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仮定の「と」の使い方について
いつもお世話になっております 「と」の使い方について質問です。辞書では「二つの動作・作用がほとんど同時に、または継起的に起こる意を表す」と書いてありました 「挨拶を終えるといすに腰を下ろした」と「玄関を開けると子供が迎えに出てきた」ですこの文章の「と」を「たら」に置き換えたらニュアンスは変わりますか?私が考える「と」のニュアンスはその動作が起こるのは当然である。という感じです「ボタンを押すと切符が出る」のような文章です。私が間違っているのでしょうか。私が考える「と」のニュアンスでは意味が当てはまらない文章が多いです。どうか教えてくださいよろしくお願いします
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個人的感覚でしかお答えできませんが。 「と」は、辞書に書いてあったように、 「二つの動作・作用がほとんど同時に、または継起的に起こる意を表す」 ですが、 単純に「同時的・継続的な時系列の動作・作用」と考えてよいと思います。 一方、「たら」の作用は、 「仮定」または「ある動作が完了後の継続を表す」だと思います。 後者の作用には、おっしゃるところの、 「>その動作が起こるのは当然である」 というニュアンスが多少あるのでしょう。 「当然」というよりは、 『因果関係、あるいは何らかの関連性』が濃厚である、といったところでしょうか。 1、 「挨拶を終えると椅子に腰を下ろした」は、 「挨拶を終えた」→「椅子に腰を下ろした」という単純な時系列の動作を描写しています。 それに対して、 「挨拶を終えたら椅子に腰を下ろした」は、 「挨拶を終える」と「椅子に腰を下ろした」の間になんらかの因果関係が示唆されているような気がします。 たとえば次のようなシチュエーションです。 『いつもは決して椅子に座らない彼であったが、退院直後でとても疲れていたのだろう。 あの時ばかりは、挨拶を終えたらいすに腰を下ろした』 それで、 「挨拶を終えた」→「とても疲れていたので」→「椅子に腰を下ろした」というニュアンスが込められている。 2、 「玄関を開けると子供が迎えに出てきた」は、 「玄関を開ける」→「殆んど同時に子供が迎えに出てきた」という単純な時系列的描写。 それに対して 「玄関を開けたら子供が迎えに出てきた」は、 「玄関を開ける」と「子供が迎えに出てきた」の間になんらかの関連性が示唆されているような気がします。 たとえば次のようなシチュエーションです。 『今日はクリスマスイブである。子供から何回もケーキを忘れないで買ってくるように催促の電話があった。 しかし、仕事の都合で帰るのが大幅に遅くなってしまった。忘れずにケーキを買って急いで家に帰った。玄関を開けたら子供が迎えに出てきた』 それで、 「玄関を開ける」→「私が帰るのを待ちかねていたのだろうと思う」→「殆んど同時に子供が迎えに出てきた」というニュアンスが意図されている。 3、 「ボタンを押すと切符が出る」は、 「そういう仕組みになっている」あるいは、 「いつもそうなる」というようなニュアンスになるでしょう。 この場合は、「>その動作が起こるのは当然である」というニュアンスを持っていると思います。 しかし、これは「と」の作用と言うよりは、 「出てきた」や「出た」ではなく、「出る」という現在形になっているためでしょう。 「ボタンを押すと切符が出てきた」は、単純な時系列的描写。 「ボタンを押したら切符が出てきた」は、典型的な因果関係の表現になると思います。
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- hakobulu
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#4です。 >「たら」は書き言葉では絶対用いられないのでしょうか? :そんなことはないと思いますよ。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#2です。 >「お祭りと言ったら露店ですが」を「お祭りと言えば露店ですが」に置き換えることができると思いますが、ニュアンスの違いはあるのでしょうか? :個人的には、 前者は「明るい・快活」 後者は「落ち着き・冷静」 という印象を受けるような気がします。 前者は書き言葉としてはあまり使われないかもしれません。
補足
回答ありがとうございます。^^「たら」について調べたところどこかのサイトで「~たら」は話しことばのみで、書きことばでは用いられません。」と書いてありました。「たら」は書き言葉では絶対用いられないのでしょうか?見た覚えはあるのですが、どう思われますか?
- kzsIV
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「挨拶を終えるといすに腰を下ろした」 「玄関を開けると子供が迎えに出てきた」 「ボタンを押すと切符が出る」 どの文も2つの動作/状態が並記されています。両者のテンスや条件関係、仮定や既定を取り去って、動作/状態だけを並べると次のようになります。 P:挨拶を終える Q:いすに腰を下ろす P:玄関を開ける Q:子供が迎えに出る P:ボタンを押す Q:切符が出る いずれも、Pが成立してから Qが成立し、Pが成立しないと Qは成立しませんから、条件文を構成しています。 仮定条件文は、もしPが成立したならば Qが成立するだろう、と叙述します。 もし「P:ボタンを押し」たならば きっと「Q:切符が出る」であろう。 既定条件文は、Pが成立した結果 Qが成立した、と叙述します。 「P:ボタンを押し」たので 「Q:切符が出」た。 仮想条件文は、Pが成立しなかったので Qが成立しなかったが、もしPが成立していたならば Qが成立していただろう、と叙述します。 もし「P:ボタンを押し」ていたならば 「Q:切符が出」ていたのに…… 古典文では次のようになります。 仮定条件文 ボタン押さば 切符いでむ 既定条件文 ボタン押せば 切符いでたり 仮想条件文 ボタン押さましかば 切符いでまし 「ボタン押さば 切符いでむ」を現代語に直訳すると「ボタンを押せば 切符がでるだろう」となります。古典では既定条件だったものが、現代では仮定条件にも使われるようになっています。 別の基準で並べてみましょう。 ボタン押さば切符いでむ (ボタンを押せば切符が出るだろう) ボタン押したらば切符いでてむ (ボタンを押したら切符が出ちゃうだろう) ボタン押したるならば切符いでなむ (ボタンを押したなら切符が出ちまうだろう) ボタン押せば切符いでたり (ボタンを押すと切符が出た) ボタン押したれば切符いでけり (ボタンを押したら切符が出ちゃった) ボタン押したるなれば切符いでにけり(ボタンを押したので切符が出ちまった) つまり現代語では、「押すと」だから既定、「押せば」「押したら」だから仮定、と語形によって一方的に決めるわけにはいかないようです。
お礼
例文凄く参考になりました。回答ありがとうございます。^^
- bakansky
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辞書の定義はうまく言ったものだと思います。 「挨拶を終えるといすに腰を下ろした」の「と」を「たら」にかえると、ニュアンスが変るというより、そういう文はあり得ないのではないでしょうか。 「挨拶が終わったのなら、さっさと座りなさい」という文ならありえるとは思いますけれども。 次の「玄関を開けると子供が迎えに出てきた」の場合は、「たら」の方が口語的になり、不自然ではないと思います。意味は変らないです。 「と」と「その動作が起こるのは当然である」というのは、いかがでしょうか。 「玄関を開けると子供が迎えに出てきた」が「当然」とはいえないのではないでしょうか (たまたま子供がいたのかもしれない)。 「玄関を開けると子供が迎えに出てきた」でなくて「玄関を開けると強盗がぬっと出てきた」に置き換えても文は成り立つわけですが、「強盗」が出てくるのが「当然」かどうか・・・
お礼
回答ありがとうございます。^^
お礼
「と」「たら」ははっきりした違いがありますね。すごく理解しやすい回答でした。回答ありがとうございます。^^
補足
「と」と「たら」は理解できたのですが、この例のように「お祭りと言ったら露店ですが」を「お祭りと言えば露店ですが」に置き換えることができると思いますが、ニュアンスの違いはあるのでしょうか?