、日米開戦を正当化する人たちはいまだにいるとも思います。その人たちからすれば、実はそんなに無謀でも無かったと言うデータは役に立つんじゃないでしょうか。 boywonderさんがどう言うデータをご覧になって、それとともにどう言うコメントが付記されていたのかわかりませんが、データは切り口によって随分見え方が変わるので、ある視点と意思を持って都合が良いデータと言うのは作れる気がします。恐らく、日本の戦争を正当化したい人の視点かと思います。 ところで、靖国神社に併設された遊就館と言う施設をご存知でしょうか?戦争に関する展示説明がある博物館的なところですが、皇国のために命を捧げることの美しさから始まって、日本のかつての戦争の歴史的説明や遺品が展示されています。ここの団体客へのツアーガイドの話を横から聞いていると、戦争反対の身としてはぞくっとくるものがあります。日本の戦争を展示順に正当化していくのです。毎日同じ説明しているんでしょうから、それは説得力があるし、理論武装されている。 ただ、過去に終わってしまったことを今更正当化しても非難しても役に立たず、未来に生かすとしたら、過去の戦争をどうやったら止めらたのか、何が止められない原因だったのかを良く振り返って考える必要があるんだと逆に思いました。 つまり、将来戦争をしないためには、日米開戦の理由をバカな陸軍幹部の暴走と決めつけるんじゃなくて、むしろ止めるのが非常に難しかったと言うことから入る必要があると思います。

boywonder
質問者

お礼

ありがとうございます。 私自身が米国の物価指数あたりの、国民一人あたり生活水準を自分で策定し、外国からの調査データと本国データ。それを数年タームでの移動平均相和相乗で、見て、米国の圧倒的な余力に20年前くらいから、夢物語を語る小説系の派党がいるなぁとは、思っていました。 靖国神社は、子供の頃におばあさんと何度も行きましたが最近入っておりませんまた行ってみたいです。変わってそうですね。 日本は、ある技術を得てしまうと自らが考え出したと思い込み全てが凄いんだって暴走する基質が強いと思います。明治以降、全てが英国の叡智によって、上手くできたものを、結論的には英国を裏切ってから悲惨な末路だったと思われます。大英帝国の指揮命令がえぐすぎたのも、問題なのでしょうが、、北欧は当時の日本が裏切りなしだったパターンだったと思われます。 日本の正論は、本来従うつもりでしたが、ソ連やどこかのスパイにより謀略されて暴走したという演技で逃げおおせる意図を作り、英国以下の従者からの同情を引いてるのだと思われます。その効果も米国独立など通し成り立ってるので、良いとは思われます。トップダウンで横の同僚が悪党で悪さするほど、真面目くんが良い出世コースを辿れる。これを実際極東位置で悪党に塗られたといえます。末端の庶民には腑に落ちないですよね。 英国の世界索敵が済んだ段階で世界支配図は完成されてて、ソ連ロシアもほぼ手中だったのでしょうね。いかなる国家も、通貨or物質支配には敵わないことを知り尽くしてる大英連邦は、ノーベル賞など非にならない機密術を多く見受けられます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.3

「生産力の差で負けたのであって、軍事的には勝っていたんだ」と主張する人は昔から沢山いましたよ。ここ20年どころではないです。昭和の頃からいました。 ただ昭和の頃はその戦争を体験していた世代もいましたから「あれを経験しておいて、なにが勝っていただよ」といわれていたのはあります。 今でも「原発がないと日本が死ぬ!」って主張する人がいるじゃないですか。私なんかは「そういうけどさ、じゃ、東電は新しい原発をどこに作ったらいいと思ってるの?今さら『ウチに原発を作っていいですよ』って自治体がどこに見つかるの?」って思っているのですけどね。 あと、日米戦争に関していえば、なにより「アメリカが戦争を望んだ」というのがあります。アメリカ国民ではありません。具体的にいうとアメリカ政府≒ルーズベルト大統領です。 ルーズベルト大統領はヒトラーとチャーチルの英独戦争にイギリス側として参戦したくてしょうがなかったのです。だけど、国民がどうにも反対が強い。だから日本と戦争になれば日独伊三国同盟がありますから、対独戦に参加できると思っていたのです。そして実際にそうなりました。 ですから実は開戦後もアメリカの最優先事項は「対独戦」でした。「対日戦は、ドイツが片付いてから」というのがアメリカの戦略だったのです。だけど自尊心の塊だったマッカーサーと、マッカーサーと同じくらい強烈な個性の持ち主である海軍のキング提督が強硬に反対してまあある程度の反撃はするようになりました。 話を日米開戦に戻せば、アメリカは日本への経済制裁として、石油とくず鉄の禁輸に踏み切りました。これでもう日本は詰んでしまったといえるでしょうね。当時の日本は石油の90%、くず鉄の100%をアメリカからの輸入に頼っていました。経済的に息の根を止められることは間違いありません。このときにもう道は残されていなかったといえるでしょうね。

boywonder
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 敵を知り己を知ることが大切ですね。 米国は、経済モデルが違うので、 軍事マニアでないかぎりは好きな仕事 していたい人が、多かった気がします。 現代の日本みたいに、、、。 米国にも嫌われて、もともと英国にかなり嫌われて至ったわけでしょうかね。 なぜドイツと手を組んだというと、傀儡のされかたとか同じ立場だったからとわかります。 結局は米国も王族家系の繋がりなので敵にしか なりえなかったのでしょうかね。 うーん、日本国民の下の方は何も知らずに 従うだけで負けたあとは欧米からの恨み 教育みたいなのが今も続いてそうなので 悲壮に思います。

  • kappa1zoku
  • ベストアンサー率29% (334/1137)
回答No.2

日米開戦が始まった時にアメリカに留学をしていた日本人は、日本政府が今頃はアメリカと戦争終結の話し合いをしているはずだと思いこんでいたそうです。 また、アメリカの知識人も、明治維新以降数十年で先進国の仲間入りをした優秀な日本政府の役人たちが、国力の全く違うアメリカと戦う訳がないと思っていたそうです。 ただ、自分の親族に国会議員がいる鶴見俊輔氏は、日本の議員は物事をきちんと見極めることができないから戦争突入は間違いないと信じていたと書いています。 戦争突入は軍部の方針です。 八紘一宇という思想のもと、アジアに権益を求めていった日本軍がアメリカに手も口も出してほしくないので、脅しのつもりで仕掛けた企みがもろくも当てが外れたということでしょうか。 ところで、左翼か右翼かを調べるキーワードは、日中戦争が侵略戦争と考えるかどうかだそうです。 山口組の組長は、当時の弁護士に、「それなら俺は左翼だな。人の縄張りにずかずか乗り込んでいったのだから、侵略戦争だよ」と答えています。

boywonder
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 家はおじいさんにあたりますが、軍属ばかりで、 ほとんど帰らぬ殲滅。広島が酷いので、 誰も同情を求めないと、教えられました。 日本は明治以降傀儡政治だったので 反抗するだけの抵抗勢力も無いところからの 略奪さくせんだったのですよね。 すみません、左翼右翼の使い方違って ました。国益を敢えて損ねるといういみを 左と思ってしまってました。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

当時の政治家たちも本気で戦争をして勝てるとは思っていなかったはずです。彼らが想定していたのは、明らかに日露戦争の再現。日露戦争は日本史上では日本が勝ったことになっているけどモスクワ迄攻め込んで打ち負かしたわけではありません。日本海海戦でバルチック艦隊を破り、ロシア国内の事情もあって戦意を喪失したところに停戦を持ちかけただけ。同じように単位機決戦で打撃を与えれば連合国も戦意を喪失して日本が有利な状態で停戦を受け入れると踏んでいたわけです。ところが真珠湾攻撃の際「宣戦布告」の伝わり方が遅れたためもあってアメリカを本気で怒らせてしまった。これは日本にとって全くの想定外で、この時にすでに日本の敗戦は決定していたのです。 当時国力の差は公式には1:50といわれていましたが、実際には1:1000とも言われています。さらに中国(国民軍、人民軍)ともいつ終わるとも分からない泥沼の「15年戦争」を続けていて、大陸と太平洋、二つの戦争を同時並行して行うことになってしまった。当時国力でアメリカに遥かに及ばなかった中国との戦争すら終わりがない状態だったのにその上アメリカと戦争して勝ち目があるはずがないのです。

boywonder
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうなんですね。勉強になります。 ロシアとの戦いは チェスのようで勝ち負けも引き分けも ありそうでスマートに思えます。 戦争としてもあらゆる面で勝ち過ぎを 味わった気もします。 御回答ありがとうございます。

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