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劣化の良い面とは
「劣化」と聞くと悪い、良くないイメージがまず出てきます。物事には良い面と悪い面があるものと私は思っています。それでは逆に、劣化の「良い面」を考えてみようと思い考えてみたのですが、なかなか浮かびません。 僅かですが、私の思いついた「劣化の良い面」の例 ・和らぐ(激しかったものが和らいで心地よくなる) ・味が出る(その人なりの傷の付け方でものに個性が生まれる) あなたの考えを教えてください。「劣化の良い面」とは?
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まず劣化という感覚と優化という感覚はあくまで当人の問題で一種の自己暗示的な意味合いだろうと思います。優劣を気にする時というのはおそらく不安が発生した時だろうと思います。不安というのは一瞬で消える程度の低いレベルのものが今の社会では殆どだろうという気もしますが(そうでもないですかね?今の社会の方が不安は発生しやすいですかね?まあその辺はどうでもいいですw)中には精神科行った方が良いのではないかと思えるほど深く長期的なものまであったりします。一瞬にしろ程度が低いにしろ不安が発生した時大抵は自然にもしくは時間的に無意識的にもしくは勝手に解消していく自然消滅的なのが望ましいのだろうと思うのですが中にはそう行かず代償行為を引き起こしたり求めたりした方が望ましいだろうと感じる場合もあるわけです、その代償行為の道筋認識の一つとして優劣を気にするという場合があるということです。
- littlekiss
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こんばんは、e271828さん。 ・味が出る ↑ あるあるある、うんうんうん。 たとえば、ジーンズなんかで、すりきれて色あせてても 「これがいいのよ」と、びっくりするほどの値が付いていたり それとか、これとは別に 下ろし立ての真っ白な運動靴を履き学校へ行くとき なんか妙に気恥かしかったことなかったですか? 休み時間、校庭へ出て運動場の土をつけ、少し黄ばませてみたりと 子どもながらにこの方が味わいがある(カッコイイ)と思ってましたね。 親からすればこれを良いこととは云わないでしょうが 子どものころのわたしには、良い面でした。 【経年劣化と通常損耗(自然損耗)】 http://www.chintai-heya.com/2008/05/post_27.html
こんにちは 劣化は劣化だと思います。 続ける意欲が減少した場合、 どうしたらいいのかって思います。 平和になったからそれで構わない?
こんにちは。 わたくしなりに「劣化の良い面」をざっと思い浮かべますと。 ・廃墟の美(パルテノン神殿) ・古代美術品の不完全であるがゆえの美(エルギン・マーブル、サモトラケのニケやミロのヴィーナス) ・数々の芸術品の経年劣化の美(変色、変質など) でしょうか。 我が国においても、古い寺社仏閣が新たに塗り直された様子を目にするとき、 煌びやかで壮麗な印象と同時に朽ちた「わびさび」の印象をも想起し、同様に愛しく思える経験など、誰しもお持ちではないでしょうか。 そもそも高温多湿なアジアにおいては「劣化」というものは比較的許容され易い概念だったのであろうと考えます。 日本における代表例は伊勢神宮の式年遷宮。 20年に1度行われる行事「神の引っ越し」のニュアンスです。 逆に、劣化の進度の速い風土であるがゆえに、≪絶対、永遠≫という概念を 物質的なモノには容易に込めにくかったのかもしれません。 一方、ヨーロッパの堅牢な石文化、湿気の少ない風土においては「自然は征服するもの、人工的に制覇し得るもの」のニュアンスがあったため、 この「劣化」という概念はアジアのわたくしたちほどにはマイナス・イメージの域を超えなかったのではないのかな、と拙い経験上考えております。 もちろん、どちらの文化の優劣はつけようもないのですが。
- cyototu
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劣化とは、今までの存在を保っているための物質や情報が時間とともに失われて行くことですね。物質の場合には風化とも云います。要するに物質的にも情報的にも記憶が失われて行くことです。物理学の専門用語ではこれを散逸現象と言います。 さて、質問者さんが質問さんとして存在していられるためには、実はこの散逸、あるいは記憶の劣化と言う現象が絶対に必要なのです。例えば、もし誰かが貴方にぶつかったとします。その時、貴方の各細胞は、その衝撃でエネルギーを貰います。ところが、このエネルギーは細胞内の分子と衝突しながら、だんだんと、ある一部の分子から全体の分子へと散逸して行き、そのエネツルギーは体の表面にぶつかって来る空気の分子とも衝突して,結局貴方が誰かとぶつかったという記憶は劣化して、貴方の脳味噌内の記憶はともかく、細胞内の分子運動の記憶は無くなってしまいます。さあ、もし、この細胞内の分子の運動がぶつかった場合の運動エネルギーをずっと劣化させないで残っていた場合を想像してみて下さい。貴方の細胞は誰かや何処かとぶつかるたびに運動エネルギーを増やして行き、遂には、貴方の細胞は飛び散って、崩壊してしまいます。 ですから、貴方は細胞内に運動に対する記憶の劣化の機構が存在しているから、貴方が貴方として存在できているのです。劣化の無い世界は、貴方を破壊へと導くのですから、恐ろしいですね。
劣化そのものは文字通りわるくなることですからよいことではないと思います。劣化の要因としての「経時変化」を考えればよいこともあるでしょうね。この「経時変化」にもさまざまな原因があって、ものそのものの時間的変化(木材や鋳造ものの枯らしとか)や、ものにこうじカビとか別の寄生体やら日光、酸素などが取り付いたり打ち当たったりして変化させていく工程もありますが、これらは醇化とはいえても「劣化」とはいえません。 新陳代謝という言葉がありますが、劣化そのものを賛美する事はできなくも、組織の中で新陳代謝(一部が劣化してはがれていく、人体から垢が取れるとか団塊の世代が退社するように)がなされることは全体として古びず更新されるということでよいのかもしれませんが、これも劣化がなければ不要なシステムなのかもしれません。 私には「劣化」の良い面は見つけられません。 剣呑で偏屈な非道徳人間が老化して恍惚老人になったときくらいのものでしょうか。
- sheep67
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こんにちはー。 劣化が、多岐にわたり色々増えてくると、 劣化というのは自然な流れで別に悪いものじゃないんだなーと感じられるようになるのが最高です。 とうの立った自分の角が取れるのは最高ですし、 老化や死は、人の劣化ですが、劣化が当り前だと、気にしなくなります。 総じて、焦りや、いつも最新モードでいないといけない思いこみのようなものが少なくなるのは、僕個人的にはすごく好きです。楽なので。 右肩上がりの経済成長が当り前の世の中では、経済ゼロ成長でさえ、劣化、と言われそうですし。 自分に対する受容がないままの成長願望~劣化の否定は、かなり強力な依存になりますし、気をつけてはいるんですが。 劣る方に変化する、と言うこの言葉の当て字も、変わるんじゃないのかなー? と思ったりして。 劣化の劣は、優劣の劣です。比較によって起きます。 つまり、その対象の本質を見て着けられたレッテルではないので。 と、こんなところで・・・
- magga
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言葉を変えれば変化でしょう。 変化するから善く変えることが出来る。 そうもいえるかな? 参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございます。視点を変えて動物から見たら(より広い視野で)、人間にとって劣化するとみえる物はただの変化でしょう。 そのものに価値が感じられるから劣化も感じられる。劣化により価値が落ちる、しかし別の新しい価値が生まれる、このとき、劣化の価値が見えてくる気がします。
あまり変わりませんが、不必要なところが削れて合理的な形になってくるとか弱いところが消えて強いところだけが残るとか。
お礼
ありがとうございます。 確かに不都合な所が劣化すれば、結果的に望ましいものとなりますね。劣化させる所により価値が変わってくると ・もの→(不必要な所が劣化)→単純美、無駄のない形 ・状態→(弱いところが劣化)→強い状態
「劣化」という字だけを見ると、「劣る状態になる事」としか見えず、直接良い面はないように思います... 無理やりですが、 ・廃棄し新しいものに代える理由ができた とは言えますが。 ジーンズをわざとボロボロにしたり、 動画をわざと時代物っぽく見えるように加工したり。 「古き良きもの」を演出するのも「劣化」?
お礼
ありがとうございます。 文字通りみると確かにその通りですね。ここは劣化を再定義して 「変化のうちの劣る変化によって生まれる価値」 としてみます。 ・物事→(劣化)→劣化物 →廃棄して別の物に交換可能になった ・ジーンズ→(劣化加工)→ダメージジーンズ →オリジナルのジーンズが生まれた ・映像→(劣化加工)→時代物っぽい映像 →古き良き物として感じられる
お礼
ありがとうございます。 お話を聞いて日本の美意識である「寂」がふと浮かびました。時間の経過によって劣化した様子は「寂」ですよね。古い物、老人などに共通する特徴、寺田寅彦によれば「古い物の内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさ」と定義されています。その実例として「コケ」が挙げられています。石を放置すれば日本の環境ではコケが湧く、それを石の内部からにじみ出るものと見立てて「寂」とみたそうです。 「無常」とも通じますが狭い目で見れば劣化でも、それは世代交代というか流転する中の一つの状態にすぎないのかもしれませんね。 さて、お話がそれましたが劣化の良い面(劣化により生まれる価値)について。 優劣って何でしょう。例えば優れた鉛筆、劣った鉛筆を考えます。前者の条件は価値の基準を書きやすさにおけば書きやすいこと、価値の基準の置き方によっていかようにも優劣は変わります。価値の基準は人により違うので、優劣も見る物によって異なると言えそうです。確かに、必ずしもそのものの本質(誰にでも共通する価値)を見て付けられたレッテルとはいいきれないですね。 視点を変えれば劣化も劣化じゃなくなるのかな。