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実力のある人が上から目線を防ぐ方法
- 社会では「上から目線」は極度に嫌われる。偉そうな物言い、見下すような態度、自分が賢いかのような優越感をあらわにする、等。
- 実力のある人の場合、多少偉そうであれば、実力を重視して許されるケースが多く、逆に、実力と比べて態度がでかい場合は、周りが不満に思う。
- 実力のある人が「謙虚」で「上から目線を防ぐ」ためには、自身の能力を客観的に判断し、周りへの理解と敬意を持つことが重要である。また、特定の分野で優れた能力を持つ人たちは、自制し、謙虚であることが求められる。
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上から目線という表現をしていますが、違う言い方をすると上下関係という考え方もありますよ。 上から目線という一言をとっても、受け手側にとっての意味合いが、年代や立場によっても変わってきます。 具体的に、どの様な時にどの様に、不愉快な上から目線と考えるのでしょうか。 まったくお話にならない考え方も、この様な物の言い方する人の中にはかなり存在します。 30過ぎて、敬語もろくに使えず、その為人間関係が苦手で、面倒なので上下関係は嫌だ、平たい方が良いと この様な劣った恥ずべきことを反省もせず、公言するような日本にいる朝鮮人や中国人に多く見受けられます。 社会に出ればわかると思いますが、上と下があるのは当然です。例えば、立場に関係なくても40,50, 60にもなる人が10代の何もわからない人に上から目線なのは当然ですよね。 ここいら辺りが難しいところですが、たとえ社会的に立場が高く収入が多くても、この日本で有り得ない常識と 行いを日常的にしている人であれば、その様な人が自分が非常識なのを棚に上げて上から目線で、非常識な自分の考えが上だという人も、世の中にはたくさんいます。 心構えとして謙虚なのは結構ですが、ビジネスの場で上下をはっきりさせるのは常識ですし、指揮命令系統に差支えます。自分の指揮下にある人に上から目線なのは常識でも、違う集団に属している人に自分の物差しで上から目線というのは、世の中の困ったちゃんです。 正しい常識を持った人が、間違った常識を持っている人に上から目線なのも当然です。外人は、自分の持っているお金にすがって生きているので、そのお金が上なら何でも自分が上と言う事を通した方が、外人同士の中でだけ通りがいいだけです。よく周りの大人を見てごらんなさい、その様な日本人面した外人は、その様な人間としか付き合っていないし、ほかの普通の日本人と付き合っているときに外人同士で話しているようなことは絶対に口に出しません。自分たちがダブルスタンダードのくせに日本人があーだ、こーだとよくも恥ずかしげもなく言えたもんだよ。 と言う事で、上から目線という言葉は、現実の世界で使われるとき、質問者さんが考えているよりもっと沢山のバリエーションがあり、この文からはちょっと考えられ無い様な考えで使用されている事も多々あります。そして、この文章を使って陰口をたたく人に非常に多いのですが、その上から目線の人間と面と向かって議論しても、30過ぎの敬語間違いの人もそうですが、馬鹿扱いされるような事しか言えないので、陰でこの文章をよく使います。 これが現実です。
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- marbleshit
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経営の神様、松下幸之助氏曰く、 『百人までは命令で動くかもしれないが、千人になれば頼みます、 一万人にもなれば、拝まなければ人は動かない』 また論語にある下記が参考になるのではないでしょうか。 http://archive.mag2.com/0001438490/20120316222437000.html
お礼
コメント&リンク先有難うございます。メルマガだとふと自分が謙虚な姿勢を忘れたときに配信が届くので、アラート機能になり、良いですね。早速、登録してしまいました!
- oldpapa70
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>一般に凄い!と思えるような実力のある人でも、「謙虚」で「上から目線を防ぐ」為にはどのような方策を取ればいいのでしょうか? ”稔ほど頭をたれる稲穂かな” これに尽きると思うがねー。立候補者のお願いの顔&ぺこぺこ・にこにこ、当選しても言葉遣いを含めて態度を変えないこと(こんな人いるかどうか知らないが・・・)。 こんな方策を参考にすればどうですか。
お礼
コメント有難うございます。そうですね。”稔ほど頭をたれる稲穂かな” → これを日々心がけてみることは、とても大切なのかもしれないですね。人間、日々鍛錬ですね。
これはね。 そう心がけるしかないんですよ。 スキルがあると自分の力を誇示するために上から目線になりたくなるんです。 ただ、そういう人は短期的な成功者です。 そういうことを意識して、絶対にエラくなっても 威張らないことを心がけるのです。
お礼
有難うございます。まさにそうですよね。「そう心がけるしかないんですよ。」 → これは、真実をついているような気がします。「上から目線」とは確定的な基準を見出すのが難しい以上、一番コントロールするのが難しい所なのかもしれませんね。
無いと思います。 上から目線と感じるのは受ける側だから… どうしようと、相手がそう思うのであれば仕方ないでしょう。 例え上の人が謙虚に出たとしてもそれさえも「上から」だと見るかも知れません。 立場が上なのは事実なのですから、よほど過度でない限り、上から目線は仕方ないです。 むしろそう思う方が問題なのだと思います。 実力を伴わなくても、地位や立場、年齢などが上なのであれば。
お礼
有難うございます。仰る通り、個人的に尊敬する経営者や専門家の方々も、本人にとっては気をつけておられるつもりだと思うのですが、世間から「上から目線だ!」と言われているケースも結構あります。自分からすると、「え?この人、ここにたどり着くまで並々ならぬ努力したと思うんだけど、なんでこの週刊誌は執拗にに責めるの?」と言いたくなる時もあります。「上から目線だと言われるように気をつける」以外に、「ある程度そう思われても仕方ないと諦める」という視点がいるのかもしれませんね、とても参考になりました。
お礼
有難うございます。自分の頭の中で、「上から目線」とは何だろうというのがぼやけたままとなっていましたが、御指摘を頂きとてもクリアになりました。社会の中で上下関係があるのは当然で、そこで実力や立場の違いから「上から目線」が生じることと、それとは別に対等な関係の中で「上から目線」が生じることは、確かに意味合いが違う気がします。 ただ、御説明されている中で、決定的に欠けていることがある思います。それは、「上から目線」が主観的であるがゆえに、本人が上から目線と思っていなくとも(当然と思っている)、受け手側が上から目線と感じて不快感が生じてしまうことにあると思います。従い、「当然」とされるのはあくまで年功序列や縦社会が北朝鮮とはいわないまでも厳密に確立していることが前提であって、それが弱くなりつつある日本社会では、当然の現実とはされないと思うのです。 これは、全く新しい文化を生む原動力になる一方で、伝統的な文化や年の功というような生きる知恵が後進に伝わらない弊害ともなっていることでもあると思います。従い、御回答者様の説明が説得力を浴びる為には、(1)日本の縦社会の上層にいる(年齢又は地位などで)こと、(2)それが発言側と受け手側に共有されていること、が前提になるような気がします。 しかし、そうなると、敬語や説明の仕方により、どの程度の社会階層にあるのかを推察できるものとなってしまい、「日本語」という言語そのものが一定の権力・権威構造とは切り離せないものなのかもしれませんね。(というのも、英語は日本語と比べると、相対的にフラットな表現が可能であるため) 何れにしても、まさに今日本社会が抱えている、激変歴史の中で、「歪み」から生まれる悩みなんだな~、ということを知ることができ、とても参考になりました。 刺激的な、深い考察を有難うございました。いや、面白いです。