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上から目線の人間はどうやって形成されるのか
こういうサイトでよくいますが、上から目線の態度に凝り固まっている人間と言うのは、いったいどういう風に形成される(生育、環境、職業etc.)ものなのでしょうか?私自身はそういう態度をとろうという気にないので、昔から不思議です。
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逆に、質問者さんは場合によっては上から目線の態度で臨んでみてはどうですか、普段の日常生活における人間関係においても。 傲慢なのはもちろんですが、謙虚なのも美徳ではないはず。どちらも、自分の保身を考えた結果としての振る舞いであれば。 人は皆平等ですが、かといって皆同じであり、対等というわけでもないですよね 偉い、偉くないという問題とは別に。 まあ、もちろんあえて上から目線で臨む必要性はありませんが、かといってあえて低姿勢、謙虚さを心がける必要性もないかと。 自然と「こいつはムカつく」 と思ったのに、丁寧に対応するのは自分にウソをついていることになるかな?自分が最もこだわっていることこそが、自分が克服すべき課題 と言える 要は中庸、中道ですね(これもこだわりすぎると)
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- Nine_Lives
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まず大前提としてですが、人間は社会的動物です。 そして、社会(国家から会社、家族まで。もちろんWEBも)で良いポジションを得る為には 悪いポジションを強いられる人が必要なわけです。 実社会の場合、良いポジションを得る為には、大抵才能と努力と運が必要です。 では才能や運に恵まれない人はどうするか、ここからが心理学のお話になります。 自分が社会的に劣っている(経済力・知力・性的魅力など)場合、「それでもいいや」と 思えるホトケの様な方は別として、通常は"本当はこうありたいのに、現状がこんなものだ"という 不快状態(認知的不協和といいます)を感じます。 これを解決するため、様々な方略で不協和状態を脱しようと試みる訳です。 一例を挙げると、優劣が数字で出てしまう領域(学校の成績・学歴)では、学業での競争から 脱退して、望ましい場合スポーツに打ち込んで、望ましくない場合ケンカ沙汰には強いぞ、と いうような独自の"優秀さ"を作って、成績優等生と張り合うことなどがありがちです。 こうすればその人の自尊心(プライド)は守られる訳です。 WEB上の場合、大抵の場合相手の能力もステイタスも分かりません。 また、情報が文字に制限されやすく、ある人が何かを掲示板なりブログなりで発信した場合、 書かれていない部分は読み手が想像するしかないわけです。 これは要するに、読み手が筆者の書かない部分を(常識の範囲で)好きなように 解釈できるということで、そうなれば最初に書きました"人より上がいい"社会的動物の 性質から、筆者を低く見やすくなる傾向が生まれます。 限られた情報から相手を見下して自己高揚を図る(下方比較といいます)がWEB上では とても起こりやすいことが、質問者さんの感じていることではないでしょうか?
お礼
上下があるというところが人間社会の宿命であり、それと平等主義論が常にセットになっているという感じです。 私の場合どうもおっしゃるような「それでもいいや」的な菩薩的一面があるので、虚勢を張る心理が全く理解できないことからこの質問をしたまでです。これも逆にまずい状態ですね。もっとも他の分野でプライドの維持行為はしております。 つねに、自分は上だ!の潜在意識が、不当に相手を低評価するという動機付けになっているのですね。
- pokoperopo
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ご質問の趣旨には、両手を挙げて賛同できるのですが、分析よりも実践が必要と考えます。このような問題意識をお持ちになるギャルソン様の、彼らに対する優位は明らかですので、そろそろ具体策を練ってはいかがでしょうか?これも心理学的対処としては必要です。以下に私案を提出致します。 1・上から目線の利用者排斥を訴える。 2・彼らによる被害者救済の相談に乗る。 3・彼らと徹底抗戦する。 4・彼らに憐れみを注ぐ。 私がガーコンさんに、特にお願いしたいのは、2です。こと謙虚さでは、右に出る者がいないと名高いガーコンさんには、回答による慈愛を注いでいただきたいのです。彼らの唯一の攻撃手段である回答においても、全く違う切り口で、格の違いを見せつけていただきたいのです。 しかし、彼らは幼少時に、自分の意見をバカにされたことが忘れられなくて、人の意見を素直に受け入れられないのです。また、批判や拒絶を恐れるあまり、気軽に相談したり誘ったりができなくなっているのです。さらに悪いことに、せっかく誘ってもらっても、素直に応じることができません。じつに哀れな人種です。 ガーコンさんの、今後のご活動に対するお心構えもお伺いしたいですな。
お礼
やはり、トラウマが攻撃性になっているというパターンなんでしょうね。つまりは、自己の容認が他人からもあるいは自負するところもないという、自己危機的な意識がつねに彼らを追い詰め、多を攻撃しても直接に自分に対する危険のないウェブ上でそのはけ口にする。なんとも人間の悲しさが漂ってきます。 しかし、この悲しみ、私は同情しませんね。私にはひん曲がったサディズムがあり、こういうひん曲がった人間を徹底的に痛めつけてやる快感があります。なに、この愉しみ忘れていませんよ。
簡単です。自分の「言うことを聞いてくれない」等の自分の思い通り行かないと感じる場合相手を支配してやりたいと考えます。つまり自分の思い通りに行かせようという自我無意識の企みです。自分の思い通り行かない現象は何処にでもあり、それ自体楽しんでいたり楽しむとまではいかずともそれが普通だと感じたりして日々過ごしているものですがそれを誰かをコントロールして思い通り行かせようという考えです。まさか会社組織ではあるまいしそこまでせねばならない現象があるとも思えません。ましてや会社組織は物理的にそうせねばならない現象です。人間もそうで確実にそうせねばならない場合人に助けを求めるという行為をします。しかし中には屈折したというか精神構造上助けというか方法がちょっと偉そうな人がいるものです。おそらく1:助けを求めても誰も助けてくれなかったタイプ(差別された人)2:助けを求める事自体柄に合わない。(意地っ張りタイプ):諸事情型:の3パターンに分かれると考えられます、3を置いておいて1と2ですが1は助けを求めて自分を助けてくれる人は居ないと思い込んでいるタイプでこの手のタイプは方法を変えねばなりません、無論偉そうな態度以外の方法をとる人が大半でしょうが「まあ優越感も感じられるし偉そうな態度で相手をコントロールしてやれ、ニッシシ」と直感的に行動にでるタイプで優越感といっても感情の癒しの代償ですのでそれなりの理由はある行為でどちらかというと感情の癒しを目的にしていると考えられます。2は優位性によって自我を成り立たせてきた存在で優位性的に確立したが故に結果人に対して上司態度を取るタイプと考えてよいでしょうこの手のタイプはおそらく人に大して「助けて~」なんて情けなくていえないでしょうなので自分に見合った方法で人の手を借りるとしたら偉そうな態度で相手を従わせるということでしょう。つまり優位性や上から目線と言われるものは当人や相手はそう見えるのですが実は無意識の代償というのがメインであると考えます。しかし当人がそう感じているというのが厄介で当人自身そういう性分だと感じているが故に相手の分析が結局優位性や上から目線という判断に至ることになるわけです。あくまで優位性や上から目線というのは無意識の代償もしくは補償行為であって優位性や上から目線そのものが当人の根っこに存在しているわけではないと考えるべきだと僕は思います。長くなりましたがまとめると ・相手は自分は優越感を感じていると感じている・それを分析する相手は無論優越感を相手は求めていると感じる・この両者に食い違いはなく分析も妥当である、しかしメインは他にありその分析はあくまで架空の認識に過ぎずあえて表現するなら自我的手法の一部と表現すべきでありそれ自身が心に存在しているわけではない。 といったところでしょうかなので実は上から目線という言葉は言い換えれば支配的もしくは抑圧的行為ということになるでしょう。
お礼
精神分析理論が当てはまるものと、そうでもないものに分ける必要があります。
自我の本性です。自我は他人より上になりたい。支配したい、主役になりたいという願望があります。だけど普通は理性でコントロールして表面にだしません。脳の自我は、不調和世界の代表ですから、人は自我を排除しない限り、調和のある人格者にはなれません。だから仏教の禅では、脳を休めて、無我になる努力をしています。しょせん人はダメ人間です。しかし朗報です。2012年この仮の世界が終わり、すべてが仕切り直しされます。人の心は、自我と無我に解体されて、それぞれ元の世界へ帰ります。脳の自我は脳の世界へ、人は無我の調和世界へ帰ります。
お礼
無我は本当に大事ですよね。こんな大事なことが資本主義社会ではなおざりにされてはばからないという、恐ろしい事態になっています。人間のひとつの完成形が資本主義だとしたら、それは恐ろしいことです。
- rivers
- ベストアンサー率44% (29/65)
私は、そういった人間には逆に、自信のなさもあるのではないかと思います。自信がない故に、自分がさも権威を持っているように、上に立っているかのように振る舞う。特に、多少意識して優位に立ちたい人間だと、そうするかもしれません。 もちろん無意識で上から目線になっている方々は必ずしもその限りではないと思います。No.1の方の言うように、「失敗経験の少なさ」も確かにあるでしょう。私自身、得意分野について友人と話している時など、上から目線だと指摘されることが多いので気をつけていますが…。 なお、失礼を承知で書きますが、質問者様の「こういうサイトでよくいる」とか「私自身はそういう態度をとろうという気にないので、昔から不思議です」などの表現も、上から目線と取られかねませんよ。「自分はあいつらとは違うんだけどね」という態度にも見えます。 ご参考まで。
お礼
潜在意識っていうのが効いています。人間は「かくありたい」と思い続けているとそれが実際の行動思考パターンとして定着します。
- Nahnom
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補足をさせていただければ言葉を知らないために上から目線に受け取られる場合もあると思います。
お礼
そうかもしれませんが、大体雰囲気というのは伝わるものです。
- OMTOMC
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そのような人は自分に自信がなければいけません。 つまり、失敗の経験が少ないことが原因になるのではないでしょうか。 自信がある分、知識の多さを自慢したくなるのでしょう。 そのために言い方がきつくなってしまうのではないかと思います。 このサイトにおいては学問などでは質問する人間は答えを知らないため、質問をしているので自信を回答者に対して下にすることは礼儀だと思いますが、たびたび、書くだけ書いて知りたい情報を入れてくれない人にはそのような態度をとる必要がないのかもしれませんね。
お礼
それはあるでしょうね。失敗者を傍観することができず、どうしても優越感のをおさえられない。
お礼
一見は百聞にしかずですからね。これから時として挑戦してみましょう。